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世界最古の国『日本』

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日本の中央にある神社 その④

前回は『生島足神社(いくしまたるしまじんじゃ)』に関連する戦国武将をお伝えし、最後に徳川幕府が幕末に突入したきっかけになった『桜田門外ノ変』で殺害されてしまった『大老井伊直弼(いいなおすけ)』の事を少しだけお伝えしましたが、実はスゴイ人なんです。

 

 

と言うのも、父である近江彦根藩主直中は沢山子供がいまして直弼本人も14番目の男子、しかも庶子(母が正室ではない)だった為に、養子にも行けずに部屋住みと呼ばれる彦根城内でずっと過ごしていました。

 

 

その中で、茶道や国学・また兵学居合術を学び早くからその聡明さを示していました。

 

 

そんな中、兄である直亮が死去してしまった為に、養子になる形で直弼が家督を継ぎ、近江彦根藩の15代藩主となり「名君」と呼ばれていました。

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その後、ペリー来航(黒船来航)により国内は揺れ動き、徳川幕府は開国と言う形を取りました。

 

 

その際に、各藩が江戸湾東京湾)の警護のために配属されましたが、直弼率いる彦根藩は皆、『井伊の赤備え』の装備で警護につきました。

 

 

また、『薩長同盟』の仲介役を務めたり、日本初の株式会社を設立した(亀山社中)事でも有名な「坂本龍馬」もこの時に、土佐藩士として警護についていました。

 

 

この時、その装いに龍馬は一目で彦根藩だと分かったそうです。

 

 

 

その後、水戸藩など攘夷派(外国との通商を反対・または撃退し鎖国を守ろうとする考え)と対立を深めて行きました。

 

 

ここで少し余談ですがなぜ水戸藩が攘夷派の中心かと言いますと、水戸藩と言えば誰もが知っているあの『水戸黄門』こと、「徳川光圀」に由来するのです。

 

 

徳川光圀は初代将軍である「徳川家康」の孫で水戸藩(御三家の一つ)の2代藩主になった人物で、3代将軍・家光の従兄弟です。

 

 

そして、光圀は『大日本史』と言う歴史書を編纂し、その後の水戸藩の重要な事業の一つとして、光圀の死後も200年以上に渡り継続され明治時代になり、ようやく完成しました。

神武天皇から後小松天皇までを編纂)

 

このような背景から「尊皇論」と黒船来航からの「攘夷論」が重なり合い、いつしか水戸藩だけに留まらず、日本各地の志士たちに『尊皇攘夷』と言うスローガンが生まれました。

 

 

 

そして、直弼は孝明天皇の勅令を得ずに「日米修好通商条約」を結んでしまった為に「尊皇攘夷」の動きが急速に進みました。

 

 

しかし、本当はこの条約、なるべく時間を稼いで引き延ばしにしたかったんですね。

 

 

なぜなら天皇からの勅令がまだ来ていなかったからです。

 

当時も今も最終的な判断を決めるのは天皇となっていました。いわゆる『国璽』と言うやつですね!

 

 

 

それは尊皇攘夷派の諸藩の武士達は怒りますよ!

 

 

この怒り狂った志士達を抑えようと(弾圧)したのがあの有名な『安政の大獄』なのです。

 

 

 

これは日米修好通商条約の調印・将軍継嗣を家茂に決定したと言う事から反発をしていた尊皇攘夷派や一橋派の大名や志士など、100名以上が弾圧されました。

 

 

その中には「橋本左内」やのちに明治維新の中心になる数多くの長州藩出身者の思想に影響を与えた「吉田松陰」などは処刑され、また大名では徳川最後の将軍になる「一橋(徳川)慶喜」や越前福井藩の藩主で「坂本龍馬」にも影響を与えた「松平春嶽」などは謹慎の身となりました。

 

 

しかも、この弾圧の決定権は表向きには台命(将軍からの命令)ですが、実際には全て直弼の命令で執り行われました。

それ以降、直弼は「井伊の赤鬼」と言う異名も付けられました。

 

 

 

その結果、水戸藩脱藩志士達を中心とするものに江戸城桜田門外で襲撃され、大老・直弼は暗殺されてしまいます。

 

 

しかも、直弼はこの襲撃されるのを実は知っていたのだとか。襲撃されるのを分かっていたのにも関わらず、警備を強化せずに出発した事は、直弼本人の中でも何か思うところがあったのでしょうね。

 

 

 

その後は、皆さんもご存知の通り幕末・明治時代と言う『新時代』へと進んでいくわけですが、この開国が無ければ今の時代は無かったと言っても過言ではありません。

 

 

明治維新の中心となった薩摩や長州は海外からの最新武器を手に入れ、倒幕を成功されるのはなんとも皮肉な事です。

 

 

また、暗殺された現場のすぐ近くに現在の警視庁本部があることも感慨深いものがあります。

 

 

 

と、今回は井伊直弼の事をお伝えしましたが、現在の日本があるのはやはり直弼からと言うのと、生島足島神社を崇拝していた武田信玄からこのように繋がってくると言う歴史の面白いさを改めて知った回でした。

 

 

 

次回は『北向観音堂』についてお伝えしていこうと思いますので、是非ご期待下さい。