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『世界最古の国』日本

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大嘗祭 特別御朱印 その④

 

今回も『小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)』の主祭神である小野篁(おのたかむら)について、そして小野照崎神社について、お伝えしていきたいと思います。

 

 

まず主祭神である小野篁なのですが、本当に面白い逸話が御座いまして、それがなんと昼は朝廷で官吏(かんり)を、夜は地獄(他には冥界やあの世と言われています。)の主(あるじ)である『閻魔大王』のもとで裁判を補佐していたと言う事です。

 

 

なんじゃそりゃ!

ですよね。

 

 

これ、本当に平安後期から鎌倉時代に掛けての説話集で『江談抄(こうだんしょう)』や『今昔物語集』・『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』などに書かれており、その後もたくさんの書物でこのことが紹介されています。

 

 

例えば日本最も有名な小説の一つで、現・二千札にも描かれている『源氏物語』の著者でもある『紫式部』の先祖でもあり、「正一位」も後に贈られた『藤原高藤(ふじわらのたかふじ)』が急死した際に閻魔庁にいる篁が冥土から生還させたと記述されていたり、これもまた後に「正一位」を贈られ、私邸で「平仮名」で墨書が書かれた土器が発見され、国風文化の広まりを示す貴重な発見をされた『藤原良相(ふじわらのよしみ)』が病死した際に、篁のはからいによって蘇生したと記されています。

 

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少し余談ですが『源氏物語』に登場する「光源氏」と「明石の御方」の恋模様のモデルとなったとされるのが、祖先であるこの藤原高藤夫婦になります。

 

 

さらに『元亨釈書』と言う日本で初の仏教の歴史書にもなる書物には「矢田地蔵縁起」と言う物語が描かれており、京都の矢田寺(やたでら)を「送り鐘」・六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を「迎え鐘」として死者の霊が迷わずにあの世へ送れるようにと鐘をつく信仰があるのです。

 

 

また、この六道珍皇寺は死の世界に行く道(井戸)と京都の嵯峨にあった福正寺は生に帰ってくる道(井戸)があったとされており、六道珍皇寺には篁作といわれている「閻魔大王」の木像が安置されています。

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そして、この閻魔大王は日本の仏教では『地蔵菩薩』と同一視されているのです。

その理由は閻魔大王は地獄の番人(裁判長)であり、地蔵もまた「地」と言う字からの連想によって大地や地下(地獄)を守るする菩薩であり、それによって「閻魔大王地蔵菩薩」と言う信仰が生まれました。

 

 

また、地蔵菩薩は『賽の神』であり、この賽とは賽の河原の事で、不慮などにより親よりも先に亡くなってしまった子供が三途の河原で石を積むのを鬼に崩されてしまうのを守るのがこの地蔵菩薩なのです。

 

 

この為に、地蔵菩薩に子供を亡くした親御さん達などがよだれ掛けをしたり周りに風車を指して、子供が安らかにあの世に行けるように願うと言う信仰になったのです。

 

今でも日本三大霊山のひとつの『恐山』ではその模様がある意味での代表的なものとなっていますよね。

何も知らずに見るとやはり少し異様な光景で怖い雰囲気ですが、このような背景を知るとまた違った見方になってしまうのが不思議な感覚になります。

 

(七五三もある意味では同じような事で、7歳までは神の子として、いついなくなってもおかしくないとして扱われていて、日本では奇数が良い数字と言う風潮があり、その為に7歳・5歳・3歳と言う節目でのお祝い事が現在でも行われている行事事なのです。

ちなみに自分の子供も2019年の今年、七五三が長女と長男であり、出費が激しいので頭が痛い思いをしています。泣)

 

 

さて、話を戻しますがこのような小野篁主祭神としている『小野照崎神社』ですが、もう少し面白い話があり、それがいくつかあるのでこれは次回にまたお伝えしたいと思います。

(何故なら、毎回のごとく話が長くなり過ぎてしまった為。申し訳ありません。)

 

と言う事で、次回もお楽しみにして頂きたいと思いますので、よろしくお願いします。