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TOTANの日記

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神社仏閣に引き寄せられvol.27

今回は世界文化遺産としても登録されており、徳川将軍の中でももっとも重要な礎を築きその後、265年間もの平和な時代を作りあげた初代将軍・家康と3代将軍・家光が眠る『日光』にスポットを当てて行きたいと思います。

さて、この地は元々奈良時代に勝道上人が開山し山岳信仰として『二荒山大神オオクニヌシタキリビメアヂスキタカヒコネの総称であり、この3柱は親子になります。)』を祀っており、日光連山の主峰である日光三山である男体山(元々は二荒山−ふたらさん)・女峰山・太郎山をそれぞれ聖地として神格化したものです。

 

あれっ、なんかまたオオクニヌシが出てきましたねぇ。

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そしてその後、鎌倉幕府を開いた源頼朝も寄進していましたが、戦国末期には衰退して行きます。その後、源氏の末裔であると名乗り(平氏・源氏・藤原・皇族以外は征夷大将軍の官職に就いた事がないことから)、天下統一を成し遂げた源頼朝を崇拝していた事から、日光再興を図った事、またこの地が江戸城から見てちょうど真北の方角に位置し、北方信仰(北極星はずっと位置が変わらない事から、皇帝などに好んで信仰された)により選ばれたと言う説があります。

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そして、この地にあった「二荒神社(ふたあらじんじゃ)」の名から二荒(ふたあら)と呼ばれていたが、これを音読みにしするとニッコウと読める事から字を変えて、「日光(にっこう)」と言う地名になったと言う説があります。

また、家康は生前に遺言で、「遺体は久能山に葬り、葬儀は増上寺で、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光に小さな御堂を建て祀れよ。」と残した事により、2代将軍・秀忠が建立し、その後3代将軍の家光がこの豪華爛漫な『日光東照宮』を改修しました。

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そして、この日光東照宮で最も巨大なパワーがある場所と言うのは国宝でもある『陽明門』と手前にある鳥居を中心に結んだ上に北極星が来る場所でガイドの方も教えてくれるので参拝した際は是非、記念写真を!

(実際、私が参拝した際にはガイドさんが記念写真を売ってました。)

また、この鳥居を抜けて陽明門に入る前に大きな灯籠があるのですが、それは「独眼竜」で有名な『伊達政宗』がポルトガルから輸入した鉄で作り寄進したり、 正面にある石の鳥居は福岡藩初代藩主である黒田長政が寄進し、その足元にははっきりと『黒田筑前守藤原長政』と彫られているのです。

さらに多くの大名が寄進した灯籠は合計で121基あり、その中で唯一女性から寄進されているものがあります。それが黒田長政の継室であり、家康の養女でもあった栄姫からのものである事でも分かる様に、当時かなりの財力・技術があり、信頼されていたのが伺えます。

また、余談ではありますが今では全国的にも有名な福岡県の郷土料理の「筑前煮」はここから来てるんですね!

福岡では正月や祝い事の席には必ず出されるそうですので、福岡に行った際は是非食べてみたい料理のひとつです。

そして、全121基あるこの灯籠ですが3基を除き全て3万石を超える大名が寄進しています。

この残りの3基ですが、2基は先程もお話をした栄姫で、もう1基は福井藩松平家)の家老になります。

この福井藩が幕末期に薩長同盟の仲介役をした坂本龍馬を支援していたと言うのも、何か皮肉なものですよね…。

さて、この日光東照宮は陽明門だけで無く色々と観て楽しめるわけですが、その中でも一番有名なのが「見ざる言わざる聞かざる」ですが、自分や人の欠点や過ちを、見ない・言わない・聞かない方が良いと言う意味があります。

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また、この言葉が日本に伝わったのは8世紀頃に天台宗系の僧が持ち込んだとして、天台宗比叡山の鎮護社となっていた日吉大社と密接な関係にあった事から山王信仰比叡山の麓にある日吉大社から生まれた信仰で、山王とは日吉大社に祀られている神様の別名である。「山王日枝神社の神様と同じですね!)が発展して行ったもので、山王信仰では猿が神の使いとなっているので、ここで使われたのではないかと考えられています。

 

そういえば、天海は天台宗出身でしたね!

 

さて、次回はもう少し日光の神社仏閣についてお話していきたいと思いますのでよろしくお願いします。