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『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

食品の闇

2021年2月10日のニュースで「大豆」などを原料とした食用油を家庭用・業務用ともに3月から4月にかけ、大手3メーカーが値上げするという発表がありました。

 

 

 

 

1kgあたりある企業では30円程度の値上げというのですから、一般家庭、食用油を扱う業種ではかなりの痛手になります。

 

 

 

 

特に飲食店で「天麩羅」など揚げ物系をメインとして提供しているところでは、店の商品自体の価格を値上げしないと、やっていけないという状況が出てきてもおかしくありませんね。

 

 

 

 

 

しかし、なぜ「大豆」を使用した食用油がこんなにも、急に上がるの?という方も多いかもしれません。

 

 

 

 

「大豆」って『日本人』には馴染みのある食物ですもんね。

 

 

 

 

「豆腐」や「納豆」「油揚げ」に「醤油」「味噌」など、『日本の食文化』にとっては欠かせない存在です。

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実はその「大豆」、国内での自給率がたったの7%しかないというのをご存知だったでしょうか?

 

 

 

 

ただし、この数字は「大豆」使用している全てのものの数字で、サラダ油などに油糧用として使われてるものや、飼育用の餌などを除くと自給率は25%と上がります。

 

 

 

 

だから、「醤油」や「味噌」「豆腐」などで「国産」と書かれているのは、この25%にふくまれているんですね。

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くれぐれも「国産」と書かれているものは本当なので、ご心配なされないように。

 

 

 

 

また、我が国『日本』では米(コメ)の自給率は100%・牛肉は36%・豚肉は49%・鶏肉は64%と以外に高い数字を誇っています。

 

 

 

 

ただし、輸入に頼っている飼料((家畜のエサ)で育っているものを除くと、牛肉は10%・豚肉は6%・鶏肉8%とかなりの落ち込んだ数字になってしまいます。

 

 

 

 

『日本』という国は、「大豆」などいかに食料を海外からの輸入に頼っている国かというのが分かりますよね。

 

 

 

 

 

そんな輸入物の「大豆」ですが、93%中82%がある国から輸入しています。

 

 

 

 

 

そのある国とは、ご存知『アメリカ合衆国』。

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そして、ここに『日本』の食料自給率が先進国では著しく低く、海外からの輸入に頼らなければいけないという『闇』があるのです。

 

 

 

 

 

 

皆さんは『穀物メジャー』ということばを知っていますか?

 

 

 

 

穀物メジャー』とは、世界中で「穀物」を中心とした取引をすることにより、その資本力によって政治や経済にも影響力を及ぼす大企業のことです。

 

 

 

 

そして、中でも「アメリカ」の『カーギル社』という、一族経営で完全秘密主義の非上場企業としては、世界最大の売上高を誇る大企業があります。

 

 

 

 

第二次世界大戦後、占領下にあった我が国に『GHQ』と『カーギル社』がある行動を進めます。

 

 

 

 

その行動とは。

 

 

 

 

「日本人の食文化を欧米化へと変換‼︎」

 

 

 

 

これだけでは、分かりにくいのでもう少し詳しく説明します。

 

 

 

 

 

戦後、『日本』は『マッカーサー』率いる『GHQ』のもとで戦国処理を行なっていました。

 

 

 

 

さらに、敗戦により深刻な食料難でした。

 

 

 

 

食べ物が何も無かった状態です。

 

 

 

これに目をつけた『GHQ』と『穀物メジャー』で第一線にある『カーギル社』。

 

 

 

 

 

ここで「パン」など小麦を使う主食にした学校給食を、栄養不足で空腹にあえいでいた、育ち盛りの子どもたちに提供することを導入したのです。

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「表向きは…。」

 

 

 

 

 

そして、「裏では…。」

 

 

 

 

 

 

 

「米(コメ)」が主食であった『日本人』の文化や心を根絶やしに消し去ろうとしたのです。

 

 

 

 

小さな子どものうちから。

 

 

 

 

「日本人が二度と刃向かわないように!」

 

 

 

 

何故なら、戦力の差を見ても圧倒していた「アメリカ」をここまで苦しめた『大和魂』というものが目障りだったからです。

 

 

 

 

 

 

御国の為なら、死を恐れぬ『日本人』が怖かったのです。

 

 

 

 

それと同時に、この状況を利用して莫大な利益をもたらそうと考えたのです。

 

 

 

 

 

GHQ』は貧困で栄養不足の子どもたちに給食として、食料を与えてくれるなんてありがたい事じゃないか!と思っている方。

 

 

 

 

大きな間違いです。

 

 

 

 

 

彼らは自国や自社の利益しか考えていないのです。

 

 

 

 

 

それを証拠に、『日本全国』に学校給食が広まり軌道に乗ると『日本政府』は『GHQ』側に無償化を提案。

 

 

 

しかし、「パンなど食料は自らの労働によって手に入るということを、子どもたちに教えるべき!」とこの無償化を退けたのです。

 

 

 

 

 

 

これで、利益を得るための手段であったというのが明らかですね。

 

 

 

 

 

GHQ』と『カーギル社』が手を組んで『日本』を食い物にしていることが。

 

 

 

 

 

GHQ』の最高司令官は『ダグラス・マッカーサー』です。

 

 

 

 

そして、『マッカーサー』は世界最古の秘密結社・『フリーメイソン』のメンバー。

 

 

 

 

マッカーサー』が日本に来るなり、飛行機を降りたと同時に『フリーメイソン日本本部』の場所を視察しに行ったという逸話があるくらい熱心なメンバーでした。

 

 

 

 

 

ちなみに、その場所とは現在『東京タワー』の麓に存在しています。

 

 

 

 

 

メソニックビル』という名称で。

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また、『カーギル社』に資金を提供していた銀行は、「チェース・マンハッタン銀行」という巨大銀行です。

 

 

 

 

 

そして、この巨大銀行の会長は。

 

 

 

 

『世界皇帝』

 

 

と言われていた人物。

 

 

 

 

『ディビッド・ロックフェラー』

 

 

 

 

 

さらに『カーギル社』は小麦の改良に必要な資金を『ロックフェラー財団』から資金援助をしてもらっていたのです。

 

 

 

 

 

繋がってきましたね。

 

 

 

 

 

そして、『日本』が占領下から独立し、『東京オリンピック』の開催などもあり「高度経済成長」に突入。

 

 

 

 

この右肩上がりの『日本』は海外との貿易も自由化になりました。

 

 

 

 

それを懸念した政府は、1961年ある法律が施行されます。

 

 

 

 

 

その法律の名は。

 

 

 

 

『大豆なたね交付金暫定措置法』

 

 

 

この法律は、海外からの大豆輸入自由化に対して、国内の生産者を保護するためのものですが、その条件が厳しいことから、「大豆」や「なたね」の加工業者や、産地での卸売業者へ中々手に入れにくいものとなってしまいました。

 

 

 

 

さらに、生産者側も「農協」関係者でなければ交付金も出ないという条件付き。

 

 

 

 

そして、『東京オリンピック』が2年後に控えるなどで、欧米食のブームも重なり、急速に国内での「大豆」自給率が減少していったのです。

 

 

 

 

それからというもの、徐々に数字を下げ結果的に現在、国内自給率がたったの7%まで下がるというかたちになっていきました。

 

 

 

 

では、この法律を施行した時の「内閣総理大臣」は一体誰だったでしょう?

 

 

 

 

答えは『池田勇人』。

 

 

 

 

彼は『日本』を『GHQ』から独立させた時の「内閣総理大臣」である『吉田茂』の右腕と言われていた人物で、その交渉の際には『池田がいないと話にならない!』とまで言われた人物です。

 

 

 

 

GHQ』と繋がっていたんですね。

 

 

 

 

また、『吉田茂』の孫は現在、「副総理」で元「内閣総理大臣」であった『麻生太郎』。

 

 

 

 

 

ロスチャイルド系財閥』の『ジャーディン・マセソン商会』の元会長が、「日本になにかあれば、いの一番にその情報を聞くのは太郎だよ。」とまで言わしめた大物政治家です。

 

 

 

 

現「首相」よりも…。

 

 

 

 

 

さらに『日本』は同じ年に「植物の新品種の保護に関する国際条約」、通称『ユポフ条約』に加盟します。

 

 

 

 

この条約は植物の新品種の保護を各国が共通の基本的原則に基づく条約になります。

 

 

 

 

 

もう少し分かりやすく説明すると、3年前に『平壌オリンピック』で「カーリング女子」が「イチゴ」を食べる「もぐもぐタイム」というのが話題になったのを覚えていますか?

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あの「イチゴ」、韓国で作られたものですが実はその苗は『日本』で品種改良された「イチゴ」の苗を無断で持ち込み、韓国で栽培された苗だったんです。

 

 

 

そして、これを韓国で栽培していることから、品種登録をしてしまい、現在では高級フルーツになってしまうという事件が起きました。

 

 

 

 

これがもし、『日本政府』がもっと早く分かっていれば著作権としてもっとたくさんの利益を得られたはずですよね。

 

 

 

 

そして、このような事件が起こらないように『種子法』を廃止し、全ての農作物を一世一代にするとなっていったのです。

 

 

 

 

 

『種子法』とは、安定した品種の種子の保護する目的とした法律です。

 

 

 

 

 

この法律を廃止した目的は、先程の事件のようなことがいくつもあったこと・また全ての植物の種子を「農協」などを通して『国』が管理しており、コストがかかっていたこと・そして民間企業の新規参入を促すことなどで、利益を安定できるようにしたことなどです。

 

 

 

 

 

しかし、これ不思議だと思いませんか?

 

 

 

 

確かに、毎回「種子」を購入させれば利益に繋がるし、このような事件も起きませんよね。

 

 

 

 

でも、農家の方々にとっては相当な負担になります。

 

 

 

 

 

それに植物は「種を植えて、芽を出し、花が咲いて受粉し、それが実になり、種になる。そして、その種をまた蒔いての繰り返し」という当たり前のサイクルですよね。

 

 

 

 

それができないなんておかしな話です。

 

 

 

 

 

そして、この「種子」のオリジナルを世界中でかき集めている人物がいます。

 

 

 

 

その人物とは『マイクロソフト』の創業者。

 

 

 

 

 

ビル・ゲイツ

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そして、つい最近、彼はアメリカで個人で農地を一番所有していることが分かりました。

 

 

 

 

「種子を制するものが食料支配をもたらし、食料を制するものが世界を制す。」という構図になっているのです。

 

 

 

 

ここまで、繋がってくるとなんだか怖いですね。

 

 

 

 

 

そんな、状況化に置かれた我が国『日本』。

 

 

 

 

「大豆」ひとつ取ってもこのように繋がっている世界支配層。

 

 

 

 

普段から、単純なニュースとして見るのではなく、その裏で一体何が起きたかの歴史を知り、これから先何が起きるのかを理解すべきかもしれませんね。

 

 

 

 

『愚者は経験を学び、賢者は歴史を学ぶ。』と言った「ビスマルク」のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麒麟がくる

今週でいよいよ最終回を迎えた2020年の大河ドラマ麒麟がくる』。

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(↑NHK大河ドラマ』ホームページから引用)

 

 

 

明智光秀』のイメージも今までと大分変わった方も多いかと思います。

 

 

 

 

 

そして、何か『明智光秀』の生存説をほのめかすような終わり方も見せて、『明智光秀=天海』を彷彿とさせるようなシーンも最終回より少し前くらいからあったのも、歴史好き・戦国時代好きにはロマンを与えたような作品だったと思います。

 

 

 

 

 

そんな大河ドラマ麒麟がくる』でしたが、実は『明智光秀』の菩提寺となる寺院に本当に『麒麟』が装飾されていたのをご存知でしょうか。

 

 

 

 

その寺院とは滋賀県坂本にある『西教寺(さいきょうじ)』になります。

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ここは、比叡山の麓にある寺院で、『比叡山焼き打ち』の際に、焼失してしまいました。

 

 

 

 

しかし、その後『光秀』によって再興され、妻の『内子(ひろこ)』や明智家の一族の菩提寺となり、『光秀』の供養塔もあります。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、この麒麟を見つけて受付に申告すると、御朱印に特別の金印で「解明の証」を押印してくれるそうですので是非行ってみたいものですね。

 

 

 

 

そしてそんな『西教寺』ですが、『光秀』と深く関係のあったのと、比叡山の麓にあっただけに『天台宗』が宗派となっています。

 

 

 

 

その中でも、戒律と念仏を特に重視する『天台宗真盛派』として、現在は約400以上の末寺の総本山となっています。

 

 

 

 

また、総門も坂本城から移築したと伝わっており、『光秀』からいかに信仰があったかが見受けられます。

 

 

 

 

その後、江戸時代になると他の『天台宗』系の寺院と同じく、ある寺院の支配下になります。

 

 

 

 

その寺院とは。

 

 

 

 

『日光輪王寺

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(↑上写真は『日光山輪王寺』ホームページから引用。)

 

 

 

 

そして、この時に住職に就いていたのが、何を隠そう『天海』なのです。

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ここで『明智光秀=天海』という都市伝説が繋がってきましたね。

 

 

 

 

さらに、日光で一番眺めが良い場所。

 

 

 

 

その場所を命名したのは『天海』と伝わっています。

 

 

 

 

 

そして、その場所の名前は。

 

 

 

 

明智平(あけちだいら)』

 

 

 

 

 

また、「大阪城」には『天海』が所有していたと伝わる甲冑が所蔵されています。

 

 

 

 

 

そして、そこにはなんと『麒麟』が装飾されているのです。

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完全に繋がりましたね!

 

 

 

 

麒麟』とは泰平(平和な世の中)に現れる獣類になります。

 

 

 

 

 

戦国という乱世を平和な世の中にしたいと思いを『麒麟』を用いてあらわされていたんですね。

 

 

 

 

 

さて、先程『日光輪王寺』の住職が『天海』という話をしましたが、現在は『日光の寺社』として2社1寺が『世界遺産』となっています。

 

 

 

 

その残りの2社とは、『日光東照宮』と『二荒日光神社』になります。

 

 

 

 

日光東照宮』とは言わずと知れた『徳川家康』を神格化し『東照大権現』を祀っている神社になります。

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また『日光二荒神社』は「日光三山(男体山・女峰山・太郎山)」を御神体とし、さらに『大国主神・妻の田心姫命タキリビメ)・子の阿遅鉏高日子根命(アヂスキタカヒコネ)』が主祭神になっています。

 

 

 

 

 

ここで少し、面白い話を。

 

 

 

 

「二荒(ふたあら)」は訓読みですが、音読みにすると「にっこう」となり、ここから同じ読み方の縁起の良い「日」と「光」をあてて「日光(にっこう)」になったんです。

 

 

 

 

 

そして、これを考えたのも『天海』。

 

 

 

 

また、3代将軍「家光」の霊廟がある『日光山輪王寺 大猷院』の仁王門には口の開いた『阿形(あぎょう)』と、口の閉じた『吽形(うんぎょう)』が安置されており、ここから『阿吽の呼吸』ということばが生まれました。

 

 

 

 

 

さらに、奥に進み霊廟を守る夜叉門には、4体の夜叉が守護しており、その中でも『烏摩勒伽(うまろきゃ)』は全国的にも珍しく、その容姿は膝に像がいることから『膝小僧(ひざこぞう)』ということばが生まれました。

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江戸時代にたくさんの言葉が生まれた中で、「家康・家光」の霊廟からというのが、いかに江戸庶民から親しまれていたことが分かりますね。

 

 

 

 

 

話は戻しまして、『日光東照宮』の表門には像と像と『漠』の彫刻があります。

 

 

 

 

 

この『漠』というのも伝説上の神獣で、悪夢を食べてくれたり、鉄や銅を食料にしていることから、こちらも平和な世の中にしか生きていけないとされている神獣です。

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戦乱の世では、武器や甲冑など鉄や銅を使っているので、食料が無くなってしますもんね。

 

 

 

 

 

また、奥宮である「家康」の霊廟には「鶴亀」があります。

 

 

 

 

この「鶴亀」が「鶴」は空を飛ぶことから『天』。

 

 

 

「亀」は海で泳いでいることから『海』となり、両方を合わせると、こちらも『天海』となるのです。

 

 

 

 

 

「鶴は千年、亀は万年」とおめでたい言葉もここから来ているんですね。

 

 

 

 

「泰平の世」だからこそ、なし得る長生きを。

 

 

 

 

 

 

 

最後にまた少しは変わりますが、『明智光秀』の菩提寺となっている『西教寺』。

 

 

 

 

この場所は滋賀県坂本にあると言うことをお伝えしました。

 

 

 

 

ここで何か、気づいた点はございませんか?

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

あの、明治維新の立役者、『坂本龍馬』の坂本です。

 

 

 

 

 

実は、『龍馬』の祖先は坂本出身であり、『豊臣秀吉』と戦った『山崎の合戦』後に、『光秀』と親交のあった『長宗我部氏』を頼って、高知県に移ったという説があるのです。

 

 

 

 

 

その後、「江戸時代」も幕末となり『龍馬』の活躍によって『薩長同盟』が結ばれて「江戸幕府」は解体。

 

 

 

 

約700年続いた武士の時代は終止符をうち、近代国家として「明治」の時代へと変わっていくのです。

 

 

 

 

そして、その『龍馬』の功績を残すために『トーマス・グラバー』と『三菱』の創業者・『岩崎弥太郎』の弟で、2代目社長の『岩崎弥之助』が「キリンビール」の創設に尽力するのです。

 

 

 

 

そのロゴマークを顔が「龍」、身体が「馬」の神獣をモチーフにして。

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(↑上記は『キリンビール株式会社』から引用)

 

 

 

 

 

そう考えると『麒麟』がくる時にはいつも、新た時代への始まりなのかもしれませんね。

 

 

 

 

2020年の大河ドラマ麒麟がくる』の年のように。

 

 

 

 

 

そして、新時代の幕開けをもし知っていながらこの題名にしていたとしたら。

 

 

 

 

そこまでは分かりませんが、都市伝説ファンとしても中々興味深いと思います。

 

 

 

 

 

今年の大河ドラマは2月14日の『バレンタインデー』からになり、主人公は次の新一万円札の肖像になっている『渋沢栄一』です。

 

 

 

 

どのような物語になっていくかが楽しみです。

 

 

 

 

『龍馬』も出てくると思いますからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦国武将の都市伝説

戦国時代に『越後の龍』・『軍神』などとしょうされ、ほかの戦国大名たちにも恐れられていた武将、『上杉謙信』。

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数々の戦の中でその勝率はなんと96.7%を誇る、戦国屈指の武将でした。

 

 

 

 

 

よく、『越後の龍』と対として比較され戦国最強の『武田騎馬軍団』と恐れられ、『甲斐の虎』と称されたあの『武田信玄』ですらその勝率は68%でしたから、まさに無敵の強さを持つ、最強の戦国武将とも言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、『第六天魔王』と自ら名乗っていた『織田信長』は72%の勝率で第二位につけており、そのつぎの第三位が『武田信玄』なんですね。

 

 

 

 

やはり、戦国時代中期の人気を誇る武将たちは強さあっての人気ということです。

 

 

 

 

そんな『上杉謙信』ですが、通称「川中島の戦い」で、5度に渡り『武田信玄』とぶつかり合っています。

 

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しかし、ここでの戦いはどちらも得を得たものではありませんでした。

 

 

 

 

ただ、そこで「好敵手」として、お互いに実力を認めあうようになったのは間違いがないでしょうがね。

 

 

 

 

実際、『武田信玄』は『上杉謙信』のことを「日本で並ぶ者はいないほど優れている名大将!」と評価しています。

 

 

 

また、『上杉謙信』は食事中に『武田信玄』が死んだと知らせを受けた時、「私はこれほどの英雄を他に記憶していない!」と箸を落とすほど嘆き悲しみました。

 

 

 

 

 

 

こうした所からも、ある意味で友情染みたものも伺えるほど、お互いに戦国最強の「好敵手」として認めていたのでしょう。

 

 

 

 

 

そんな、『上杉謙信』ですが実は「女性」だったという都市伝説があります。

 

 

 

 

 

驚きましたね。

 

 

 

 

『軍神』とまで呼ばれた最強の武将が「女性」だったなんて。

 

 

 

 

しかも、ほんとにそうだったのではないかと思わせる文献がいくつかあり、考えようによっては本当に「女性」だったと言うのもおかしくないんです。

 

 

 

 

 

例えば、あの『三本の矢』で有名な「毛利元就」の子の「吉川元春」の使者が、『上杉謙信』と面会した際には、「身長180cmの大男であった。」と残っていますが、ほかの文献では「小柄であった。」という文献がたくさんのこっています。

 

 

 

 

 

 

また、『上杉謙信』は熱心な仏教信者で特に、「武神」である『毘沙門天』を深く信仰していました。

 

 

 

 

だから、『上杉謙信』の旗印は『毘』なんですね。

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この『毘沙門天』に戦で勝つために、女性との関係を持つこと、また妻ももたないと誓い、戦が始まる前には『毘沙門天』を祀るお堂にひとり篭り、勝利を祈祷していたとつたわっています。

 

 

 

 

 

ただ、当時は男色が当たり前だった時代。

 

 

 

そっちの方は特に誓いを立てていたというのはなかったんです。

 

 

 

 

小柄で妻や女性関係は持たない。

 

 

 

でも、男性とは関係を持つというのは『上杉謙信』が女性であったと裏付けるものとなりますよね。

 

 

 

 

 

また、『源氏物語』などの恋愛物を好んで読んでいたそうで、上洛の際の歌会では、「恋歌」を読んで、参加者全員を驚かせたそうです。

 

 

 

 

しかも、その作品の出来も見事だったとか。

 

 

 

 

また、部下に対しても大事に扱うなどでやはり女性的な面が伺えます。

 

 

 

 

さらに戦の最中でも、ある時期になると必ず腹痛になるという文献から、これは女性特有の月に一度くり生理なのでないかという解釈も出来ます。

 

 

 

 

 

そして、『上杉謙信』が好んで食べていたものがあります。

 

 

 

 

それが芋の茎から出来た「芋茎(ずいき)」になります。

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「芋茎」には含まれる栄養素は炭水化物・タンパク質・ミネラルなどになります。

 

 

 

 

 

なかでも、ミネラルの不足は女性ホルモンの不足になってしまい、生理痛や生理不順が生じやすいという学術学会で最近発表されたばかりです。

 

 

 

 

 

それを分かっていて、安価で手に入りやすくまた戦の時には非常食にもなる「芋茎」を好んで食べていたのでしょう。

 

 

 

 

 

そして、実は『上杉謙信』の生前の肖像画は現存していないんです。

 

 

 

 

江戸時代、武家では「男子継承」以外は認められないという法律になり、特に「上杉家」は外様大名だったので、目をつけられてないように、女性から男性に書き換えられた可能性も否定できないのです。

 

 

 

 

 

勝率が約97%という結果を残しているのも、もしかしたら男性には無い、女性の感性を活かして勝利していたのかもしれません。

 

 

 

 

こうして見てみると本当に『上杉謙信』は女性だったのかもしれないと思ってしまいますよね。

 

 

 

どちらにしても、その強さとカリスマ性を持った戦国最強と言われる『上杉謙信』。

 

 

 

 

「ステイホーム」がつづいている今、もう一度調べてみるのはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

きっと、また違った見方になると思います。

 

 

 

 

そして、違った見方になれば「性」に対する考えも変わってくると思います。

 

 

 

 

そうではない、どっかの会長のようにならない為にも。

 

 

 

 

 

上杉謙信』と『武田信玄』がお互いに尊敬していたような、そんな世界になって欲しいですね!

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立春

 

本日は『立春の日』と言って、暦の上では『大寒』から少しずつ暖かくなり『立春』を境に春の訪れをあらわしている日となります。

 

 

 

 

そんな『立春の日』ですが、約40年間(正確には37年間)ものあいだ、2月4日が『立春の日』でした。

 

 

 

 

ということは『節分』が約40年間、2月3日だったってことですね。

 

 

 

 

なぜなら、『立春』の前日が『節分』になるのですから。

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そして、今年2021年の『恵方』は南南東になります。

 

 

 

恵方』とは、『年神様』が私たちをその年を見守るためにいる方角です。

 

 

 

 

しかも、この『恵方』の方角は実は東北東・西南西・南南東・北北西の4つしかないんです。

 

 

 

 

 

関西地区(特に大阪府を中心)では、『節分』にその年の『恵方=吉方位』に向かって、一切ことばを出さずに巻き寿司をまるまる一本食べ切る『恵方巻き』という風習があります。

 

 

 

 

 

とは言え、いつ頃からこの風習が始まったのかは定かでは無いのですね。

 

 

 

 

ただ、昭和初期には『恵方巻き』という文化が根付いて、平成に入り、『セブンイレブン』が全国展開したことによって、一気に普及しました。

 

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(↑上図は「(株)セブンン&アイホールディングス」から引用)

 

 

 

 

 

私の家も毎年、気になる店の『恵方巻き』を購入し、その時だけは家族みんなで静かに食べています。

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個人的には意外に好きなんですよね!

 

 

 

 

さて、そんな『節分』の翌日が『立春』となるんですが、この日辺りを境に天気予報でも、ある情報が伝えられます。

 

 

 

 

それは、何を隠そう『桜開花予想マップ』🌸

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(↑上図は「日本気象株式会社」から引用)

 

 

 

 

立春の日』から最高気温の合計が540°を越えた時期が開花の時期になります。

 

 

 

 

まさに、「もうすぐ春ですね♪」という感じですね。

 

 

 

 

そして、本日『立春』には『立春大吉』ということばがあります。

 

 

 

特に禅宗ではお札も配ってそれを玄関口に貼っとくという風習があるのですが、名前からしても縁起が良さそうなもの、実はこれ、字にその力が隠されているんですね。

 

 

 

 

そこで、この字に関連したちょっと面白い話があるのでご紹介したいと思います。

 

 

 

 

ある年の『立春の日』に鬼が玄関からやってきた。

しかし、この家は禅宗で『立春大吉』というお札を授かっており、それを玄関口に貼っていました。

鬼が玄関から入って、ふと振り返ると同じ『立春大吉』と言う文字があり、鬼は「あれ?こっちが玄関か。」と思い、そのまま外に出て行って、その家は難を逃れたと言うお話です。

 

 

 

 

 

もう少し詳しくすると、『立春大吉』の字の形を見てもらうと分かりやすくなります。

 

 

 

 

この字をよく見ると左右対称になっていますよね。

 

 

 

 

それを紙に書いて裏から見ても同じように見えるんです。

 

 

 

だから、鬼は間違えて結局は外に出てってしまったんですね。

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また、本日は『立春』と同時に『初午』の日でもあります。

 

 

 

 

『初午』とは、稲荷神社に参拝し、商売繁盛・家内安全などを祈願し、その後各家庭で「お稲荷さん」などを食べて祝う風習になります。

 

 

 

 

ではなぜ『初午』と言うと、2月の最初の午の日に伊奈利山に穀物の神様が降り立ったことに由来しています。

 

 

 

そしてその神様が降り立った伊奈山にできた神社が『伏見稲荷神社』なんです。

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旧暦の2月はちょうど今の3月あたりになります。

 

 

 

この時期にちょうど稲作の準備を始めることから穀物の神様に五穀豊穣を願い、祭事としたのが風習になっていったんですね。

 

 

 

 

 

ちなみによく「稲荷神社」にはキツネがいますが、これは神使といって神様の使いなんです。

 

 

 

だから、まずは神様の使いのキツネに失礼の無いように「お稲荷さん」を捧げるんですね。

 

 

 

 

また、関西ではキツネの耳に見立てた三角形のかたちの「お稲荷さん」に、関東では米俵型のかたちをした「お稲荷さん」が一般的になっています。

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(↑関西型)

 

 

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(↑関東型)

 

 

 

 

このほかにも「初午団子」といって繭に似たてたかたちの団子を食べるなど、各地でさまざま違った風習が残っています。

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「初午団子」の食べ方も独特なものがあり、醤油をつけずに食べるのがしきたりとなっているんですが、その理由は色をつけると、繭に汚れがついてしまうからとなっています。

 

 

 

 

このように、本日は『立春』・『初午』と重なっているので、もしスーパーなどで見かけたら買ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

また、近くに「稲荷神社」がある方はお詣りに行くと、良いことがあるかもしれませんね。

 

 

 

 

そんな風にして『日本』の伝統文化を絶やさないようにしていきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

124年ぶり

少しずつですが、暖かい日も何日かあり春の訪れを感じることも出来ますが、あと数日後にはその春の訪れ暦の上であわらす『立春の日』になります。

 

 

 

 

そして、今年2021年(令和3年)の『立春の日』は2月3日になります。

 

 

 

 

この日を過ぎると少しずつ春の訪れをを肌で感じられるようになってきますね。

 

 

 

 

 

というのも、『立春の日』から最高気温の合計が540°になると、『桜』が開花時期になると言われているんです。

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また、『立春』から『春分の日』の間に、強い南風が吹くことを『春一番』と呼んでいるように、やはり少しずつですが、「春」に近づいているような気がします。

 

 

 

 

また、古代から季節の変わり目になる日に邪鬼(不吉な日)がやってくると言われいます。

 

 

 

 

よく、季節の変わり目には体調を崩しやすくなったりしますもんね。

 

 

 

 

 

『春夏秋冬』それぞれ『立春』・『立夏』・『立秋』・『立冬』と暦の上ではちゃんと、季節の変わり目があり、その前日が『節分』になるんです。

 

 

 

 

 

まさに「季節が分かれてる節目の日」ですね。

 

 

 

 

 

 

 

だから昔は『春夏秋冬』それぞれで『節分』が行われていたんです。

 

 

 

 

そんな中でも、1年のはじめの『節分』は特に重要とされ、その名残がいまも残って、『立春』の前日の『節分』だけが年中行事として行われるようになりました。

 

 

 

 

 

そして、『立春』の前日が『節分』ということは2021年は2月2日になるんです。

 

 

 

 

 

 

それはなんと124年ぶりの出来事です。

 

 

 

 

『節分』と言えば、「鬼は外、福は内!」でもお馴染みですね。

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季節の変わり目は、病気や怪我など体調が崩しやすくなるので、それを鬼に例えて外(身体や家庭内での邪気)に出すことから「鬼は外!」となりました。

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また、「福は内!」とは、炒った大豆を桝に入れて神棚に供え、それをその家の主人が各部屋を回って豆をまくのが風習となっています。

 

 

 

 

ただ、最近では「お父さん」や「お爺ちゃん」が鬼の役をやる家庭の方が多いですけどね。笑

 

 

 

 

 

なぜ「炒った大豆」をまくかというと「小豆」が邪気を払うものとして『春分秋分の日』におはぎ(お萩)、ぼた餅(牡丹餅)を食べる風習があります。

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それよりも大きい豆(大豆)は縁起が良いもの考えられ、特に『立春』前は旧暦の正月に近かったこともあることから、縁起物として、「大豆」をまく風習にようになったんです。

 

 

 

 

 

また、なぜ炒った大豆かというと、拾い忘れた豆から芽がでるのは良くないとされていることから、火を通し芽が出ないようにとしたのです。

 

 

 

 

 

そして、この炒った豆のことを『福豆』と言います。

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この『福豆』を食べることから「福は内!」と言うんですね。

 

 

 

 

 

ここで、少し話はズレますが鬼の一般的な容姿を想像してみてください。

 

 

 

 

ツノが生えて虎皮のパンツを履いていますよね。

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このようになったのは風水と干支から来ているんです。

 

 

 

 

風水では「北東」が「鬼門」となっています。

 

 

 

 

また、干支の順に円にするとちょうど「北東」の場所が「丑」と「寅」になるんです。

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だから、鬼は牛のようにツノが生え、虎皮のパンツを履いているんですね!

 

 

 

 

 

もう一つ面白い話がありまして、鬼の大将と呼ばれている鬼の名前をご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

その鬼の名前は『酒呑童子(しゅてんどうじ』』。

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酒呑童子』は京都府にある「大江山」を拠点としていた鬼の大将ですが、平安時代に京の若者や姫君が次々とさらっていった鬼で、その拠点を『安倍晴明』が占いでつきとめました。

 

 

 

 

 

そこで『酒呑童子』を成敗するために、「源頼光」とその家来の「頼光四天王」らが酒好きな『酒呑童子』に酒を呑ませて酔っ払ったところを退治すると言う御伽話です。

 

 

 

 

源頼光」と『酒呑童子』が酒を呑み交わしている時に、

「俺は本当は、比叡山に住んでいたんだ。それを『最澄』が『延暦寺』を建てるからと追い出したもんで、この地に拠点を移したんだ。」

と言っているのです。

 

 

 

 

比叡山 延暦寺』とは京の都からみれば「北東」。

 

 

 

 

まさに『鬼門』の位置にあるんです!

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また、『酒呑童子』が酔っ払って退治される最中、「鬼でもこんなやり方はしない!」と言ったのだとか。

 

 

 

 

 

本当に怖いのは人間ということでしょうか…。

 

 

 

 

 

いま、まさにそんな世界になっている気がしてならないのは、私だけでしょうか。

 

 

 

 

 

 

源頼光」の異母兄弟にはのちの『鎌倉・室町幕府』を成立する「源頼朝」・「足利尊氏」の祖である「源頼信」がいます。

 

 

 

 

 

そして、「頼光四天王」の中には昔話でも有名な『金太郎』が成長した「坂田金時」がいます。

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銀魂‼︎』の主人公、「坂田銀時」じゃないですよ!笑

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さて、話を戻しまして124年前の『日本』。

 

 

 

 

 

どーだったか分かりますか?

 

 

 

 

 

実は好景気だったんです。

 

 

 

 

正確にはその年以降さらに景気が良くなるので、好景気のスタートともいえるのですが、何か明るい兆しが見えてきますよね。

 

 

 

 

 

さらに、124年前のこの年、近代オリンピックの第一回大会である『アテネオリンピック』が開催されました。

 

 

 

 

 

そして去年から延期となり、「4」で割り切れない年に開催予定の、史上初のオリンピック・パラリンピックが、『東京オリンピックパラリンピック』。

 

 

 

 

景気回復には打ってつけのビックイベントがあります。

 

 

 

 

さらに、次に2月2日が『節分』になる年は2025年。

 

 

 

この年は『大阪万博』が開催予定となっています。

 

 

 

 

 

このように、明るい兆しがある中で未だ、終息の目処が立たない新型コロナウィルス。

 

 

 

 

しかし、ワクチン接種などで少しずつではありますがそれも明るい兆しが見えて来ていると思えます。

 

 

 

 

『日本』での接種は未だにハッキリとされていなく、遅いと感じる方や逆にそうでない方。

さまざまにいると思いますが、それを逆手にとりすでに接種した国々の反応を見て、ちゃんと見極めることが出来る『日本』。

 

 

 

 

 

明るい未来のためにも、今後の判断を間違いのないように共有して、一致団結しなければいけないですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三英傑と明智光秀

前回はだいぶぶっ飛んだ、戦国時代後半のお話を途中までしましたが、今回はその続きを。

 

 

 

 

ちなみに、これは私の想像の範囲、こうだったら面白いなというフィクションですのでご了承ください。

 

 

 

 

 

さて、「豊臣秀頼」の元服までを補佐する役職である『五大老』の筆頭となった「徳川家康」。

 

 

 

 

 

その頃、『天皇家』や公家が住んでいる京の都や「秀頼」の本拠地である大坂(現在は大阪と字が変わっています。)から、かなり離れた場所の江戸に本拠地を移し、着々と領土の開拓に励んでいました。

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そのおかげで現在も首都・東京として成り立っている部分も多いんですね。

 

 

 

 

 

そんなある時に、『五大老』の重鎮でご意見番として担っていた「前田利家」が死去。

 

 

 

 

 

 

「これでもう自分に何も言うヤツはいない!」と悟った「家康」は一気に実力行使に出ます。

 

 

 

 

 

ではなぜ、こんな実力行使に出れたのか。

 

 

 

 

それは『比叡山』出身のある僧と出会ったからです。

 

 

 

 

その僧とは…。

 

 

 

 

 

『天海』

 

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この2人の出会いで時代が動いたんですね。

 

 

 

 

「どのようにして『豊臣政権』を潰そうか。」

 

 

 

 

 

悩んだ末に「家康」は『天海』に相談。

 

 

 

 

 

のちには『徳川幕府』のブレーンにもなる『天海ですが、この時『朝廷』との交渉役を担うんです。

 

 

 

 

 

関ヶ原の戦い』の大義名分を。

 

 

 

 

そして、その後「徳川家康」は『征夷大将軍』に任命され、『江戸幕府』を開府。

 

 

 

 

この時も『天海』が朝廷側との交渉役に。

 

 

 

 

では、なぜここまで『天海』が朝廷側との交渉が出来たのか。

 

 

 

 

 

それは言うまでもない、『天海』が「明智光秀」だったからです。

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前回、『本能寺の変』は実は「信長」のわがままで起こした自作自演の出来事というお話をしました。

 

 

 

 

 

(信長)「もう、色んなプレッシャーで疲れたから社長(織田軍のトップ)辞めて、妻と一緒にどこか静かな場所で暮らしたいなぁ。でも、急に辞めるのもあれだから、副社長の光秀。おれに謀反を起こして、おれを死んだことにしてよ。」

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(光秀)「えー、私がですかぁ。嫌だなぁ、そんな役。」

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(信長)「大丈夫だよ、君には『天皇家』や公家、そして公方様の後ろ盾もあるし、戦術にもたけてるじゃん。それにおれ、チョー嫌われてるし…。」

 

 

 

 

(光秀)「分かりましたよ、やれば良いんでしょやれば。」

 

 

 

 

そこに取締役専務の「秀吉」が登場。

 

 

 

 

(秀吉)「それは流石に他の者たちに示しがつかないんじゃないですか?こうは、どうでしょう。

光秀様が信長様を討って、信長様はどこか違う土地で静かに余生を過ごされる。

信長様を討った光秀様を敵討ちとして、私が討つと見せかけて光秀様を逃す。

そのかわり、家族のいのちの保障は私がします。

そうだなぁ、光秀様は『延暦寺』攻略の時の総大将だったし、向こうとも面識があるから、『延暦寺』に匿ってもらいましょう。

僧侶になったとして。

もちろん、名前は変えてね!」

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これを聞いていた傘下の社長「家康」。

 

 

 

 

(家康)「…。」

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(信長)「よし、んじゃあこの作戦で行こう!」

 

 

 

 

もはや自分のことしか考えていない「信長」の意向と、「秀吉」の思惑にはめられた「光秀」。

 

 

 

それを黙って聞いていた「家康」。

 

 

 

 

 

 

このような流れで、始まった『本能寺の変』と『豊臣政権』ですが、「秀吉」も高齢になり、子供もいないということで、「家康」に次を頼むと言われます。

 

 

 

 

 

それを承諾した「家康」でしたが、「秀頼」が生まれた途端、その考えを180度変え「秀頼」補佐し、『豊臣政権』を守ってくれ!と言われます。

 

 

 

 

 

どこまでもずる賢い「秀吉」ひいては『豊臣政権』に対して怒った「家康」が「光秀=天海」に相談し、『関ヶ原の戦い』で勝利し、ようやく『天下人』になったんです。

 

 

 

 

 

まさに、『鳴かぬなら 鳴くまでまとう 時鳥』ですね!

 

 

 

 

その後も武家としてではなく、公家(関白)として存在し続ける「秀頼」。

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「家康」は上洛するたびに何度も「秀頼」と直接会う機会を設けてますが、それを嫌がる母「淀姫」。

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その理由は、さまざまですが「家康」に屈服するのを嫌がったなどとあります。

 

 

 

 

 

 

「淀姫」側としては、いまだ『関白』である「秀頼(『豊臣政権』)を維持していきたいと言う母親の親心があったんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

しかし、そんな逃げの姿勢も束の間。

 

 

 

 

「家康」の『天皇』攘位という名目でいよいよ「秀頼」と「家康」が直接会うことになります。

 

 

 

 

そして、いざ対面してみると「家康」はビックリしました。

 

 

 

 

 

「秀頼」の容姿を。

 

 

 

 

それがなぜかと言うとあまりにも身体が大きかったからです。

 

 

 

 

当時の平均身長は150cmほど。

 

 

 

 

しかし、「秀頼」の身長はなんと197cm、約200cm近くもあったんです。

 

 

 

 

今ですらこんな身長があったら驚きますが、それが『戦国時代』だとしたら…。

 

 

 

 

 

腰を抜かすほど驚きますよね。

 

 

 

 

ここで「家康」は『豊臣政権』を根こそぎ滅亡させようと決意するのです。

 

 

 

 

『光秀=天海』と共に。

 

 

 

 

 

こうして2回の『大坂の陣』で、『豊臣政権』は滅亡するのですが、実は「秀頼」は生き延びて、九州に行ったと言う説があります。

 

 

 

 

 

さらに九州で子供までおり、鹿児島ではある有名な人物の名が「豊臣秀綱(ひでつな)」だったと言う古文書が寺院に残っているのです。

 

 

 

 

 

では、その人物とは。

 

 

 

 

 

 

天草四郎時貞

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その理由は「馬印」という、戦において大将がそこにいると知らしめる旗が「千成瓢箪」だったのです。

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しかも、『江戸幕府』の筆頭老中など12万の戦力で全滅させているのです。

 

 

 

 

『豊臣政権』滅亡のために。

 

 

 

 

そしてそれ以降、江戸時代を通して三桁を越える戦争がないことから、江戸時代最後の戦いとなり、平和な時代が230年も続くことになったのです。

(『戊辰戦争』は『大政奉還』後なので、実際は江戸幕府は解体している。)

 

 

 

 

 

 

まさに、『徳川の世』になったわけです。

 

 

 

 

 

そして、『天海』は『江戸幕府』のブレーンとして、江戸市中を中心に陰陽道など風水を駆使して、さまざまなものを設計し平和な世を作りあげていったんです。

 

 

 

 

 

 

こうして、一時代をを築いた『三英傑』と「明智光秀」。

 

 

 

 

歴史で習う事だけでなく、色々な角度から視ることによってまた、新たな発見が見つかるのではないでしょうか。

 

 

 

また、「コロナ禍」により今まさに新たな時代へと移り変わっています。

 

 

 

このような時代だからこそ、先人たちが生き抜いた知恵を駆使し、より良い時代にしていかなければいけません。

 

 

 

 

次の世代のために!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦国武将

去年の『大河ドラマ』が新型コロナウイルス感染拡大予防のために、第一回目の『緊急事態宣言』の影響で、延長され異例の年をまたいでの放送となっています。

 

 

 

 

 

さて、去年から今年初めにかけての『大河ドラマ』の題名は『麒麟がくる』ですが、その主人公は「明智光秀」になります。

 

 

 

 

明智光秀」とは、『本能寺の変』で「織田信長」を滅ぼし、その後「羽柴(豊臣)秀吉」によって滅ぼされるまで野間『天下』をとった、通称『三日天下』と呼ばれている武将であまり良いイメージが無い方のほうが多いのでは無いでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

でも、実は「明智光秀」と言う武将、かなりの戦略家であり、『天皇』や公家・そして『公方様(足利将軍)』など権力のある人物たちと関わりがある武将でもあることから、人脈にも秀でた武将でありました。

 

 

 

 

 

さて、ここからは少しぶっ飛んだ、私なりの解釈でこの戦国時代を駆け抜けたいわゆる『三英傑(織田信長豊臣秀吉徳川家康)』とその間の「明智光秀」についてお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

当時は100を越える、さまざまな『戦国大名』がおり、『◯◯軍』などと言われてましたが、これはいまで言う「企業」みたいなものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中で『織田軍』と言うのは、戦国時代後半の当時はもはや大企業になっています。

 

 

 

 

 

 

また、この時すでに『右大臣』に任命されていた「織田信長」。

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『右大臣』とは、幕末まで続いた『律令制』での行政・立法・司法(三権)を担当する最高機関で、その長官が『太政大臣』、次に『左大臣』、その次が『右大臣』の順となっている役職になります。

 

 

 

 

 

その『右大臣』という役職から長官である『太政大臣』になるか、もしくは成人した『天皇』の補佐役で、実質的に公家の最高位である『関白』か、それとも武家の棟梁である『征夷大将軍』になるかを選べ!と『天皇』から言われた「織田信長」。

 

 

 

 

 

ようは『三権の長』・公家の最高位・全国のあらゆる企業を参加にした大大企業の社長のどれかを選べ!と言われたのと一緒です。

 

 

 

 

 

これはさすがに相当なプレッシャーですよね。

 

 

 

 

だから、もう辞めたいみたいな事を考え始めてました。

 

 

 

 

 

それを「織田軍」のナンバー2(企業でいう副社長」の「明智光秀」とナンバー3(企業でいう取締役専務)の「豊臣秀吉」に相談。

 

 

 

 

 

「プレッシャーかかるし、もう辞めて余生を妻の「濃姫」と一緒にどこか静かな場所で暮らしたいなぁ。」などと。

 

 

 

 

そこで思いついたのが、『本能寺の変』。

 

 

 

実は、この3人がグルになって「信長」が死んだことするという希望を聞いてあげたのです。

 

 

 

 

 

そして、その結構役に選ばれたのがナンバー2である「明智光秀」。

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「光秀」は先述でも言った通り、『天皇家』・公家・そして公方様(室町幕府の棟梁)にも繋がっているし、次の社長になるには最適な人材だったんですね。

 

 

 

 

 

ただ、さすがに形だけとは言え、裏切りという行為は他の部下たちには納得出来ません。

 

 

 

 

そこでナンバー3である「豊臣秀吉」が「明智光秀」を仇を討つという形にしました。

 

 

 

 

 

 

 

そのかわり、「明智光秀」のその後の生活や家族の事は完全に保障するということで。

 

 

 

 

これは「秀吉」のある意味、成り上がる為の策略ですね。

 

 

 

 

 

さすがは農民出身の「雑草魂」といったところでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして『本能寺の変』後の『山崎の戦い』の、のちに「光秀」の身を隠すのに選ばれたのが『最澄』が創建した『天台宗 総本山 建暦寺』。

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というのも「信長」は生前、『建暦寺焼き討ち』を結構しており、その作戦担当だったのが「光秀」。

 

 

 

 

 

いくら当時としても、いきなり焼き払うなんてことは無く、何度も何度もの交渉の末のこの決断なので、僧の幹部と「光秀」とは、言わば顔見知りになります。

 

 

 

 

また、他の武将が降りてくる者を女・子供も含めて皆殺しにしている中、「光秀」だけは見逃していたなんて説も伝わっています。

 

 

 

 

 

そうした縁から『建暦寺』側からも受け入れてもらえたんですね。

 

 

 

 

 

さて、こうしてナンバー3でありながら、社長にまで上り詰めた『豊臣秀吉』。

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その後も破竹の勢いで全国を平定し、いよいよ『天下人』になりさらには『関白』という称号も手に入れるわけですが、この時に傘下となっており、強い企業(軍)だったのが、「徳川軍」です。

 

 

 

 

 

 

 

「家康」は子供のころ、一時期ではありますが「信長」のもとで人質として暮らしており、その後「今川義元」のもとに人質になってその「今川義元」が『桶狭間の戦い』で「信長」に敗れます。

 

 

 

 

 

この『桶狭間の戦い』で「今川軍」がバタバタしている間に、どさくさに紛れて「岡崎城(家康先祖代々の元々の本拠地)」を奪還。

 

 

 

 

こうした背景からこの「信長」の作戦に加わっていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

さて、『関白』となり「朝鮮出兵」などで世界を手にしようとした「秀吉」。

 

 

 

 

 

この時、すでにかなりの高齢(「家康」も)で「私が死んだら、家康殿に今の地位を譲りたい。むしろ、お願いしたい。」と頼む「秀吉」。

 

 

 

 

 

それを承諾するナンバー2の「家康」。

 

 

 

 

 

 

 

「家康」にもようやく、陽の芽が当たってきましたね。

 

 

さぞ、ホッとしたでしょう。

 

 

 

 

なぜなら、「秀吉」もそろそろ寿命が尽きそうですから。

 

 

 

 

だから、自分は「秀吉」が死ぬまで絶対に生き抜くと。

 

 

 

 

しかし、その後「秀吉」に実子であるのちの「豊臣秀頼」が誕生。

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そして「秀吉」は「家康」にこんな事を言います。

 

 

 

「どうか、私が死んだのちも「秀頼」の力になり、『豊臣政権』を支えて欲しい!」

 

 

 

 

 

これを聞いた「家康」はさすがに「えぇぇ〜‼︎」と思った事でしょう。

 

 

 

 

 

苦笑いするしかないですよね。

 

 

 

 

 

そして、これを一緒に聞いていたのが『五大老』の重鎮、「前田利家」。

 

 

 

 

「利家」はもともと「信長」に可愛がられていた古参の「織田軍」です。

 

 

 

 

しかも、男色が当たり前だったこの時代。

 

 

 

 

「信長」の小姓として「信長」と体の関係があったという説もあるくらいです。

 

 

 

 

 

そして、『本能寺の変』の事実を知っているのは「秀吉」と「家康」だけ。

 

 

 

 

 

これは決して口には出せないことだし、きっと「秀吉」からの圧力もあったのでしょう。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、「秀頼」が元服(成人)するまで『五大老』の筆頭として、補佐する役目を果たしながら、遠く江戸の開拓に力を注いでいました。

 

 

 

 

 

さて、この後いったいどのように、歴史は動いていくのでしょう。

 

 

 

 

それは次回のお楽しみに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の朝食

最近、ますます寒さを感じる季節となってきましたが、皆さんはどのような対策を取っているでしょうか?

 

 

 

 

今年の冬は新型コロナウイルスの影響もあり、簡単に咳をするのも白い目で見られてしまうと言う昨今ですが、心の底から早期終息を願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

さて、つい先日ですが暦の上では『大寒』となり、その言葉通り極寒と感じた方も多かったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そんな『大寒の日』に食べると縁起の良い食べ物をご存知ですか?

 

 

 

 

 

その食べ物とは何を隠そう、『たまご』なんですね。

 

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別名を『完全栄養食品』。

 

 

 

 

 

目玉焼き・ゆで卵・たまご焼きに、たまご掛けご飯。

 

 

 

 

どれもその「黄身」と「白身」の見た目から食欲をそそる食べ物のひとつですが、実は冬の『たまご』は栄養価の高い食べ物として重宝されてきました。

 

 

 

 

 

その理由は、昔は外で飼育されている鶏が多く、エサもそれほど多くは無い季節に産むことによって、これほど滋養に効く食べ物は無いとされていたからです。

 

 

 

 

実際に、夏より冬のほうが水(湿度も低いですよね!)が少ないため、その中で『たまご』を産むことで鶏自身も大変な労力を使うんです。

 

 

 

 

そして、『たまご』自体も水分が少ないために、「黄身」の部分がより濃くなることでより一層、栄養価の高いものと考えられ、それを食べれば健康になるとして、『健康運』にご利益があるとなっています。

 

 

 

 

 

また、冬の『たまご』はその「黄身」の色が黄色であり、より色も濃いことから『金運』にご利益もあると言われています。

 

 

 

 

 

その際たるものが『大寒卵』。

 

 

 

 

 

一年で一番寒い『大寒の日』に産んだ『たまご』は、いまよりもずっと手に入りにくい物だったので、余計に縁起物として重宝されていたんですね。

 

 

 

 

 

さて、そんな『完全栄養食品』の『たまご』ですが、食物繊維とビタミンCは含まれいません。

 

 

 

 

 

それを補うのが、『日本人』の主食である『米』や『小麦』。

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『米』や『小麦』には食物繊維も含まれており、それと一緒に摂取することによって不足している栄養素を補うことができます。

 

 

 

 

さらに食物繊維とビタミンCは『大豆』や『海藻』に含まれていることから、『味噌』・『豆腐』・『わかめ』などといったものを合わせた『味噌汁』を飲むことによって、栄養素を全て取り入れることができるのです。

 

 

 

 

 

 

あれっ?

 

 

 

主食と副菜、汁は揃ったけどメインの主菜が無いじゃんと思った方、ちょっと待って下さい。

 

 

 

 

実は、最近の論文で新型コロナウイルス感染予防対策としてビタミンDを摂取するよう、たくさんの医師から要望すると言う記事が発表されました。

 

 

 

 

 

では、ビタミンDを含む食べ物とは何か。

 

 

 

 

それが魚類やキノコ類なのです。

 

 

 

 

特に魚類にはDHAなど人のからだではほとんどつくることが出来ない、必須脂肪酸の一種やカルシウムなども含まれており、中でも『シャケ』にはビタミンDが多く含まれているんです。

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(↑上図は『すき家』の『鮭納豆定食』を参照。)

 

 

 

 

 

そして、食事の際に一緒に飲む『緑茶』にも食物繊維・ビタミンCが含まれています。。

 

 

 

 

このことから分かることとは、まさに『日本の朝食』がベストなのです。

 

 

 

 

 

やはり『日本の伝統』とは素晴らしいですね!

 

 

 

 

 

 

そして、さらにビタミンDを無料で摂取出来る方法。

 

 

 

 

 

それが、『日光浴』。

 

 

 

 

 

特にこれからどんどんとポカポカ陽気になってくるので、日向ぼっこは健康面に置いても良かったんですね。

 

 

 

 

ただ、太陽光はも浴びてしまうので多くても20分・少なくても10分程度がちょうど良いとされています。

 

 

 

くれぐれも当たり過ぎないように。

 

 

 

 

とは言え、ゆっくりと時間が取れる休日などは朝に『日本食』を食べ、そのあと自宅の庭やベランダなどで日向ぼっこをしながらお茶を飲むなんて光景。

 

 

 

 

想像するだけで、心も身体もリフレッシュ出来そうですね!

 

 

 

 

『緊急事態宣言』で、不要不急の外出自粛を要請されているいま、「おうち生活」をしながらこのような健康維持を継続していきたいですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大寒

いよいよ、本格的な寒さになってきましたが、皆さんはどのような「防寒対策」をなされているでしょうか?

 

 

 

2021年の『大寒』は1月20日でしたが、特に深夜から朝方に掛けては特に肌身に感じる寒さを実感し、目が覚めてしまうくらいの寒さでした。

 

 

 

 

 

さらに、朝には車の窓に水蒸気の結晶が貼るほどで、暦の上でも、そしてその名にふさわしい程の、まさに『大寒』だなと感じた朝でした。

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大寒』とは一年の中でも最も寒さに厳しい時期ですが、世界的にみても新型コロナウイルスの影響で、経済的には最も寒く厳しい時期となっています。

 

 

 

 

 

そんな中で、1月12日に「菅義偉」首相とある人物が電話で会談をしたという報道がありました。

 

 

 

 

その内容は、「『東京オリンピックパラリンピック』の開催は、新型コロナウイルス感染症の克服に向けて、世界に大きなメッセージになる。」と訴えたのに対して、「菅義偉」首相も「必ずやりきる!」と応じました。

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また、それと同時に『東京栄養サミット』の開催の期待にも双方のあいだで期待を示しました。

 

 

 

 

 

 

さて、このある人物とは一体誰だと思いますか?

 

 

 

 

 

勘の良い方はもうお気づきですよね?

 

 

 

 

 

 

マイクロソフト』の創業者である人物。

 

 

 

 

 

 

ビル・ゲイツ

 

 

 

 

 

そして、この会談にはもう一人同席した大企業の社長が居合せていました。

 

 

 

 

 

その大企業とは…。

 

 

 

 

 

サントリー

 

 

 

 

 

さて、何故『サントリー』の社長がここに居合わせたのかというと、実は『サントリー』はあるワインの『日本』での販売元になっています。

 

 

 

 

 

そのワインとは。

 

 

 

 

 

『ドメーヌ バロン ド ロートシルト ラフィット』

 

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そして、この親会社はあの世界最大の金融財閥の一族になります。

 

 

 

 

それが…。

 

 

 

 

 

ロスチャイルド家

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ロートシルト』とはドイツ語読みで、英語読みだと『ロスチャイルド』になるのです。

 

 

 

 

 

また、1月19日に内閣の『行政改革担当大臣』である、「河野太郎衆議院議員が新たに出来た担当大臣に任命されました。

 

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

新型コロナウイルスワクチン接種 担当大臣』

 

 

 

 

 

 

『行政』とは、国や地方公共団体などの組織がが法律で決められたことを実施するものです。

 

 

 

 

例えば、電車やバスなどの公共施設・役所・はたまた一般家庭においてはガスや水道・電気、そして道路などに、そして子供たちが通う小・中学校などを法律の下で管理する組織のことです。

 

 

 

 

 

その『行政』を時代に合わせたものにしようと改革するのが『行政改革』であり、その担当大臣が『新型コロナウイルスワクチン接種』の担当大臣になったのです。

 

 

 

 

 

もう、お分かりですね。

 

 

 

 

接種しなければどうなるか…。

 

 

 

 

この2つの担当大臣になった「河野太郎」議員ですが、前『防衛大臣』でもあり、前職は今の『富士フイルム』。

 

 

 

 

 

富士フイルム』といえば「アビガン」など新型コロナウイルスのワクチンを開発に尽力を注ぎ、話題になりましたがそのワクチンを支援した団体があります。

 

 

 

 

 

 

『ビル&メリンダ ゲイツ財団』

 

 

 

 

 

 

点と点が全て繋がりましたね。

 

 

 

 

 

最も寒さの厳しい時期である『大寒』が過ぎ、季節はこれからどんどんと日も長く暖かくなってきますが、果たして我が国、いや全世界は明るい時代になるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

そうなるためにも自分自身で色々な角度から情報を集め、共有し子供たち、孫たちの世代がより良い世界になるために努めていかなければいけないと、より一層感じた『大寒の日』でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かごめかごめ

さて、『緊急事態宣言』が発令され2週目の週末が終わりましたが、皆さんはどうお過ごしでしょうか?

 

 

 

 

銀座や秋葉原などでは週末の歩行者天国(通称:ホコ天)も中止となり、東京都が一丸となって外出自粛を要請しているのが分かります。

 

 

 

 

このように昼も夜もの不要不急の外出を自粛要請しているのにも関わらず、なぜ外出してしまうのでしょうか?

    

 

 

 

 

 

全く理解が出来ません。

 

 

 

 

 

個人的には3月に子供が産まれてるのと、子供たちがまだ小さいのでなるべく外に出るのは控えていますが、この「巣籠もり生活」の中でも新たな遊び方を見つけ、日々楽しんでいます。

 

 

 

 

 

そんな中でも、子供たちがよく歌っている『童謡』。

 

 

 

 

『童謡』と調べるだけでいくつも実はこう言う説があったなどと出てきますが、その最たるものが『かごめ かごめ』。

 

 

 

 

 

たくさんの研究者が色んな説を唱えています。

 

 

 

 

「『徳川埋蔵金』のありかを示している。」や、遊女の環境のことなどと。

 

 

 

 

 

ただ、私はちょっと違った解釈をしました。

 

 

 

 

 

そこでまずは歌詞をおさらいしたいと思います。

 

 

 

 

 

かごめ かごめ   かごのなかのとりは

 

 

 

いついつ   であう

 

 

 

よあけのばんに  鶴と亀がすべった

 

 

 

 

うしろのしょうめん   だれ?

 

 

 

 

 

と言う歌詞になります。

 

 

 

 

 

さて、この歌詞から読み解くできるのは。

 

 

 

 

まずは最初の歌詞。

 

 

 

かごめ かごめ   かごのなかのとりは

 ↓         ↓                               ↓

籠目  籠目      籠の中の鳥居は

 

 

 

 

 

いついつ   であう

 ↓                    ↓

何時何時   出会う

 

 

 

 

 

よあけのばんに   鶴と亀がすべった

   ↓                               ↓

夜明けの晩に     鶴と亀が滑った

 

 

 

 

 

うしろのしょうめん    だれ?

   ↓                                  ↓

後ろの正面        誰?

 

 

 

 

となります。

 

 

 

 

では、ここから解説。

 

 

まず、「籠目と」は籠の編み目のことをさします。

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何角形に見えますか?

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

六角形。

 

 

 

そして、「籠の中の鳥居」とはまさに神社のことを指しています。

 

 

 

 

では、その鳥居の神社とは。

 

 

 

出雲大社

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では、なぜ『出雲大社』かと言うと『出雲大社』の『神紋』が六角形なんです。

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そして次に「何時何時 出会う」ですが、「出会う」と言うことばは、「外に出て敵に立ち向かう」と言ういみがあります。

 

 

 

 

そして、「夜明けの晩に 鶴と亀が滑った」とありますが、「夜明けの晩」とは『国譲り』の前のこと。

 

 

 

天皇制』が『日本』で開かれる前のことを指します。

 

 

 

 

天皇』の先祖神は『天照大御神』であり、『太陽神』ですから。

 

 

 

また、「鶴と亀が滑った」とは神社にいる神の使い「神使」のことを指します。

 

 

 

 

そして、神社で「鶴」が「神使」は『諏訪大社』。

 

 

 

また、「亀」は『松尾大社』になっています。

 

 

 

 

諏訪大社』の主祭神は『建御名方神タケミナカタノミコト)』です。

 

 

 

松尾大社』の主祭神は『大山咋神(オオヤマクイノカミ)』。

 

 

 

これだけでは分かりにくいですが、同じく『大山咋神』を祀っている『日吉大社』と言う神社があります。

 

 

 

 

日吉大社』は比叡山の麓にある神社ですが、ここには『大物主神』『大山咋神』が祀らており、この2柱の総称を『山王』と呼びます。

 

 

 

 

 

そして、『大物主神』は『大国主神』です。

 

 

 

 

また、『大国主神』の子供が『建御名方神』になります。

 

 

 

 

 

「滑った」とは負けたと言うことになります。

 

 

 

 

 

まとめると「『大国主神』と『建御名方神』(国津神)が負けて天津神に『国譲り』をした」となります。

 

 

 

 

そして、最後の「後ろの正面、誰?」は、その『国津神』の先祖にして最初の神様、『素戔嗚尊スサノオ)』を指しています。

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家系図を書くと先祖は後ろの方で正面は本人になりますもんね。

 

 

 

 

 

 

要するに、もともと『日本』は『素戔嗚尊』の家系が治めており、その後に『天照大御神』の家系が治めていった。

 

 

 

 

それを忘れてはいけませんよ!と言う意味なのです。

 

 

 

 

そして、その後初代天皇である『神武天皇』の義父が『大物主神大国主神』に『古事記』ではなっています。

 

 

 

 

また、正月に招き入れる『年神様』はその子である『事代主神コトシロヌシ)』で、別名を『恵比寿様』になります。

 

 

 

 

また『大国主神』は『大黒天様』。

 

 

 

 

七福神』の中に2柱も『国津神』がおり、新年の祝いには欠かせない存在となっているほど、大切に重んじられてきているのです。

 

 

 

さらに、10月は『出雲大社』に各地から神様が集まり会議が行われていることと、その議長が『大国主神』になっていることからも、それが分かります。

 

 

 

 

そして、『出雲大社』の神紋は以前は六角形に「有」と言う文字が入ったものも使われていました。

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これをよくみると「十」と「月」。

 

 

 

 

10月になるんですね。

 

 

 

 

10月とはまさに、『出雲大社』に神様が集まる月になります。

 

 

 

 

 

『日本人』が脈々と受け継いできた「先人たちを尊く敬う」と言う心。

 

 

 

 

これを忘れてしまってはもはや『日本人』とは言えません。

 

 

 

 

そのことを子供の時から伝えたかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

『童謡』として。

 

 

 

 

 

 

また、10月は収穫の時期でもあり、古代から『五穀豊穰』を願ってきました。

 

 

 

 

その『五穀豊穰』の神様は、『大国主神=大黒天』・『事代主神=恵比寿』なのです。

 

 

 

 

なにか、いまの『食』に対してのにも通ずるところがありますよね。

 

 

 

 

 

さらに「有」と言う字。

 

 

 

 

これは『特別』と言う意味があります。

 

 

 

 

例えば、「有名人」とか「有事」とか。

 

 

 

 

 

そして、いままさに『緊急事態宣言』が発令し、『有事下』にあります。

 

 

 

 

そんな今の現状を、特別な事態とらえて行動し、『日本人』とはを次の世代に伝えて行かなければいけないとそう思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関西と関東の味

2021年(令和3年)1月も早、半月が過ぎようとしていますが、「緊急事態宣言」が発令され、全国の大都市では、いよいよ本格的に外出自粛モードとなってしまいました。

 

 

 

そんな中での、大寒波が『日本』全土を襲い、日本海側では大雪が、東京都でも初雪が観測されるなどで、自然と「巣籠もり生活」になっている方も多いと思います。

 

 

 

 

 

 

また、去年から家庭で料理をする機会が増えたなんて方も多いのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

「家庭の味」も、それぞれ味付けが違っており

夫婦ではどちらの味に合わせるなどがあり、『日本』の歴史や文化に触れることが出来る一番身近なものですよね!

 

 

 

 

 

特に、この時期によく食べられる「雑煮」などは各地域で味付けが全く違ったりするので、そこで新たな発見もできる面白いものになっています。

 

 

 

 

 

京都府などは「ダシ」に「白味噌」を使ったものだったりとなりますが、実は「関東」と「関西」ではこの「ダシ」自体が違うというのをご存知でしょうか?

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(↑上図は左側:京都府  右側:東京都)

 

 

 

 

 

 

と言うのも、『日本』の食文化は江戸幕府が始まる前までは関西、特に京都を中心として発展していきました。

 

 

 

 

 

そして、「ダシ」に欠かせない「鰹節」と「昆布」。

 

 

 

 

京都は「商人の町」とも言われいる「大坂(堺)」からも、ほど近い場所に位置していた事もあり、「昆布」・「鰹節」が比較的手に入りやすいものでした。

 

 

 

 

 

逆に江戸は「大坂(堺)」からは遠く、「昆布」も「鰹節」も手に入れにくいので、京都で使うものよりも、より一層乾燥をさせて保存の効くものを扱うようになりました。

 

 

 

 

だから、京都の方はまだ水分も残っている「荒節」を使い、江戸は水分がほとんどなく、カビの生えた「枯れ節」を使ったんですね。

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(↑上段 : 荒節   下段 : 枯れ節)

 

 

 

 

そんな熟成の違いから味の違いもあり、「荒節」は口にしたときに香りと魚っぽさはありますが、風味はインパクトはあるが、スッと消えていく味わいになるために、「昆布」や「煮干し」と一緒に「一番ダシ」として使うと相乗効果で良い旨味になり、「煮物」などにも適しています。

 

 

 

 

 

 

 

「枯れ節」の方はそれとは逆に、魚っぽさはそれほどなく、風味はスッキリしているが、口の中で最後まで味わいが残るため、「お吸い物」など、香りを楽しむものに適しています。

 

 

 

 

 

 

とこのように、関西では特に「ダシ」と使わられ、関東では料亭などの高級感のある「おつゆ」に使われてることが多いことから、関西では「おダシさん」・関東では「おつゆ」と呼ばれるようになったんですね。

 

 

 

 

 

 

また、関西は先述であげたように「昆布」が手に入りやすい環境だったので、「薄口醤油」などで「ダシ」本来の味を引き立てさせる味付けとなりました。

 

 

 

 

 

それとは逆に関東は「昆布」が手に入りにくかったので、江戸前など近海で採れた魚などで代用していたが、それだけでは薄味になってしまうので、「濃口醤油」などでしっかりとした味付けになっていきました。

 

 

 

 

 

 

関西は「公家」や「商人」の町で、見た目や華やかさを大事にしていた生活です。

 

 

 

仕事内容も、屋敷の中が中心になることが多いため、仕事中お日様に当たることも無いため、肌も色白。

 

 

 

そういった所からも、「おダシ」の色も白い方が好まれていたんでしょうね。

 

 

 

 

 

それとは逆に関東では、江戸の街を拡大していくために全国から職人たちが多く集まっています。

 

 

 

 

仕事内容も、外での仕事が中心で肌も色黒になり、汗もたくさんかきます。

 

 

 

そういったところから、塩分の補給のためもあり、色の濃い「おつゆ」が好まれていったんです。

 

 

 

 

 

そして、江戸の町人のソウルフードである「江戸前寿司」・「そば」・「天婦羅」。

 

 

 

 

 

 

なかでも「天婦羅」も関西と関東では違うのをご存知ですか?

 

 

 

 

 

もともと「天婦羅」は『オランダ』からの輸入品でしたが、それを「徳川家康」の大好物だったんですね。

 

 

 

 

そして、江戸と言う土地がらから、江戸前ではたくさんの魚介類が採れました。

 

 

 

 

ただそのまま揚げると生臭いので、その生臭さを消すために「ごま油」で揚げるようになったのです。

 

 

 

また、関東では衣も「小麦粉」と「卵」を使用していますが、「卵」は『子孫繁栄』の意味を持っています。

 

 

 

 

江戸は武家の町。

 

 

 

武士の本業は家系を守り抜くことです。

 

 

 

 

そう言った意味から武家、そして町人に広まっていき、現在でも大人気な「江戸前 天婦羅」が定着していったのです。

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江戸時代は火事の防止から屋台で振われることが一般的だった「天婦羅」。

 

 

 

 

揚げたて熱々の「天婦羅」を色の濃い「天つゆ」につけて外で食べるのなんかは、当時の人々にとっては至福の時だったんでしょうね。

 

 

 

 

 

その後、江戸が東京へと名称が変わりますが、依然として東京では「江戸前 天婦羅」が主流でした。

 

 

 

 

 

そんな中ある大事件が起きます。

 

 

 

 

 

それが。

 

 

 

 

関東大震災

 

 

 

 

この震災の影響で東京など、関東圏は壊滅状態になってしまいました。

 

 

 

 

そこで、「江戸前 天婦羅」の職人たちは東京の次に大都市である京都や大坂などの関西に行き、新たに商売を始めるようになったんです。

 

 

 

 

ただ、関西地方では素材を活かしたさっぱりとした味わいの方が好まれいるのと、もともと「京野菜」や「塩」名産品となっていたことから、「小麦粉」のみで「大豆油(サラダ油)」で揚げた「天婦羅」に「塩」を振って食べるようになっていったのです。

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「はっ、かっ、たのー塩っ!」

 

 

 

 

などCMでも有名ですもんね。

 

 

 

 

 

その後、東京など関東圏の復興により、帰ってきた天婦羅職人たちと、関西地方からの新参者の天婦羅職人たちによって、東京でも「天婦羅」に「塩」を振った食べ方が広まっていったんです。

 

 

 

 

 

やはり、食文化(歴史)とは面白いですね。

 

 

 

このように、食文化(歴史)を学びながら料理や食事をし、ストレスのかからない生活を楽しんでいきたいですね!

 

 

鏡開き

本日、1月11日は『鏡開き』の日になります。

 

 

 

『鏡開き』とはお正月に、『年神様』にお供えしていた鏡餅を家族みんなで「雑煮」や「ぜんざい(お汁粉)」にして頂く、『日本』の風習になります。

 

 

 

 

また、この鏡餅に『年神様』のパワーが宿るとされており、これを頂くことによって『年神様』の運気やパワーをもらうとともに、一年の無病息災を願うと言う意味があるんです。

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さて、なぜこの餅のことを鏡餅と呼ぶのかを知っていますか?

 

 

 

鏡は映すものであり、特に古代では祭祀や吉兆を占う際には必ず用いられるほど、大切な物でした。

 

 

 

現在でも、『伊勢神宮』系列の神社には必ず鏡が祀られていますよね。

 

 

 

この鏡とは。

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

三種の神器』のひとつ。

 

 

 

八咫鏡(やたのかがみ)』

 

 

 

 

そして、この『八咫鏡』とは『天照大御神アマテラスオオミカミ)』の御神体になります。

 

 

 

 

もうお分かりですよね?

 

 

 

鏡餅「鏡」とは『八咫鏡』轢いては、『天照大御神』を表すものだったのです。

 

 

 

 

また、『年神様』のパワーを宿す(移す)と言うところからも、この形になり「鏡餅」と呼ばれるようになったのです。

 

 

 

 

 

そして、『鏡開き』の「開」という字。

 

 

 

 

 

神社の鳥居のように見えますね。⛩

 

 

 

 

実は『鏡開き』とは『古事記』などで、有名な『岩戸開き』のことなんです。

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天照大御神』は太陽神です。

 

 

 

『年神様』そして『天照大御神』のパワーを宿す餅をいただき、その年を明るい年にするといった意味があったのです。

 

 

 

 

 

また、『岩戸開き』で開いた岩を投げ飛ばした神様である、『天手力男アメノタヂカラオ)』は「力の神様」になります。

 

 

 

 

こういった所から「力もち」ということばがあるのです。

 

 

 

 

 

さて、話は変わりまして1月11日はもうひとつ、『蔵開き』の日となっています。

 

 

 

 

これは商家などが新年があけ初めて蔵に入っていたものを出して、出荷させる日となっており、この時に家族全員で集まり縁起物の鏡餅を「雑煮」や「ぜんざい」にして食べるという風習になります。

 

 

 

 

この「ぜんざい」の語源も面白く、一説には毎年、10月に『出雲大社』に神様がみんな集まり、「今年はどのような年であったか。そして、来年はどのような年にしていこうか?」などと話し合う会議が開かれています。

 

 

 

だから10月が出雲地方と長野県の諏訪地方以外では『神無月』とよぶんですね?

 

 

 

 

逆に神様が集まる出雲地方と諏訪地方は『神在月』とよばれています。

 

 

 

 

諏訪地方?と思う方もいらっしゃると思いますが、ここ諏訪地方で有名な神社の『諏訪大社』。

 

 

 

この神社の神社の主祭神は『建御名方神タケミナカタ)』になります。

 

 

 

 

建御名方神』は『大国主神オオクニヌシ)』の2番目の子で、水龍の神様でもあります。

 

 

 

 

龍である『建御名方神』はそのあまりに大き過ぎる姿のために、その場所にいながらでも『出雲大社』に届いてしまうために、この地域でも『神在月』と呼ばれているのです。

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話は戻しまして、この会議の時に振る舞われるのが「神在餅(じんざいもち)」であり、これが訛って、「ぜんざい」となったという説があります。

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実際、『出雲大社』の参道には「ぜんざい屋」が多くあり、名産品ともなっているので訪れた際には、是非ご賞味ください。

 

 

 

 

 

 

また、「雑煮」も日本各地で味の違いがあり、京都府など関西地方では「白味噌」を使った「雑煮」が定番となっています。

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私はまだ食べたことが無いので是非、一度は食べてみたいですね。

 

 

 

 

 

そんなたくさんの歴史が詰まった1月11日。

 

 

 

 

皆さんも家族団欒で楽しい『鏡開き』にして下さい。

 

 

 

十日戎

ついに東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県の1都3県で『緊急事態宣言』が発令され、大阪府京都府兵庫県も政府に『緊急事態宣言』を政府に要請したことによって、全国的に飲食店や商業施設なども午後8時までの営業自粛となってしまいました。

 

 

 

いよいよ外出自粛が本格的になり、これによってさらに今までとは違う社会のかたちになっていくと予想がつきますが、まだまだ新年が始まったばかりです。

 

 

 

 

そんな中、毎年1月10日に全国各地で行われている『年中行事』をご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

 

その『年中行事』とは『十日戎(とおかえびす)』。

 

 

 

兵庫県の『西宮神社(にしのみやじんじゃ)』などが有名です。

 

 

 

 

西宮神社』では毎年、正月の風物詩(西日本は1月15日まで『門松』を飾っている地域もあります)でもある、『福男選び(正式名称は『十日戎開門神事福男選び』)』が行われています。

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さてなぜ、この日にこの場所で行われているかと言うと、実は毎月10日は『恵比寿さまの縁日』になります。

 

 

 

そして、この『恵比寿さま』を祀る神社(えびす神社)は『日本』に約3500社があり、その総本社がここ、『西宮神社』になっているからなんですね。

 

 

 

 

また、毎年1月10日前後の3日は『恵比寿さま』のエネルギーが最も高まる日とされており、9日は『宵えびす』・10日は『本えびす』・11日は『残り福』と呼ばれ、たくさんの参拝者で賑わいます。

 

 

 

 

 

 

 

そんな『本えびす』の10日、午前4時に本殿では『十日えびす大祭』が執り行われおり、それが終わる午前6時に、表大門が開門され、その瞬間から参拝者が本殿まで230mを一気に走って、順位1着から3着がその年の『福男』に選ばれるんですね。

 

 

 

 

例年であれば約5000人が集まるこの『福男選び』。

 

 

 

 

その中で1着・2着・3着になるんですから、まさに『福男』‼︎

 

 

 

 

そして『福男』に選ばれた3名が周りの人たちに『福』を分け、それが巡りに巡って大きな『福』を得るとされているこの『年中行事』。

 

 

 

 

是非一度は参加してみたいですね。

 

 

 

 

 

ただ、今年は新型コロナウィルスの影響でこの行事自体が中止になってしまいましたが…。

 

 

 

 

 

そんな『十日戎』ですが、『福男選び』以外にも『福笹』と言う、笹に『恵比寿さま』や小判・鯛などを飾った縁起物の授与できるので、是非手に入れたいものですね。

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また、『恵比寿さま』は漁業や商業の神様であり、そんなご縁から『西宮神社』では『恵比寿さま』の前に巨大な「マグロ」が供えられています。

 

 

 

 

その「マグロ」に硬貨をペタペタと貼って、『商売繁盛』を祈願する風習があります。

 

 

 

 

 

商人の町・大阪からもほど近い『西宮神社』。

 

 

 

たくさんの参拝者が訪れるのも分かる気がしますね。

 

 

 

 

そんな『十日戎』、来年こそは是非開催して欲しいものです。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松の内

本日で2021年(令和3年)早くも7日が経とうとしていますが、皆さんはどんな『お正月』をお過ごしだったでしょうか?

 

 

 

さて、1月7日といえば特に関東地方では『門松』などの飾りを納める日になります。

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また、関西では1月15日になっていますが、なぜ関東と関西の違いがあるかご存知でしょうか?

 

 

 

 

実は、江戸幕府に深く関係しているんです。

 

 

 

 

 

まず、『門松』には『年神様』が元旦にやってくる目印になっており、お供え物となる『鏡餅』に『年神様』が宿ると言われています。

 

 

 

 

そして、この期間のことを『松の内』と呼ばれています。

 

 

 

 

 

江戸時代初期までは、全国的に『松の内』は1月15日までとなっていました。

 

 

 

 

そして、『鏡餅』も1月20日となっていたんです。

 

 

 

 

しかし、3代将軍の「徳川家光」が4月20日に亡くなると、縁起の悪い月命日の20日を避け、1662年に徳川幕府から「『松の内』の飾りをしまうのは、1月7日に決定した。」と言うお達しが下されました。

 

 

 

 

そして、このお達しが関西地方まで、正確に伝わらずに、現在まで関西ではそのまま1月15日が続いていき、関東では1月7日に変わっていったのです。

 

 

 

 

また、『年神様』の宿る『鏡餅』を開く(包丁など刃物で「切る」とは、武家社会では「切腹」を連想させるので、忌み嫌われていました。)『鏡開き』は関東地方では1月11日。

 

 

 

 

関西地方では、1月15日もしくは20日になっていったのです。

 

 

 

 

さて、この『松の内』で飾っていた『門松』や『注連縄』はその後、どうするかと言うと、神社仏閣に持っていき「お焚き上げ」をするか、もしくは各地域でやっている『どんど焼き』で

火ともとに『年神様』を見送るという風習が一般的になっています。

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この『どんど焼き』も15日に行う地域も多いですが、最近では「成人の日」が1月15日から1月の第2週月曜日が祝日となったので、この日に『どんど焼き』を行う地域も増えてきています。

 

 

 

 

また、『門松』や『注連縄』をそのまま取っておき、翌年に使うと言う方も多く、その場合は直接保存するのではなく、何かに包んでの保存の方が良いかもしれませんね。

 

 

 

 

案外、結構な値段もするし、せっかく買ったのが痛んでしまってはもったいないですから。

 

 

 

 

 

さて、1月7日といえばもうひとつ大事な『年中行事』があります。

 

 

 

 

 

それが『人日の節句(じんじつのせっく)』です。

 

 

 

 

これは『五節句(ごせっく)』といって江戸時代から公的な年中行事の中で、特に重要とされている5つの節句があり、そのなかで年で一番最初の節句になります。

 

 

 

 

別名を『七草の節句』とも呼ばれています。

 

 

 

 

また、この日に食べる料理として『七草粥』がありますが、元々は『お節料理』などで疲れた胃や身体を休めるためだけに食されただけではありませんでした。

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今でこそ野菜が手に入る時代ですが、そうでなかった時代では、冬は野菜がなかなか手に入らなかったために、不足がちな栄養素を補うことを目的ともしており、そこから転じて「万病に効く料理」として食されていたのです。

 

 

 

 

 

この歴史は平安時代から食されていたとして、かなり古くあの『枕草子』にも描かれるほどでした。

 

 

 

また、江戸時代には公式行事として幕府では将軍の他、大名からその部下の武士までが一同に介して『七草粥』を食事するという公式行事もあったほどです。

 

 

 

 

さて、『七草粥』は7種類の植物をお粥にまぜて食べますが、その種類がなんなのか分かっている方は意外と少ないとおもいます。

 

 

 

 

「セリ・ナズナ・仏の座・カブ・大根・ハハコグサハコベ」になります。

 

 

 

また、現在では『七草粥』にプラスして「梅干し」や「たまご」などを入れたりして、季節の味を楽しむのも良いですよね。

 

 

 

 

私も去年までは毎年、居酒屋のサービスでこの日だけ『七草粥』が振る舞われていたので、それが楽しみでした。

 

 

 

「緊急事態宣言」も発出され、今年は自宅での楽しみとなりましたが、こういった旬の物を歴史(『日本』の風習)を学びながら食べ、次の世代に伝えていきたいですね!

 

 

 

 

 

 

 

七福神

 

本日で『正月 三が日』も終わり、明日から仕事始めと言う方も多いと思いますが、如何お過ごしだったでしょうか?

 

 

 

さて、『初詣』は住まいの『氏神様』や思い入れのある神社仏閣に参拝する方が多いと思われますが、それと同じくらい人気の参拝があります。

 

 

 

それが『七福神巡り』になります。

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室町時代からこの『七福神巡り』は始まり、江戸時代には全国的も広まっていたとても縁起の良い巡礼であり、特に東京には各地域で盛んに行われている風物詩でもあります。

 

 

 

 

また、一年を通りして行なっている場所や、期間限定で行なっている場所、そしてそれぞれ授与品の違いもあるので、じぶんの好みに合わせて楽しみながらまわることができるのも、ひとつの魅力になります。

 

 

 

 

そんな中で江戸最古と言われている『七福神巡り』が『谷中七福神巡り』です。

 

 

 

ここの『七福神巡り』は現在、東京都にある『七福神巡り』の中で唯一『寺院』だけをまわる『七福神巡り』になっており、約2時間程度でまわることができます。

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また、江戸時代から現在まで江戸(東京)の中心にある『日本橋 七福神巡り』というのもあります。

 

 

 

 

ここの『七福神巡り』は先程の『谷中七福神巡り』とは逆に、唯一『神社』のみで構成された

七福神巡り』になります。

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例年ですと、上記↑のような『宝船』と『御神像』が授与品として頂けるのですが、今年は新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、中止になってしまいました。

 

 

 

 

一刻も早く終息して、また授与品を頂きたいと切に願うばかりですね。

 

 

 

 

 

さて、『七福神』にはさまざまなご利益がありますが、それぞれの神様にご利益があります。

 

 

 

 

 

まず、唯一の『日本』生まれの神様である『恵比寿(えびす)さま』

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この神様は釣り竿に、大きな鯛をもっている姿で表されているのが多く、そこからもわかるように、『大漁祈願』、そこから派生していき『商売繁盛』・『五穀豊穣』のご利益があります。

 

 

 

 

次に『恵比寿さま』とよく一緒に祀られている『大黒天さま』。

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この神様は『打ち手の小槌』を持っていることからも分かるように『財宝』、また『恵比寿さま』の父親と言うことから『子孫繁栄』・『開運』にご利益があります。

 

 

 

 

 

毘沙門天さま』は武器と宝塔(仏陀の遺骨を納めている塔)を持っていることから、『勝負運』・『厄除け』にご利益があります。

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戦国時代の有名な武将である「上杉謙信」は、この『毘沙門天さま』を深く信仰しており、旗印にも『毘』という字を使うほどでした。

 

 

 

 

七福神』の中で紅一点の『弁財天さま』は琵琶を弾く天女のような姿が多いことからも分かるように『美容』・『音楽・芸能』、そして蛇の使いでもあることらから『財運』にご利益があります。

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『布袋さま』は唯一実在の人物(僧)をモデルとしたとか、仏陀の生まれ変わりの『弥勒菩薩』の化身とされている神様で、その着物もはだけたデカイ太鼓っ腹といつもニコニコとしている容姿から『笑門福来』・『人徳』・また『夫婦円満』にご利益があります。

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そして『寿老人さま』は『南極老人星カノープス)』の化身とされている神様です。

この『南極老人星カノープス)』は太陽以外では、「シリウス」の次に明るい恒星でもあるにも関わらずに、その高度があまりにも低いために、北半球ではほとんど見れない場所に位置しています。

また「カノープス」は地平線近くにあり、大気汚染や暑さによる蜃気楼などによるものでもほとんど見えないところから「戦争のない平和な時代にしかやってこない神様」として信仰があり、そこから『長寿延命』・『子孫繁栄』のご利益があるとされようになりました。

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そして最後の『福禄寿さま』は、実は『寿老人さま』と同一星の化身とされており、ご利益もほとんどが同じです。

 

 

 

ただ、『寿老人さま』の容姿が鹿を従えて、杖に巻物をさげ、もうひとつの手には桃を持っている容姿から『諸病平穏』のご利益があります。

 

 

反対に『福禄寿さま』は鶴や亀を従えている容姿から『立身出世』のご利益があります。

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と、ここまで『七福神』それぞれの神様のご利益をご紹介してきましたが、やはりこのご利益が全部合わさったら最高のご利益ですよね!

 

 

 

 

首都圏では1都3県が昨日、政府に『緊急事態宣言』の要請をしました。

 

 

この現状が良くならなければ、なかなか参拝には行けませんが、それぞれ個々で自粛努力をし、いつかおさまった時にまた以前のように『七福神巡り』をしてみたいものです。

 

 

 

また、『七福神巡り』が出来ない状況でも心の中で思うだけや、プリントアウトをして部屋に飾るだけでもご利益があるに違いないので、皆さんも是非お試しください。