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『世界最古の国』日本

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大嘗祭 その②

前回は『大嘗祭(だいじょうさい)』の際に用いる麻織物の『麁服(あらたえ)』ですがこれは、徳島県の剣山付近にある『阿波忌部(あわいんべ)』と言う古代から朝廷に仕える職能集団の『三木氏(みきし)』のみが天皇陛下に供進出来ると言うのをお伝えしました。

 

そしてもう一つ、絹織物である『繪服(にぎたえ)』と言うのもある限定的な地域からこの時に供進されます。それが三河国(現・愛知県)になります。

ここは徳川幕府・初代将軍の家康の出身地でもある事でも有名ですが、さらに古代では「大化改新」後には国造(くにのみやつこ)と呼ばれる地方を治める官職で、特に祭祇を司る世襲制の名誉職になったが、それ以前(古墳時代からヤマト政権)では、軍事権や裁判権を持った役割を果たしていた官職で、この三河国に深く関係を持った国造を、優先的に郡司(中央から派遣された地方を治める官職の事)を派遣されていました。

それほど、この地が重要であると言うのが分かりますね!

また、面白い事に剣山(麻織物の麁服)と三河国(絹織物の繪服)の一宮である『砥鹿神社(とがじんじゃ)』を結ぶと奈良県橿原市がちょうど中央の位置になります。

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この橿原市は初代天皇である『神武天皇(じんむてんのう)がこの地で即位・建国したと言われている場所でさらには『神武天皇陵』や『橿原神宮(かしはらじんぐう)』さらには日本で最初に作られた都城の『藤原京』があった場所になるのです。

橿原神宮神武天皇の宮である橿原宮があった言われている場所に明治に入り、この地に神宮を建てました。)

 

何かこの話を聞くと偶然とは思えない様な場所に3つが存在していますよね!

本当に面白い‼︎

これは必然的に建てられたとしか思えません。

 

日本には不思議なことにこの様に重要な場所を結べる(レイライン)が幾つかあるんですねぇ。

 

と、話を戻しまして『あらたえ』と『にぎたえ』と言うのがもう一つあるのです。

それが伊勢神宮(内宮)で天皇陛下の皇祖神である天照大御神を祀る皇大神宮荒祭宮にのみ毎年5月と10月の14日に麻織物の『荒妙(あらたえ)』と絹織物の『和妙(にぎたえ)』を奉る祭典があるのです。

その祭典が『神御衣祭(かんみそさい)』と言い、『神嘗祭(かんなめさい)』(神嘗祭とは内宮で天照大御神にこの年に収穫された新穀をお供えすると同時に感謝する祭事です。)とともに伊勢神宮(内宮)でも格別の由緒あるお祭りになります。

新嘗祭』は皇居で行う祭事になるので、どこでやるかは名前で判断すると分かりやすいですよね!

 

さらに面白いのが毎年行われてる『新嘗祭』では天皇陛下が自らで作られた新穀を神に捧げるのに対し、『大嘗祭』では国民が作った新穀を神に捧げると言う事も伝統的で、これは天皇陛下にとっても即位後の年に、一世一度の大切な儀式であり、本当に国民の安寧を祈っていると言う事からも分かります。

 

と言うのすら、おこがましいのですがね。

 

さて、今回の『令和』の大嘗祭は11月14日・15日に行われますがそれ以前は11月23日に行われていて、また新嘗祭はこの日に行われています。その理由としては元は冬至に行われてその後、太陰暦の11月の二の卯日に行われるようになりました。

その後、明治時代に入り、明治政府から『国民の休日・祭日』の『新嘗祭』が定められましたが、戦後GHQから『勤労感謝の日』に変更され今に至るわけです。

と言う事は、本来の意味は「天皇陛下が国民の安寧の為に祈りを奉る事」に対して、感謝する日と言う意味なんですね!

もちろん、私たちや先人達勤労者に対しての感謝する日でもあるのですが。

 

 

と、今回は2回に分けて『大嘗祭』についてお伝えしてきましたが、また沢山面白い事が発見出来て、さらに神社仏閣・そして皇室について興味深くなりました。

 

令和と言う時代がどうなるかが楽しみですが良い時代になって欲しいものです!

 

それでは、また次回も楽しみに‼︎