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『世界最古の国』日本

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陸奥国一宮 鹽竈神社 その①

今回はレイラインや結界と言うのからはちょっとズレまして、宮城県にある陸奥国一宮の『鹽竈神社(しおがまじんじゃ)』についてお伝えしていきたいと思います。

ここは元々、鹽竈神社のみが鎮座していましたが明治時代に志波彦神社(しわひこじんじゃ)が宮城県仙台市の冠川から遷座してきたことにより、現在では『志波彦神社鹽竈神社』と言うのが正式名称になっています。

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志波彦神社は『延喜式』神明帳にも記載されている格式のある神社で、この『延喜式』と言うのは10世紀初頭に朝廷から「官社」として認められた神社で、当時の政治的背景が強く見られています。

また、この神明帳に記載されている神社の事を『延喜式内社』と呼ばれており、その反対に当時から存在はしていたが朝廷の勢力からの範囲外の神社・または『熊野三社』など独自の勢力を持っていた神社・『岩清水八幡宮』など僧侶が管理をしていた神社などは『式外社』と呼ばれていました。

そして、『鹽竈神社』は式外社になっており、この地には式内・式外社が共に共存している場所になる訳です。また、鹽竈神社の方は陸奥国の一宮として鎮座しているので、両社とも格式の高い神社だと言う事がここで分かります。

また、国の天然記念物の「鹽竈桜」も有名で開花時には観光客がたくさん見物しに訪れるます。

 

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志波彦神社主祭神は『志波彦大明神』になります。この神様はあまり馴染みの無い神様ですが、鹽竈神社主祭神である『塩土老翁シオツチノオジ)』よりも格上の神様になり、その証拠にこの2社の正式名称も志波彦神社の方が先の名前が来ていて、明神大社として朝廷からも厚い信仰がありました。

また、志波彦神社は先述でも書いた様に、東山道から多賀城までの交通の要であった現・宮城県仙台市宮城野区岩切に鎮座していましたが、中世以降衰退の一途を辿ってしまった為に明治に入り現在の地に造営をする旨を明治天皇から奏上されました。

しかし、大正に入っても造営されなかったので政府に訴えてましたが、翌年の関東大震災により、その話もうやむやになってしまい次代の宮司が痺れを切らしてもう一度政府に強く訴えてかけ、ようやく昭和に入り着手されて今の地に造営されました。

この時に宮司が政府に「天下の一大事である。直ぐに取り次ぐべし!」と乗り込み、圧倒された係官が担当の大臣に取り次ぐと、大臣が「天下の一大事とは何事か?」と問いました。

そこで宮司は「明治天皇の思し召しでもある志波彦神社の造営をいつまで待たせるのか!」とさらに問いました。

すると担当大臣は「天下の一大事と言うから何事かと思えばそのような事か。」と答え、それに宮司は「神様の事と明治天皇の御意志をおいてこれに勝る一大事があるか!」と一喝し、ようやく政府が重い腰を上げたと言う逸話が残っています。

そしてシワシコはシオチノオジを協力した神様として伝えられており、国土開発・産業・農耕守護の神様として信仰になっていますが、この地周辺には「シワ」と言う地名が多くあります。これは「端っこ=シワ」と言う意味があり、朝廷がこの地まで勢力を拡大していった事が分かり、国津神(土着神)として、この地に住む民衆から深い信仰を集めてきました。

 

また、本殿・拝殿は鹽竈神社とは違い、ともに朱黒漆塗りの極彩色社殿になっており、全額国費で造営された最後の神社とも言われています。

 

さて、ここまで志波彦神社についてをお伝えして来ましたが、次回は陸奥国の一宮である鹽竈神社の事についてお伝えして行きたいと思いますので、ご期待下さい。