今回は『大嘗祭』についてもう少しだけお伝えして、と言うのは大嘗祭の直後に行われる『大饗の儀』と言う、参列者に向けて酒や食事や、悠紀国・主基国の芸能(舞など)を振舞う会です。
これは、悠紀国・主基国の風俗舞(これは大嘗祭ごとに新作)を両国の地名の入った歌を披露したり、両国から推薦された15種類の農林水産物を献物として会の開かれる所の正面に並べて、その色目を式部官長(宮内庁の儀式や雅楽を担当する部署の長)がこれを奉上します。
そして最後に天皇皇后両陛下が挿花を参列者に供します(贈る)。
また、古来では大嘗祭が11月の2回目の「卯の日」に行われいたので、翌辰・巳・午日にこれが行われおり、辰・巳日は直会(なおらい)の意味を目的としており(神社に於ける最後に祭祀に参加者一同でお神酒や神饌を食する事)、3日目の午日はこれよりも少しくだけた宴会の様な形で行われいました。
(↑上記の御朱印は品川区の蛇窪神社で2019年11月9日から3000枚限定で配布しています。)
そして、大嘗祭がこの様な儀式として明確に行われ始めたのは第40代天武天皇・第41代持統天皇の頃時代になります。
天武天皇は歴史の授業にも取り扱われいる様に、「壬申の乱」で勝利した大海人皇子が即位して天武天皇になりました。そして、『元号』を始めて使い、「大化改新」を成し遂げた天智天皇の弟でもあり、自ら政務を行い天皇史上、まれな権力を集中させ、地方豪族を排除し皇族を要職に就かせる『皇親政治(こうしんせいじ)』を行い、古代天皇専制の頂点を極めました。
さらに、『日本』と言うことばを始めて使う他、『天皇』と言うことばも始めて使う人物でありました。
その皇后であり、第41代天皇である『持統天皇』。この天皇は「小倉百人一首」の2番目の歌でも有名ですが1番目の天智天皇の娘になります。
と言う事は、叔父と姪の結婚と言う訳ですね。
そして夫である天武天皇の方がイメージが強すぎてあまり知られてませんが、『飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)』と言う日本で最初の律令体制の体系を編纂した人物なのです。
これは天武天皇が元は行なっていた事業でその意思を継ぎ編纂され、班田収授など律令制の骨格を本格化させ、孫である第42代文武天皇が完成させた『大宝律令』によってこのプロジェクトを成功させています。(この制度により初めて国号を『日本』になりました。)
さらに天武天皇の念願であった『伊勢神宮』の『神宮式年遷宮』を持統天皇は成功させ、(第一回神宮式年遷宮)さらに藤原京(ここが初めて碁盤の目状の都市作りになりました。)や、史上初の『太上天皇(上皇)』になった人物です。
何か、ここ数年にあった事と似ている様な気がしませんか?
2013年の神宮式年遷宮(この年は『出雲大社の遷宮もあり、かなり話題になりました)・2019年の先代天皇(現・上皇陛下)からの譲位継承と現天皇の即位(即位後の儀式なども含め)とおよそ1300年も継承されています。
今まであまり気にしていなかった持統天皇を今回の大嘗祭によって深く知ることが出来たのも何かの巡り合わせなのかなと感じました。
(実は小倉百人一首は小学生の頃からやっており、去年の正月にこれを買って子供と一緒に楽しんだ所でした。)
と、この様に日本人の中に自然と入っていたものも過去の歴史があり、それを皆が共有していると言うのがなんとも言えない面白さ。
これが伝承やら伝統と言うんですかね。
日本人に生まれ良かった!