今回は、前回お話をした杉並区にある『大宮八幡宮』と福生市の続きを少しだけしようと思います。(と言っても完全に妄想なので、悪しからず。)
この『大宮八幡宮』は第15代天皇応神天皇なのですが、武蔵国三大大宮とも言われており、埼玉県さいたま市の『氷川神社(武蔵国一宮)・埼玉県秩父市の『秩父神社(知知父国一宮)ともにこの大宮八幡宮が含まれています。
昔はかなりの勢力を持っていたと言うことですよね。
また、ここは不思議な都市伝説があり参拝中に境内の中で「小さいおじさん」が走り回っていると言うのです。そして、その「小さいおじさん」を見つけた人には幸せが訪れるのだとか…。
みなさんもここに参拝する際には是非、探して見て下さい。
そして、ここの御利益は「安産・子育て」なのですが、実際私は2回程参拝した事がありまして、始めて参拝した年に一人目の子供ができました。しかも、この時はまだお腹にいる事はまだ知らなかったのでまさに御利益通りだなと感じました。ただ、2回目の時は参拝した次の日に妻と二人目の子供が車で事故って大変な目にあいましたけどね。
ただ、2人ともケガも無く、こっちは一切悪くないと言う形で最終的になったので、それも守られているのかなと感じました。
そして、この神社の場所は、井の頭線(吉祥寺ー渋谷間)の永福町が最寄りの駅になるのですが、ふと福生市と何か関係があるのでは無いかとと思いました。なぜなら『福』と言う漢字が使われていると言うただ単純な理由なんですけどね。
そこで色々調べてみたら不思議な事に気づきました。それはこの永福町にある『大宮八幡宮』と福生市にある『福生神明社(主祭神は天照大御神になります)を線で結ぶとなんと府中市にある『大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)』になるのです。
この図だと少し分かりにくくて申し訳ありません。
この『福生』と言う地名が歴史に登場するのは平安時代末期(1087年)に武士団・西党の平山宗末と言う人物が源義家から福生村を与えられ
その後、子孫の平山季重と言う人物が「保元の乱」の恩賞として再びこの地を与えられたとなっています。さらに、室町時代には福生周辺の有力な支配者として青梅方面の三田氏と秋川方面の小宮氏がおり、この小宮氏の軍事上、最重要防衛ラインが現在の福生にあたった訳です。
このように福生の歴史を少しお話しましたが、ここであれれと言うものが!
福生と言うの地名が登場する時代と大宮八幡宮が創建された時代がほぼ同時期。
繋がってきましたね!
八幡神または八幡大菩薩と言うのは「応神天皇」のことです。また、八幡神は応神天皇の神霊である事から「皇祖神」とも位置づけられ「承久記」では『日本の帝位は、伊勢天照大御神、八幡大菩薩の御計ひ』と記されおり、天照大御神に次ぐ皇室の守護神とされていました。
また、宇佐神宮(宇佐八幡宮)や岩清水八幡宮は伊勢神宮に次ぐ第ニの宗廊とされてきました。
そして、熟語で「永生(えいせい)」と言う言葉があり、意味は限りない生命、永遠の生命、永遠に生きこと、長生きなどとなっていますがそこに『福』と言う文字をつけて、古代から人々の幸せを願っていたのかもしれません。