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『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

上野の時の鐘

現在、東京都台東区にある『上野公園』内に『上野の鐘』が現存しています。

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この『時の鐘』は『石町 時の鐘』のつぎに建てられた『時の鐘』になります。

 

 

 

そもそも、上野公園は『寛永寺』の跡地で徳川家の菩提寺であり、江戸城から見て北東になる「鬼門」の位置にあります。

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そう言った場所ですからかなりこの公園内もバカデカイんですね。

 

 

 

 

さらに、この『寛永寺』は徳川将軍15人中、6人が現在も眠っており、徳川時代には「裏鬼門」である『増上寺』とともに、最大の権威を振るっていた場所にありました。

 

 

 

 

そんな場所の『時の鐘』ですから余計、江戸市民たちにも親しまれていたと言うのが分かります。

 

 

 

 

さらに、約30年後には江戸市中の庶民たちにも花見が許されるようになったので、さらに活気で溢れてる場所になり、江戸最大の花見見物の場所となりました。

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そうなると余計、『時の鐘』が大事な存在になってきますね!

 

 

 

 

 

江戸時代に『奥のほそ道』としても有名な俳人である『松尾芭蕉』で

 

 

『花の雲 鐘は上野か 浅草か』

 

 

と言う俳句があります。

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芭蕉が聞いている鐘の音は、上野の『時の鐘』なのか浅草の『時の鐘』なのかと言う俳句になります。

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距離も近いだけに、この時代の情景が目に浮かぶような気がしてきますね。

 

 

 

 

 

さらに『寛永寺』の門前町として発展していきました。

 

 

 

 

 

現在は上野公園内の「精養軒」と言う西洋料理店でフランス料理の草分け的存在のお店がすぐ近くにあり、このお店を目指して行くと迷わずに行けると思います。

 

 

 

 

たまにはこのようなお店で贅沢をしてみたい気もしますが、個人的には江戸時代から続いている蕎麦屋にも行ってみたい気がします。

 

 

 

 

一説には江戸市中に6000以上あったお店のうち、その半分以上が蕎麦屋だったと言われており、その中で現在も続いているお店もあると言うのだから、是非はじめはこっちの方をいただいてみたいですね。

 

 

 

 

 

話は戻りましてこの、『上野の時の鐘』ですが、この『時の鐘』が鋳造されたのは『寛永寺』のほど近くにある『護国山 尊重院 天王寺』になります。

 

 

 

面白いのがこの寺院は江戸幕府公認の「富くじ」が興行されていて、『江戸の三富』として、『湯島天神』・『目黒不動尊』とともに、たいへん賑わっていました。

 

 

 

富くじ」いうのは現在でいう「宝くじ」のことで、『カネをつくる』場所が

   (鐘を造る)

   (金の作る)

という洒落好きな江戸っ子たちにも親しまれて、たくさんの人々がその縁にあやかり、訪れたのではないでしょうか。

 

 

 

 

現在でも、毎日午前6時・正午・午後6時に『時の鐘』がつかれ、さらに毎年大晦日にもつかれているので、またコロナ渦が落ち着いたら聞いてみたいと思います。

 

 

 

 

そのときは是非、江戸前そばでも食べながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石町時の鐘

前回、江戸時代以前まではまだ日本には「時刻」という概念がなく、朝太陽が昇ったら起き、夜に太陽が沈んだら寝るという生活が当たり前でした。

 

 

 

 

実際、この時の人口のほとんどが農民であり、いまでは有名な数々の武将たちですら戦(いくさ)になると、普段は農民として生活しているモノたちを雇い兵力として、戦に向かわせていました。

 

 

 

 

そして、時は流れて戦国の世が終わった江戸幕府・初代将軍『徳川家康』の時代に、はじめは「時刻」を告げるために、江戸城の二の丸付近に、『時の鐘』が設置されます。

 

 

 

 

 

 

この時、「辻源七」と言う男が鐘役を任命され、代々江戸の市中に『時刻』を知らせる役に就きました。

 

 

 

 

しかし、この鐘の音があまりにも近いために、政務に支障が出るとして、太鼓を打つようになりました。

 

 

 

 

 

こうなると困るのは江戸市民たちです。

 

 

 

今まで、この鐘の音でいま何時かを判断していたのが太鼓の音になってはほとんど聞こえなくなってしまったわけですから。

 

 

 

 

特に、「将軍のお膝元」とも呼ばれていた日本橋あたりでは江戸時代初期から活気に溢れており、賑わっていることから江戸城内で打った太鼓の音なんて、全く聞こえなくなってしまったんですね。

 

 

 

 

そこで江戸市民の訴えを聞き、2代将軍・秀忠のときに1626年に日本橋石町に『時の鐘』を移したわけです。

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ちょっと話はズレますが、この年に『寛永通宝』と言う、全国共通のお金が鋳造されることになりました。

 

 

 

ただ、この時はまだ「公銭」としての役目は果たしていないですが、その後江戸時代を通してこの通貨が使われていました。

 

 

 

 

さらに驚いたことにこの通貨は『昭和』28年の途中まで、法的に通用していました。

 

 

 

 

ただ、実際に使用されていたのは明治中期ごろまでだったそうです。

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また、1659年までに鋳造されたものを『古寛永(こかんえい)』とよび、それ以降一時期鋳造されなくなりましたが、人口とともに利用するのが増えてきたことにより、1668年以降再度、鋳造されるようになりました。

それを『新寛永(しんかんえい)』と呼ばれています。

 

 

 

 

 

さて、話はだいぶズレましたが、この『石町』の『時の鐘』は公費での運営のために、鐘の音が聞こえる範囲を江戸市民から徴収をしていました。

 

 

 

 

 

そこで読まれた川柳で

「石町は 江戸を寝たり 起こしたり」

というのがあります。

 

 

 

 

いかに、当時この鐘の音で時間を把握していたかが分かりますね。

 

 

 

 

また、『石町(こくちょう)』は『本石町(ほんこくちょう)』とも呼ばれています。

 

 

 

 

その理由は、『石町』自体は当時からこの地にありましたが、その後神田に『新石町』と言う地が出来たために、本家を示す意味をこめて、『本石町』と呼ばれるようになったそうです。

 

 

 

 

そして、江戸市民の数もどんどんと増えてきたために、ひとつの『時の鐘』では賄いきれなくなり、江戸の各地に9ヶ所、設置するようになりました。

 

 

 

 

また、当時の『石町時の鐘』の場所も移動され、現在は近くの「十思公園」内に現存しており、毎年大晦日の時にだけ、鐘の音を鳴らします。

 

 

 

 

 

是非、機会があれば一度聞いてみたいものですね。

 

 

 

 

 

さて、今回は『石町』の『時の鐘』をご紹介しましたが、次回は残りの江戸の『時の鐘』について、お伝えしていこうと思いますので、ご期待下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時の鐘

先日、2020年6月21日は『夏至の日』と『父の日』そして日本では『部分日食』があり、さらに日曜日ということで、ご家族をお持ちの方は普段よりも少し特別な日をお過ごしなされたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

春分秋分の日』は太陽が昇っている時間がほぼ同じ、『夏至の日』は一番長く、逆に『冬至の日』は一番短くなっています。

 

 

 

また、この時期に食べる風習が各地にあり、これは基本的には『五穀豊穣』を願ってのものとなっています。

 

 

 

 

 

江戸時代までは農業、特に武家の世界では『米』が給料として支払われており、「石高」というもので家臣たちを養い、さらにこれが武力にも直結するものなので、我が国『日本』ではいかに農業というものが大切だったかが、分かると思います。

 

 

 

 

 

 

さらに江戸時代まえまでは「時刻」と言うものがほとんど存在しておらず、朝になったら起き、夜になったら寝るというなんとも単純な生活様式でした。

 

 

 

 

そして話は現在。

 

 

 

 

イギリスのロンドンにある「旧グリニッジ天文台」を0時とした基準に東経135度線が日本の基準時間となっています。

 

 

 

 

 

 

その時差は8時間。

 

 

 

 

ここでも『8』という数字、そして13+5=『18』という数字が出てくるんですね。

 

 

 

 

 

さらに、この基準地は兵庫県の淡路島に存在します。

 

 

 

 

淡路島といったら『伊奘諾(イザナギ)』・『伊奘冉(イザナミ)』が『日本』という島々を作ったさいに一番最初に作った場所でもあります。

 

 

 

 

 

イギリスと日本はやはり、古い時代から繋がっているとしか思えませんね。

 

 

 

 

 

なぜなら、ロンドンには『ロイヤルファミリー』が。

 

 

 

 

そして、我が国『日本』には『天皇陛下』をはじめとする『皇族』が存在しています。

 

 

 

 

 

一説にはあのアメリカ大統領が来米した際に、わざわざ出迎えに行くのは、『ローマ教皇』・『エリザベス女王』・そして『天皇陛下』のみだそうです。

 

 

 

 

 

また、その中でも最上位の敬意を払われるのが『天皇陛下』だと言われています。

 

 

 

 

英語だと唯一『天皇陛下』のみ、『Emperor(エンペラー)』と呼ばれている意味が分かる気がしますね。

 

 

 

 

 

 

さらに、世界最古の秘密結社である『フリーメイソン』のグランドロッヂはイギリス・ロンドンにあります。

 

 

 

 

 

また、『イエス・キリスト』の子孫が実は存在していて、それが『日本』にいると言う都市伝説もあります。

 

 

 

 

こうしてみると、すべてが偶然ではなく必然的に出来ている様な気がならないですね。

 

 

 

 

 

 

さて、話が大分ずれてしまったので戻しますが、この「時刻」を市民に伝えるために出来たのが江戸では9箇所ある『時の鐘』でした。

 

 

 

 

 

いまでは埼玉県・川越市の『時の鐘』が有名ですが、実は東京都にもまだあるんですね。

 

 

 

 

 

そして、一番最初に出来たのが現存はしていませんが、日本橋にあった『時の鐘』です。

 

 

 

その後日本橋石町に移動し、『石町・時の鐘』として、江戸時代の市民に「時刻」を知らせていました。

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今回は、ちょっと話がズレている話が長くなってしまったので、次回はしっかりとお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年の夏至の日

前回は、『夏至の日』に太陽が通る道、『レイライン』についてお伝えしましたが、今回はこの夏の季節に旬な食べ物について、少しだけお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

まず、夏の旬と言って思い出されるのがなんといっても「うなぎ」ですよね!

 

 

 

 

 

 

うなぎは土用の丑の日でも有名ですが、これは平賀源内が知り合いに頼まれて、口コミで広めたと言う説があります。

 

 

 

 

でも、実際ものすごく栄養価のある魚で滋養強壮に効く食材になっていますし、個人的にも大好きですし、これからどんどんと暑くなってくるので、シーズン中に2〜3回は食べたいものです。

 

 

 

 

 

また、同じうなぎ目で夏の旬な魚といえば「ハモ」があります。

 

 

 

 

日本では中部以南に生息している魚で、関西圏などではスーパーにも売っているそうで、意外とポピュラーな魚になります。

ただ、やはり高級魚なのでなかなか手は出しにくいですがね。

 

 

 

 

 

私自身は10年ほど前に京都に旅行に行った際に、先斗町(ぽんとちょう)の納涼床で鴨川を眺めながら、食べた記憶があります。

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ただ、暑さと値段の高さであまり味の記憶は無いんですがね…。笑

 

 

 

 


それよりも、『池田屋事件』の跡地や『豊臣秀次』の墓地のある『瑞泉寺(ずいせんじ)』。

 

 

 

 

また、『織田信長』が討たれた『本能寺(ほんのうじ)』を周ったことの方が記憶に残っています。

 

 

 

 

 

と言うのも、先斗町周辺をまわった時間も夜になっており、歴史が動いた場所と言うのも相まって何か怖かったと言う記憶があるんですね。

 

 

 

 

 

なので、情けない話ですが時間帯的にも、前を通ってすぐに帰ったと記憶しています。

 

 

 

 

 

さて、京都では『水無月(みなつき)』と言う和菓子を『夏の大祓(なつのおおはらえ)』の際に食べる風習があります。

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これは、平安時代から宮中で氷室から取り出した氷を食べて暑気払いをすると言う風習がありました。

また、氷をういろうに見立て、四角を半分に切った形が三角形になります。それを一年の半分としました。

 

 

さらに、小豆の赤色が厄払いの意味があり、それを上に乗せたことにより、この和菓子のかたちが出来ました。

 

 

 

 

さて、『夏至の日』に話を戻しますが、実は6月21日は日本では『部分日食』になります。

 

 

 

 

東京では16時過ぎに始まり、最大になるのが17時10分です。

 

 

 

 

この日は日曜日で、父の日でもあるので是非ご家族がいらっしゃる方はみんなで見て頂きたいですね。

 

 

 

 

ただし、肉眼や望遠鏡などでは絶対に見ないでください。

 

 

 

ちゃんと、必ず日食専用の道具を使って下さいね。

 

 

 

 

これは絶対に‼︎

 

 

 

 

 

6月21日は『夏至の日』・『父の日』・『部分日食』と盛り沢山なので、是非有意義な一日をお過ごしください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月21日 

最近、日中の暑さと新型コロナウィルスの影響により、いまだにマスクを着用しての生活を強いられている方が多いと思います。

 

 

 

気温が30°cを超えるこの時期のマスクの中の湿度はほぼ100%となっているらしいので、余計息苦しさを感じる方や、2歳未満のお子さんに限ってはあまりマスクをすると熱中症にかかってしまう可能性もあるなどとも言われているので、対策も大変だと思います。

 

 

 

 

ちなみに、うちの下の子まだ2歳ですが、保育園内では先生方たちは着けていますが、園児たちは着けてないそうです。

 

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わりますが2020年の6月21日は何の日か皆さんはご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

一年の中で世界中、太陽が一番長い日照時間がある日。

 

 

 

 

夏至の日』

 

 

 

 

 

 

になります。

 

 

 

 

 

 

そして、この日に太陽が通る場所、いわゆる『レイライン』と言うものがあります。

 

 

 

 

 

その中で、『春分の日』でも取り上げた神奈川県にある『寒川神社(さむかわじんじゃ)は、夏至冬至春分秋分の日すべてを通る神社となっています。

 

 

 

 

 

 

それだけでも、ご利益がありそうですね。

 

 

 

 

そしてその『レイライン』は、

 

鶴岡八幡宮』→『寒川神社』→『諏訪大社 上社本宮』となっているんです。

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さらに他にも『レイライン』がありまして、これも不思議と思ってしまうくらい、重要な拠点を『夏至の日』に通っているのです。

 

 

 

 

 

そのラインとは

 

鹿島神宮』→『皇居(江戸城天守閣)』→『富士山』→『伊勢神宮』→『霧島神宮

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このラインは『夏至の日』の日出・『冬至の日』の日没と重なっていることから、太陽神である『天照大御神アマテラスオオミカミ)』と深い関係のある場所になっているんです。

 

 

 

 

 

 

そして、さらに面白いことに、『伊勢神宮』参拝の順路として、始まりの神社である『二見輿玉神社』。

 

 

 

 

 

この神社で有名な『夫婦岩』の間から、『夏至の日』前後2週間だけ、太陽が昇るような位置にもなっているのです。

 

 

 

特に晴れた日はそのあいだから小さくではありますが富士山も見えて、そこから太陽が昇るように見えると言う、なんとも絶景ポイントにもなっています。

 

 

 

 

私がこの時期に見に行った時は、ガスってて全く見えませんでしたがね。

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ただ、これを見に朝の4時半前からたくさんの観光客がいましたので、皆さんも一度は是非この体験をしてみて下さい。

 

 

 

 

きっと一生の記念になると思います。

 

 

 

 

私もまた必ず行って、一度この『御来光』を拝みたいと思っています。

 

 

 

 

 

さて、2020年の『夏至の日』6月21日ですが、その前日の6月20日は『一粒万倍日』と『天赦日』と言う日が重なる日で、年に2〜3回しか無い特に良い日となっています。

 

 

 

そして、さらに『父の日』と『大安』と言う良い日が重なっているんですね。

 

 

 

 

しかも、2020年は土日がこの日2つの日と重なっており、さらに観光としては訪れやすい日となっているんです。

 

 

 

 

 

ただ、今年は「不要不急」の外出は控えてとの要請がある中でなので、中々そうゆう訳にも行かないとは思いますが、この事を知っているだけでも何かご利益がある気がします。

 

 

 

 

 

ちなみに私は地元の神社に参拝しようかと思っています。

(地元の神社は『伊勢神宮』を総本社としている神社なので。)

 

 

 

 

 

さて、話は『夏至の日』に戻しますが、『冬至の日』のように全国で行われるような有名な風習があまり無いんですよね。

 

 

 

 

ただ、関西ではタコを、関東では小麦を使った小麦餅を食べる風習があります。

 

 

 

 

 

これは、前者は稲の根が「タコの足」のように根強く、さらに8本の足があることから広く根付くようにと願いを込められて、「タコ」を食べるそうです。

 

 

 

 

また、後者の関東地方では二毛作が広く行われており、この時期に小麦を収穫し、さらに田植えをしていました。

 

 

 

 

こうしてみると、全国各地で食べる物は違えど「稲作」という共通の、生きていくために必須な農耕というのが原点にあるんですね。

 

 

 

 

 

次回は、『夏至の日』あたりに食べられる旬な食べ物についてもう少しだけお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂東三十三箇所、そして。

今回は関東にある、『坂東三十三箇所』についてお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

と、言うのも『西国三十三所』は奈良時代あたりからスタートをし始め、院政期にその前身となるものが最盛期となりました。

 

 

 

 

 

しかし、この当時の民衆にはまだまだ外への巡礼(旅)をするのは難しく、これが広まったのは江戸時代に入ってからでした。

 

 

 

 

また、江戸時代、江戸からの巡礼者は最初に『伊勢神宮』を巡って、その次に第一番の『青岸渡寺』に向かって、途中に高野山比叡山に参拝して、結願(巡礼の最後)である第三十三番の『華厳寺』を目指しました。

 

 

 

 

そして、お礼参りとして、長野県にある『善光寺』と『北向観音』に参拝して帰路すると言うのが通例になっています。

 

 

 

 

ただ、『善光寺』などにはあえてよらずに帰路する人々もおり、その理由としては巡礼が終わってしまうと死を急ぐことになると言うことからきたそうです。

 

 

 

 

 

さらに、江戸など東日本以外の人々は当時は『善光寺』に立ち寄るのは大変だったために、

西日本の人々は『高野山 金剛峯寺 奥の院』・『比叡山 延暦寺 根本中堂』・『東大寺 二月堂』・『四天王寺』もお礼参りの対象となっています。

 

 

 

 

と、ここでようやく今回の題名にもある『坂東三十三箇所』のお話ですが、これは鎌倉幕府・初代将軍である『源頼朝』が初願し、そのこどもである3代将軍『源実朝』が『西国三十三所』を模範として、礼所を制定したとせれています。

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そして、少し余談ですが、前々回にお伝えした『小倉百人一首』でなぜか気になった『藤原敏行』が字を書いたと伝わっている梵鐘(『三絶の鐘』と称されています。)がある、京都の『神護寺』に上記の『伝源頼朝像』があるのです。

 

 

 

 

そして、どちらも『国宝』としてなっているので機会があれば、是非拝見してみたいですね。

 

 

 

 

 

さて、『坂東三十三箇所』は神奈川県の鎌倉市にある『杉本寺』からスタートします。

 

 

 

 

この『杉本寺』には通常、格子戸の奥に安置されている3体の観音像があり、拝観は出来ませんが、毎月1日と18日だけご開帳をし、拝観することが出来ます。

 

 

 

 

 

また、『1』と『18』と言う数字が出てきましたね。

 

 

 

 

 

そしてなんと『13』番目のお寺は東京にあり、観光地としても、最も有名な寺院のひとつ『浅草寺』になります。

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浅草寺』はお寺自体も人気ですが、なんと言っても『雷門』や、その参道である「仲見世通り」が人気ですよね。

 

 

 

今のコロナ渦が終息したら私自身もまた行きたい場所のひとつです。

 

 

 

 

そして、海老や穴子などの「天婦羅」が食べたいなあ。

ちょうど、旬な季節ですし。

 

 

 

ゴマ油で揚げる天婦羅はなんであんなに美味いんですかね。

これに日本酒と蕎麦と塩があれば、最高の至福の時間ですね!笑

 

 

 

 

 

 

話がだいぶ私事になってしまったので、戻しますが巡礼の『18』番目になるのが、栃木県・日光市にある『中禅寺』です。

 

 

 

 

 

ここももはや、言わずと知れた観光スポットとして、日光に行った際には『日光東照宮』とともに訪れる方も多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そして、最後の33番目の礼所として訪れるのが千葉県・館山市にある『那古寺』ですが、この巡礼を終えたら、こちらも長野県の『善光寺』と『北向観音』にお礼参りをするのが通例になっています。

 

 

 

 

 

これは、どちらか片方だけだと『片道参り』と呼ばれ、両方行くことにより終了すると伝えられています。

 

 

 

 

 

ここまで、前回の『西国三十三所』、今回の『坂東三十三箇所』と『数字』についてお伝えしてきましたが、ここでもうひとつ巡礼として有名な『四国八十八ヶ所』が…。

 

 

 

 

 

何故か、気になってしまいして調べていたところ、高知県にある『33』番目の礼所『雪蹊寺(せっけいじ)』。

 

 

 

 

 

この寺院で注目すべきは『北緯』。

 

 

 

 

ここはなんと

 

 

 

『北緯33度30分3秒』

 

 

 

 

なんです。

 

 

 

 

これは偶然なのかそれとも分かっていてここに建立をし、33番目の礼所にしたのか。

 

 

 

 

 

考えるだけで、不思議で面白いですよね!

 

 

 

 

 

 

皆さんもこのような数字に注目して、神社仏閣を回ってみるとまた新たな発見が出来るかもしれまへんよ。

西国三十三所

日本には神社とともに、奈良時代から発展してきた寺社が多くあるのはお分かりだと思います。

 

 

 

その中でも、巡礼として有名なのが『西国三十三所』と『坂東三十三箇所』ですよね。

 

 

 

 

 

 

ここで少し数字にまつわる面白い話があるんですね。

 

 

 

 

題名にもある通り、『西国三十三所』と『坂東三十三箇所』は『33』と言う数字が出てきます。

 

 

 

 

これは、日本が仏教を取り入れた『聖徳太子』の時代に『法華経』のなかの『観音経』から由来しています。

 

 

 

 

この『観音経』と言うのは、『般若心経』とともに日本人には、とても慣れ親しんでいたお経で、宗派を問わずに活用されています。

 

 

 

 

そして、ここに出てくる観音様が、『33の姿を変えて、その人それぞれにあった姿で現れ教えを説いてくれて、人々を救ってくれる。』という教えです。

 

 

 

 

 

人によっては仏様で現れたり、仁王様として現れたりと、その人の『心』しだいで見える姿も違って見えるという事です。

 

 

 

 

この『33』の姿から『観音様』を祀っているお寺を巡礼する場所が『33』箇所となりました。

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↑上記は『法隆寺・夢殿』にある『救世観音菩薩像』です。

 

 

 

 

さて、一方でキリスト教では『イエス・キリスト』は33歳で召されたとなっています。

 

 

 

 

そして、この33歳というのが『イエス・キリスト』が人間として成熟しきった年となっており、この年に絶頂を迎えて身を捧げたともなっています。

 

 

 

 

 

そのようなところから、キリスト教でも『33』という数字は、『最上級』を意味する数字なっているのです。

 

 

 

 

 

さて、秘密結社『フリーメイソン』でも、『33』という数字は『最上級』の数字となっています。

 

 

 

 

 

また、

『1』は、『太陽』

 

『3』は、キリスト教では『父なる神』とその『子のキリスト』と『聖霊』からなる『三位一体(唯一の神)』と言う考え。

 

 

さらに仏教などでも、安定的な数字から非常に良い数字として扱われています。

 

 

 

日本でも、「三大◯◯」など秀でたものに対して良く使われていますよね。

 

 

 

 

『6』と言う数字は、『不完全』を意味しており、そういった意味からも3つの不完全な数字『6・6・6』が『悪魔の数字』と呼ばれているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ただし、この『6・6・6』を足した『18』と言う数字。

 

 

 

 

 

ユダヤ教や仏教の世界では『聖数』としてされています。

 

 

 

 

 

特に仏教の世界では『阿弥陀如来』が人に対して約束(本願)が48願あり、そのなかでも『18』番目の願が本心を誓われると言われています。

 

 

 

 

 

その『阿弥陀如来』の願とは、

「すべての人を絶対に助けて、幸せにする。」

と言うものです。

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↑上記は『高徳寺』の阿弥陀如来像。

鎌倉の大仏様として知られています。

 

 

 

また、旧ヘブライ語では『人生』ということばが『18』という数値を含んでおり、そういったところからも、『聖数』となっています。

 

 

 

 

 

そうゆう所からも日本では、『18番』と言われているいわゆる「オハコ」と言うことばや、プロ野球の投手でエースナンバーにもなっているで(真打)のだと思います。

 

 

 

 

 

また、『西国三十三所』の18番目は『頂法寺(ちょうほうじ)』になっています。

 

 

 

 

 

このお寺は『華道』や『池坊』(生け花の語源)の発祥の地にもなっているお寺ですが、ここの開基はまさかの『聖徳太子』と伝わっているのです。

 

 

 

 

聖徳太子』と言えば、第33代天皇の『推古天皇』の摂政ですよね。

 

 

 

 

 

 

そして、『聖徳太子』は『厩戸皇子(うまやどのみこ)』としても呼ばれています。

 

 

 

 

 

イエス・キリスト』も馬屋で生誕したと言われており、これを見ても関係してる気がしますよね。

 

 

 

 

 

 

と、少し話が長くなってしまったので、次回は

坂東三十三箇所』についてお伝えしていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小倉百人一首

2020年5月26日、午前0時を以ってとりあえずはようやく『緊急事態宣言』が解除されましたが、まだまだ気の抜けない状態が続くと思います。

 

 

 

 

 

そんな中、特にお子さんがいる家庭ではトランプやウノなど、アナログ版のゲームを楽しむ家族も増えたのではないでしょうか。

 

 

 

 

我が家でも、『小倉百人一首』を去年買い、それをみんなで楽しんでいました。

 

 

 

 

 

そして、ちょっと調べると中々面白いように繋がっていくことが分かりました。

 

 

 

 

 

と言うのも、何故か18番目の『藤原敏行(ふじわらのとしゆき)と言う人物が気になってしまい、ちょっと調べるとまたか!と思ってしまうほど、ある場所や人物につながってくるのです。

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彼は平安時代の和歌の名人である『三十六歌仙』にも選ばれるほどの人物で、書道の大御所で『三跡(さんせき)』のひとりである『小野道風(おのみちかぜ)』にも、古今最高の能書家として、『空海』ともに賞された人物です。

 

 

 

 

 

 

『住(す)みの江の 

      岸によるなみ  

            夜さへや  

   夢の通(かよ)ひ路(ぢ) 

            人目もくらむ』

 

 

 

 

現代語に訳すと

『住の江(今の大阪府住吉区)の海岸によせる波ではないけど、昼だけでなく夜までも、どうしてあの人は夢の中の通い路ですら、人目をさけているのだろうか。』

 

 

 

 

と言う意味になります。

 

 

 

とは言っても少し分かりづらいかもしれません。 

 

 

 

通い路と言うのは、通い道と言ったほうが分かりやすくなります。

 

 

 

夢の中だと、基本的には思い通りのはずなのに、それですらもあの人(想いを寄せている人)は人目をさけているのはなぜだろうか?

 

 

 

 

と言うことですね。

 

 

 

 

海岸に打ち寄せる波は昼も夜も変わらずに打ち寄せていますから、これに「昼も夜ですら」と言うことばを掛けているのです。

 

 

 

 

 

想像してみると、海の波と言う自然現象と恋愛(?)と言う想いを馳せているだけでうまくいかないと様子が目に浮かぶ気がします。

 

 

 

 

現代社会でも、失恋をしたらよく海に行ったりするのがドラマや映画に描かれているのはこういった所からの島国『日本』で生まれた日本人としての遺伝子でもあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

また、藤原敏行は京都にある『神護寺(じんごじ)』にある梵鐘は国宝になっていますが、現在は一般公開はされていません。

 

 

 

この梵鐘は詞を「橘広相(たちばなのひろみ)」と言う文章博士や参議を務めていた文人が、銘は「菅原是善(すがわらのこれよし)」

がつくり(菅原道真の父です。)、字を藤原敏行が書いたことから、『三絶の鐘』と呼ばれています。

 

 

 

 

さらに、この書法は『小野篁(おのたかむら)』などの流れをくんでいて、兄弟は藤原敏行の妻にもなっています。

 

 

 

 

ちなみに先述した「小野道風」は小野篁の孫にあたり、小野篁自身も『小倉百人一首』に選ばれています。

 

 

 

 

 

 

ここで、あれ?

 

 

 

と思ったわけです。

 

 

 

 

 

小野篁といえば以前、『小野照崎神社』と言う神社を参拝させて頂いたことを伝えましたが、ここで繋がってくるんですね。

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↑(上記の御朱印は、令和元年の『即位礼の儀』と『大嘗祭』を記念した『小野照崎神社』

特別御朱印です。)

 

 

 

 

 

 

そして、藤原敏行陸奥出羽按察使(むつでわのあぜち)とよばれる、陸奥国出羽国を監督する官職に就いています。

 

 

 

 

 

出羽国と言えば、これも以前お伝えした『出羽三山神社』ですね。

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この山を登って辿り着いた神社なので、余計身近に感じてしまうんです。

 

 

 

 

 

そして、ここは(特に『月山神社』)は『伊勢神宮』と『陰と陽』の関係になっています。

 

 

 

 

このように、なぜかポイント、ポイントで繋がってくるんですね。

 

 

 

 

 

 

さて、本日5月27日は「百人一首の日」でもあります。

 

 

 

 

これを機会にみなさんも『小倉百人一首』にふれ、歌人の生い立ちなどを調べてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

津軽地方と南部地方の文化違

 

前回は津軽と南部の争いがなぜ起こったのかについて、お伝えしてきましたが今回は文化の違いについてお伝えしていきたいと思います。

 

 

 

 

さて、いきなりですが津軽地方と南部地方とでの結婚はあまり良く思われていなかったり、反対されることをご存知でしょうか。

 

 

 

実際、私の親戚も津軽地方と南部地方での結婚をしたのですが、数年後には別れてしまいました💦

 

 

 

 

もちろん、昔から犬猿の中ではありますが、同じ県でも食文化が全く違うと言う要因もあるようです。

 

 

 

 

 

それはそうですよね。どっかがどっちかに食べ物も合わせなきゃいけないってのは結構なストレスになりますもんね。

 

 

 

 

 

 

また、青森県内では「八甲田山」を境に東と西で気候が大きく異なるのも分かっています。

 

 

 

 

これは「フェーン現象」と呼ばれる気象現象の一種で、夏の東側は太平洋から冷たく湿った風の「やませ」が吹き込み、濃霧や冷害に見舞われます。

かたや、西側は夏は非常に良い稲作地帯になっており、冬は逆に日本海から来る湿った季節風が吹き、八甲田山にぶつかって豪雪になるが、東側ではあまり雪は降りません。

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そして、東西というのはまさに南部地方(東側)と津軽地方(西側)を位置しているところからも、気候での文化の違いをも分かると思います。

 

 

 

 

 

西側の津軽地方では冬の豪雪により、春になり溶け出した豊富な水により、稲作が盛んになり縄文時代で最大の遺跡でもある『山内丸山遺跡』や弥生時代の稲作遺跡もそのようなところから発展していていったのかもしれません。

 

 

 

 

 

また、青森県最大の山である「岩木山」も津軽地方側にあり、そこから溶け出した水が豊富な栄養分を含み川に流れて、「十三湖」まで進み、そこで取れる「大和しじみ」は日本でも有数なものとなっています。

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私も、夏に「しじみ狩り」をしたり、「しじみ」を使ったラーメンを食べたことがありますが、しっかり出汁の取れたラーメンで他にはない、子供にも食べやすいラーメンとなっているので、是非一度はご賞味ください♫

 

 

 

 

ただ、週末やお盆・ねぶたの時期などは無茶苦茶混んでいるので時間に余裕を持って御来店下さい。

 

 

 

 

逆に、東側の南部地方では稲作よりも畑作が育ちやすかったことから、麦や蕎麦・また食肉(豚・牛・鷄)なども比較的育てやすくなっています。

 

 

 

 

 

B級グルメで有名な「せんべい汁」なんかはまさに小麦を使いせんべいにしたものを鍋の中にいれ、さらにこのせんべいは「南部せんべい」と呼ばれているところからも、想像ができますね!

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また、八戸港は江戸時代から『東廻海運』の寄港地になっており、その後も重要港として日本でも有数の水揚げ量を誇る港となっています。

 

 

 

 

 

なかでも「イカ」は日本一を誇っているほどです。

 

 

さらに、「アワビ」と「ウニ」を煮た汁物の「いちご煮」も有名です。

 

 

 

お土産でも、中々高価な値段になるのと、珍しいというところからお土産としても喜ばれます。

 

 

 

 

さらに、津軽地方では砂地が多い為にメロンやスイカが特産物となっていて、逆に南部地方ではにんにくやゴボウなど、根菜類がたくさん作られています。

 

 

 

あとはなんといっても津軽地方で有名な夏祭りである「ねぶた」が南部地方ではやっていないのです。

頑なにやらないのも、どこかしらで未だに敵対意識があるのでしょうか。

 

 

 

ちなみに、ご当地の厳選100選に選ばれているのは「せんべい汁」と「いちご煮」でどちらも南部地方側と言うのも面白いですね。

 

 

 

と、このようにひとつの県でここまで大きく異なった文化が続いているのも珍しいと思います。

 

 

 

 

皆さんもこれからの季節、暖かくなってきているので、このような歴史や気候を感じながら観光をしてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

南部と津軽

前回、『疫病退散』のご利益があると言われている『アマビエ』と『ゲゲゲの鬼太郎』第5期でその『アマビエ』とともに準レギュラー扱いとされていた『カワウソ』についてお伝えしました。

 

 

 

 

そして、この『カワウソ』は津軽地方では精魂を奪いヒトのやる気を失ってしまうと言う伝承があり、さらに津軽藩の歴代城主である「津軽氏」は「南部氏」から独立をして城持大名となりました。

 

 

 

また、南部地方には『遠野物語』として有名な妖怪にまつわる話がたくさん残っていますが、この遠野地方には、江戸時代に入り「南部氏」の御三家と言われる「八戸氏」がずっと守っており、「南部遠野家」とも呼ばれていました。

(ただし、江戸時代に独立した「八戸藩」の藩主とは直接的な関係はありません。)

 

 

 

 

そして、明治維新後の『廃藩置県』により、津軽藩南部藩、そして元々は会津藩の士族たちが移り住んだ斗南藩とともに、「青森県」を成立しました。

 

 

 

 

 

 

と、実はこの津軽藩南部藩

 

 

 

 

無茶苦茶、中が悪いのです。

 

 

しかも、未だに…。

 

 

 

 

その理由は南部藩から独立したと言いましたが、その経緯から来ています。

 

 

 

 

 

実は、津軽家の初代藩主である「津軽為信(つがるためのぶ)」は南部氏の家臣だったんですね。

しかも、今の津軽地方の領土あたりを束ねていましたが、『豊臣政権』時代に工作をはかり、「石田三成」を介して「豊臣秀吉」に大名として認めてさせました。

 

 

 

 

 

ようは、南部氏を裏切った上に、上洛要請の際、南部氏よりも早く着き、その間に津軽地方の領地を治めている大名だと認めてさせたんですね。

しかも、秀吉などが好んでいた「鷹狩り」の為の鷹を津軽産のものを贈ったり、一早くから『豊臣政権』に対して恭順な姿勢を示すなどの工作をはかり領土安堵となったとみられています。

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さらに、これには石田三成を通じて一連の工作を行なっており、その恩赦から三成の死後、三女の辰姫(豊臣秀吉の死後、正室である高台院の養女となっています。)を2代目藩主の正室(のちに側室と降格となる)としてむかえます。

 

 

 

そして、この2人の子が3代目となり以降、江戸時代を一貫して三成の子孫が跡を継いでいます。

 

 

 

 

 

上記で話し側室となった辰姫も、特に問題を起こしたわけではなく、「徳川家康」の養女を妻(正室)として迎えなければ行けなくなってしまったので、あえなく降格させることになりました。

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また、三成の次男の「石田重成」も『関ヶ原の戦い』後に津軽に逃げ、「杉山八兵衛」と改名し、津軽氏の重臣となり子孫は家老として、江戸幕府解体まで存続していました。

 

 

 

 

 

いわば、石田三成の子孫たちが名前を変え、場所を変え脈々とその血を受け継いでいったのです。

 

 

 

 

 

 

さらに、弘前城津軽藩城)の敷地内に「館神」と言われる社を初代藩主が建立し、その中には豊臣秀吉の木像が入っていました。

 

 

 

 

先日、大阪の『大宮神社』で見つかった国内最大級の秀吉像もそうですが、徳川時代でもやはり、『太閤様』信仰が秘密裏に続いていたと言うのが、分かりますね!

 

 

 

 

 

さて、はなしは戻しまして青森県には津軽弁と南部弁、さらに下北半島に移り住んできた旧会津藩士たちからなる、下北弁といものがあります。

 

 

 

 

 

今回は津軽と南部のお話を取り上げているので、そちらのお話をしますが、実は日本で唯一旧藩境と、方言の境界線が一致している場所があるのです。

 

 

 

 

それが、南部側が野辺地町

 

 

津軽側が平内町

 

 

 

 

です。

 

 

 

 

これは、現在でも市町村が違うために、通う学校も違うために、方言の境界が守られている日本で唯一の場所で、かなり貴重なものとなっています。

 

 

 

 

 

これからも、このような場所はずっと保存していきたいですよね。

 

 

 

 

 

さて、今回はなぜ現在まで対立いまだにしているのかのきっかけなどをお伝えしまたが、次回はちょっとしたに面白話を含めて、もう少しだけお伝えしようと思います。

 

 

 

 

なかなか笑えますよ!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疫病退散

新型コロナウィルスにより、政府から全国に『緊急事態宣言』が発表されてから約1ヶ月。

 

 

 

 

ちょうどGW(ゴールデンウィーク)にも重なり、不要不急の外出自粛要請や飲食店などの休業要請を受けて、全国民が一致団結したおかげで、ようやく落ち着いてきたような気もしますが、ここで気が緩んでしまうと海外のような2波になりかね無いので、いま一度気を引き締めなければならないと思います。

 

 

 

 

 

さて、そうした中で神社仏閣でも一般の方の参拝を中止したり、制限をしたりするなどさまざまな工夫を懲らし、感染拡大に繋がらないよう努めています。

 

 

 

 

 

また、各神社仏閣がそれぞれ「御祈祷」をして下さり、一刻も早くこの事態が終息するようにと願っており、御朱印にもそのような形を表しているところも増えてきています。

 

 

 

 

 

 

例えば、郵送での配布や、「疫病退散」にご利益がある『アマビエ』を描いたものにしたりなど数多くのデザインで少しでも人々に安堵の気持ちになるようになど、こちらも工夫を懲らしていると思います。

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そして、この『アマビエ』とは妖怪なんですね。

 

 

 

 

 

昔から妖怪の伝承は日本全国、各地にありますがその中でもやはり、一番有名なのが漫画家の「水木しげる」先生の作品の『ゲゲゲの鬼太郎』ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

そして、実はフジテレビで日曜9時枠でスペシャル・セレクションと言うかたちで現在も放送しているわけですが、この作品の5期目には、この『アマビエ』が『カワウソ』という妖怪とともに準レギュラー扱いとして登場しているのです。

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↑(『ゲゲゲの鬼太郎』から参照。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この『カワウソ』はイタズラ好きともされていて、青森県津軽地方ではヒトに取り憑いて、精魂を奪い、元気をなくしてしまうなどと言う言い伝えがあります。

 

 

 

 

 

そして、江戸時代に津軽地方を治めていた「津軽氏」は『豊臣政権』の時代に、「南部氏」から独立した戦国大名です。

 

 

 

 

さらに、江戸時代に入り「南部氏」が治めていた『盛岡藩南部藩)』は現在の岩手県になります。

 

 

 

 

岩手県・妖怪とくれば『遠野物語』で有名ですが、この遠野地方を治めていたのも、「南部氏」の支族で盛岡藩の御三家でもある「八戸氏」でした。

 

 

 

 

 

そして、岩手県は新型コロナウィルス感染者数0人をいまだに保っています。

 

 

 

 

 

もしかしたら、こういった妖怪の力もあり感染者も防いでいるのも知れませんね。

 

 

 

 

 

また、『日本』の妖怪たちは海外のいわゆるモンスターと違って、無差別にヒトを殺めたりすると言うよりは、日本人の勝手な行いからそれを戒めるために悪さをするとしたり、こどものイタズラのようなどこか微笑しい妖怪が多い気がします。

 

 

 

 

元はその地の神様だったが、ヒトの手により荒されてしまい、それが妖怪になったなどと…。

 

 

 

 

 

 

表向きは妖怪=実はその地の氏神様(裏)

 

 

 

 

 

と言う構図。

 

 

 

 

 

今も昔も良くも悪くもするのは人間次第って事ですかね。

 

 

 

 

 

何か、少し今の状況と似ている気もしますが。

 

 

 

 

 

 

少し話はズレますが、岩手県には『わんこ蕎麦』・『盛岡冷麺』などが有名ですが、蕎麦には疲労回復の効果など、また冷麺のトッピングとしてキムチがありますが、これも免疫力を高め、感染症などに効果があるとされています。

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そうしたところからも、岩手県は新型コロナウィルスの感染者が0人なのかもしれません。

 

今後10年後までの目標

皆さんは『国際連合(United Nations)』が2015年から2030年までの今後15年で、17のグローバル目標とそれを細かく分けた169のターゲットからなる、『持続可能な開発目標』と言うのをご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

これを通称

 

SDGs

 

 

と言い、最近では学校や役所などの公共施設などにポスターが貼ってあるのをよく目にすると思います。

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と、ここであれ?

と言うのがいくつかあるんですね。

 

 

 

 

これは『やりすぎ都市伝説』の番組で「Mr.都市伝説 関暁夫」さんもおっしゃっていたことですが、この表の13番目の「気候変動に具体的な対策を」に注目してみて下さい。

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あれっ?

 

 

 

 

って思いませんか?

 

 

 

 

 

『13』と言う数字は『フリーメイソン』の『聖数』です。

 

 

 

 

さらに『フリーメイソン』のシンボルでもある『プロビデンスの目』が描かれているのです。

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そして、『日本』の東京都渋谷区にある『国際連合大学』。

 

 

 

 

 

ここは、唯一『日本』にある『国際連合』関連で本部を置いている機関ですが、この建物もにもこの『プロビデンスの目』があるのです。

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さらに、この建物は13階までは普通の建物ですが、その上の14階が『プロビデンスの目』になっています。

 

 

 

 

 

 

そして、アメリカ紙幣の1ドル札も…。

 

 

 

 

 

下から13番目まではピラミッドなんですね。

 

 

 

 

 

さて、「気候変動」というと『地球温暖化』が頭に浮かびますが、実はその逆に「ミニ氷河期」が到来すると「Mr.都市伝説 関暁夫」さんがおしゃっていました。

 

 

 

 

 

その「ミニ氷河期」がくるのが2030年。

 

 

 

 

 

まさに、来たる「ミニ氷河期」のその年に向けての対策をしているわけです。

 

 

 

 

 

 

温暖化から何故、逆の現象になってまうか不思議だと思うかもしれませんが、よくよく考えてみると分かってきますね。

 

 

 

 

地球は暑くなると水蒸気がドンドンと、暑さによって蒸発します。

そして、その水蒸気が空に上がり、集まって雲になり雨を降らして地上を冷やすと言う、理にかなった状態で現在は地球は温度を保っています。

 

 

 

夏の夕立や、スコールなどを想像すると分かりやすいですよね。

 

 

 

 

ただ、これがあまりに暑くなりすぎると蒸発した水蒸気が溜まり過ぎて地球全体を覆ってしまいかねません。

 

 

 

 

もしこれが現実になった時、大量の水蒸気に出来た雲によって邪魔をされ、地上に太陽の光が差し込まなくなるのです。

 

 

 

 

 

そうなった時、もうどうなるかは容易に想像が出来ますよね。

 

 

 

 

 

作物は育たなくなり、それをエサとして食べている動物は減り(我々が普段食べている牛や豚・鳥なども草食動物です。)、さらに植物が光合成を出来なくなるので、Co2が増え過ぎてさらなる雲の発達を助成してしまうのです。

 

 

 

 

 

 

そうなった時、海も氷で覆われて魚も獲れなくなり、ヒトを含め全ての動物が食物を失ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 

こうなる前に、対策を取る必要があるので、これを目標としてるわけです。

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わりますが『SDGs』の目標は17個ですが、この表には18個描かれています。

 

 

 

 

 

『18』と言う数字は、これも都市伝説では有名な悪魔の数字を足した数になるわけですが、ここであれ?と思ってしまったのです。

 

 

 

 

18番目に描かれているのこの『SDGs』のロゴマークは「太陽のような形状にしたかった」とあります。

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太陽にはある現象(月にもあります。)で、このロゴマークと思いつくのは、光冠ですよね。

 

 

 

 

 

 

光冠とは英語で「コロナ」。

 

 

 

 

「コロナ」と言えば、現在全体世界で猛威を奮っている「新型コロナウィルス」ですよね。

 

 

 

 

 

しかも、終焉するまでにはあと2〜3年は掛かると言われていますし、人工細菌兵器なんじゃないかと言う都市伝説もあるほどです。

 

 

 

 

 

もし、これがそうだとすると、国連はすでにこれを知っていて、わかる人にはわかるようなメッセージを送っていたのでは無いでしょうか。

 

 

 

 

 

だとしたら、ゾッとしてしまいますね。

 

 

 

 

 

 

全世界で徐々に「非常事態宣言」も解除されていくいま、いま一度気を引き締めてさらなる拡大に繋がらないよう、みんなで意識を共有し、打ち勝つようにしなければならないと思います。

長良川鵜飼

今回は思考を変えてみて、日本にある伝統漁法のひとつである『長良川鵜飼』についてお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

これは、毎年5月11日から10月15日まで行われる漁法で、『中秋の名月』など満月の日や川の増水以外にはこの期間中、毎日行われているそうです。

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なぜ、今回これを記事にしようとしたかと言うと、たまたま自宅にある録画用のHDDの整理をしていて、毎週録画をしていた神社の番組に目がとまり、ある神社を見たところから始まりました。

 

 

 

 

 

その番組というのは『ごりやくさん』という地方番組です。

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毎週、違う神社を紹介し、30分番組ではありますが、神社の由来やその周辺の特産物なども紹介しているので、なかなか為になりますし、より参拝してみたいという気持ちを駆り立てる番組になっています。

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回その番組で気になってつい、見た神社とは岐阜県岐阜市にある『金神社(こがねじんじゃ)』です。

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以前からこの神社は気になっていた神社のひとつでもあったのですが、この番組をみるとまさかの長良川の鵜飼・織田信長・さらに美濃という知名が出てきて、「あれっ⁈」と思いました。

 

 

 

 

 

まさに「大河ドラマ」の『麒麟がくる』での重要な場所。

 

 

 

 

さらに、この番組を見たのもちょうど「斎藤道三」と嫡男である「斎藤義龍」の合戦である『長良川の戦い』の放送日だったんです。

 

 

 

 

 

これも何かの巡り合わせかなと思い、調べてみるとまさかの本日、5月11日から鵜飼が解禁するという奇跡。

 

 

 

 

ただし、今年は新型コロナウィルスによる影響で、延期しているみたいですが、他にも色々と調べていくうちに、面白いことがたくさん出てきました。

 

 

 

 

 

まず、はじめに日本で唯一『皇室』御用の鵜飼であり、宮内庁が管理していること。

 

 

 

 

という事は、長良川の鵜匠は国家公務員になるわけですね。

 

 

 

 

ここで獲れた鮎はまさかの『皇居』に納められるそうです。

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少し余談ではありますが、この「鮎」という感じの成り立ちは、第15代天皇応神天皇』=『八幡神』様(日本全国にある八幡宮主祭神)の母親である『神功皇后』がアユを釣って勝敗を占ったと言うところから、この漢字になったという説があるんです。

(他にも諸説有り)

 

 

 

 

 

 

また、初夏から夏にかけてが旬の魚なので、「鮎」「鵜飼」は夏の季語として、「若鮎」はは春、秋には「落ち鮎」、冬は「氷魚」と四季折々で使われています。

 

 

 

 

古来から「鮎」は日本人にとって慣れ親しんだ、食用魚だったんですね!

 

 

 

 

 

 

話は戻りまして、『長良川鵜飼』の歴史は1300年以上前の第42代・『文武天皇』の時代から行われていて、それ以降、時の権力者にそれ自体を贅沢なものとして重宝されてきました。

 

 

 

 

 

日本初の幕府を開いた「源頼朝」や、「織田信長」、また「徳川家康」などにも大変好かれていました。

 

 

 

 

また、明治時代以降も『天皇陛下』が天覧鵜飼をされており、今では観光としても、大変人気なものとなっています。

 

 

 

 

 

 

これからどんどんと暑くもなって来ますので、このいまの新型コロナウィルスの騒ぎが落ち着いたら、是非こどもたちを連れて体験してみたいものですね!

 

 

 

端午の節句

 

本日は5月5日で、日本の祝日㊗️になりますが、

令和2年の今年は「新型コロナウィルス(COVID-19)」の感染拡大を抑えるために、日本全国で、『緊急事態宣言』を5月6日のGW(ゴールデンウィーク)までから5月31日まで、延長しました。

 

 

 

 

 

不要不急の外出自粛において、自治体での放送や、公園では遊具の使用禁止。

 

 

 

 

 

また、遊園地やレジャー施設の休園、飲食店などの営業自粛など、様々な人々がこの騒動で影響を受け、ストレスも溜まっていると思います。

 

 

 

 

 

そんな中で我が家でも、ホットプレートやたこ焼き器をを使い子供たちと一緒になって色々と料理を楽しんで少しでも、ストレス発散させているわけですが、それでも子供たちにとっては

ストレスが溜まっていると分かります。

 

 

 

 

 

 

さて、そんなこんなで『端午の節句』に縁起物として食べられる、「柏餅」を作ってみました。

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そして、他にも縁起物として「菖蒲湯」に入ったり、ブリやスズキを食べたりとあります。

 

 

 

 

菖蒲=勝負に勝つ

 

 

ブリやスズキは出世魚から食べられるようになったとありますが、この風習が広まったのは江戸時代になってからと言われています。

 

 

 

 

ちなみに柏餅の柏は、新芽が育つまで古い葉が落ちないと言うところから、「子孫繁栄」の縁起物として供えられるようになったそうです。

 

 

 

 

 

やはり、武士の時代はいかに家系を繋げていける事が出来るかが、重要だったというのがここでも分かりますね。

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わりますが5月5日は子供たちにいまだ絶大に人気漫画の主人公の誕生日となっています。

 

 

 

 

 

 

その主人公とは『クレヨンしんちゃん』の『野原しんのすけ

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しんちゃんは5月5日生まれの5歳ということで、5が3つならんでいるんですね!

 

 

 

 

そして、『クレヨンしんちゃん』には悲しい都市伝説があったりとしますが、それはともかくとして、本当に良い作品です。

 

 

 

 

 

特に映画はもはや子供向けと言うよりは、大人を泣かせにかかっている気がしてならないくらい良い作品ばかり!

 

 

 

 

 

本当はいくつか、オススメをちょうどこの下くらいに貼りたいのですが、やり方が分からないので、ご勘弁を。

 

 

(知っている方がいらしたら、是非教えて欲しいです。笑)

 

 

 

 

 

さて、話は戻しまして日本の漫画の中で、世界的に有名な主人公も実は5月5日生まれのと言うのを知っていますか?

 

 

 

 

 

その主人公とは

 

 

 

 

モンキー・D・ルフィ

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言わずと知れた『ワンピース』の主人公ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

と、ここで『ワンピース』が実はあの秘密結社と繋がっていると言う都市伝説をご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

 

まず、最初に挙げられる都市伝説は、作中に大事な「キーワード」として表されている

 

 

 

 

『Dの意思』

 

 

 

 

 

これは、都市伝説が好きな方々には有名な「キーワード」ですよね。

 

 

 

 

 

 

そのある秘密結社とは

 

 

 

 

 

フリーメイソン

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フリーメイソン』の前身は『テンプル騎士団』と以前お伝えしました。

 

 

 

 

その『テンプル騎士団』の歴代総長のほとんどが名前に『D』がついているのです。

 

 

 

 

さらに、この『テンプル騎士団』は一説には『聖杯』を見つけ出し、『イエス・キリスト』に関しての秘密を知っていると言う噂があるのです。

 

 

 

 

その後、『テンプル騎士団』は弾圧されてしまいますが、最後の総長である『ジャック・ド・モレー』も団員たちとともに処刑されてしまいます。

 

 

 

 

 

そして生き残った団員により、頭蓋骨と2本の大腿骨(骨)を持ち出し、現在のイギリスへと逃げ落ちました。

 

 

 

 

この理由は、頭蓋骨と2本の大腿骨さえあればいずれ復活すると信じられていたそうです。

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さて、上記↑の図を見たこと、ありますよね。

 

 

 

 

 

そうです、「海賊旗」です。

 

 

 

 

 

さらに、この海賊旗の名前を欧米では「ジョリー・ロジャー」とも呼ばれています。

 

 

 

 

どんどん繋がってきましたね。

 

 

 

 

 

さらに現在、『ワノ国編』となっており、ワノ国の元将軍であった「光月家」は「ポーネグリフ」と言う石板に文字を書き、『Dの意思』に関してをいくつも残しています。

 

 

 

 

 

ここで気になるのが、「光月家」=元石工職人と言うこと。

 

 

 

 

 

石工職人と言えば、まさに『フリーメイソン』の前身ですよね。

 

 

 

 

 

そして、極めつけは主人公である『ルフィ』の名前にあります。

 

 

 

 

 

良く、欧米などの名前を略して呼ぶと言うようなのを聞いたことがあるでしょうか?

 

 

 

 

例えば、マイケルをマイクだったり、ニクソンをニックと呼んだり。

 

 

 

 

 

 

その略し方を『ルフィ』に当てはめると

 

 

 

 

 

 

『堕天使・ルシファー』

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そして、悪魔の長となっておりそれを崇拝している秘密結社が

 

 

 

 

 

 

 

イルミナティ

 

 

 

 

 

 

なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが繋がってきましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、『ワンピース』での最終目的地が『ラフテル』で、その綴りを見ると「笑い話・嘘」と言う意味になりますが、現在のこの国いや、世界の現状をいつかこんな風に「あの時はこーだった。あーだった。」などと、いつかみんなで笑える日が来ると信じています。

 

 

 

 

 

そうするためにも、いまの現状を受け止め自分自身も行動するよう努めています。

 

 

 

 

 

そして、本日は『こどもの日』㊗️

 

 

 

 

 

日本の伝統や風習を次世代の子供たちに伝えていき、子供たちにとっても良い思い出として残していきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界最大の財閥とつながる人物たち

前回まで、ある財閥の傘下である『ジャーディン・マセソン商会』と言う企業のさらに傘下の企業についてお伝えしてきました。

 

 

 

 

日本でも、数多くの大手企業がその傘下となっていると言う都市伝説染みた噂がありますが、今回はこの企業と繋がっている人物たちについてお伝えしていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

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さて、上記↑の国旗はどこの国かお分かりか分かりますね。

 

 

 

言わずとしれたアメリカ合衆国の国旗、通称『星条旗』と呼ばれています。

 

 

 

この赤と白の横線は最初にイギリスから渡り独立までに入植した『13』の州の数で、星は現在までに出来た州を表しています。

 

 

 

 

 

出ましたね。

 

 

 

 

 

『13』

 

 

 

 

 

と言う数字。

 

 

 

 

 

これは初代大統領『ジョージ・ワシントン』など、独立時に上層部のほとんどが入会していたある「秘密結社」の『聖数』になっているのです。

 

 

 

 

 

その秘密結社とは。

 

 

 

 

 

 

フリーメイソン

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さらに、ジョージ・ワシントンとある人物がある秘密結社の創始者が同一人物と言う都市伝説があります。

 

 

 

 

 

その人物とは

 

 

 

 

 

『アダム・ヴァイスハオプト』

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そして彼が創始者となった秘密結社とは

 

 

 

 

 

 

イルミナティ

 

 

 

 

 

 

 

出ましたね!

 

 

 

 

 

 

 

この秘密結社には2つの財閥が、欧州・米と双方で権力を握っていると言われおり、さらには世界を牛耳っていると言う都市伝説が存在します。

 

 

 

 

 

その2大巨頭と言うのが

 

 

 

 

 

ロスチャイルド家

 

 

 

 

       と

 

 

 

 

 

『ロックフェラー家』

 

 

 

 

 

しかも、『ロスチャイルド』財閥に関してはアメリカ紙幣を造幣する中央銀行機関である「FRB」の筆頭株主であり、アメリカ紙幣(金融)を裏で牛耳っていると言われています。

 

 

 

 

 

中央銀行がその国の政府が管理していないこと自体が驚きですが、それを掌握していることにもさらに驚きです。

 

 

 

 

 

そして、実は我が国『日本』もそうなのです。

 

 

 

 

ただし、株式会社ではないので株に準ずる「出資証券」と言うものですが。

 

 

 

 

ちなみに『日本』では政府が55%保有しており、他は民間が保有しているようです。

 

 

 

 

 

ただ、もしイギリス・アメリカ・日本を掌握しているのであれば、それこそ世界の金融を牛耳っていることになりますね。

 

 

 

 

イギリス銀行はそもそも『ロスチャイルド財閥』の傘下ですから。

 

 

 

 

 

 

そして、2020年5月1日現在のアメリカ合衆国・第45代目大統領である「ドナルド・トランプ」ですが、実業家時代に『ロックフェラー財閥』の傘下である企業から出資を受けていました。

 

 

 

 

 

また、その後の事業再建では『ロスチャイルド財閥』とも関係を結んでいます。

 

 

 

 

 

なにか、なるべくしてなったと思ってしまいますよね。

 

 

 

 

 

 

話は日本に戻りまして、明治維新での薩長は『ロスチャイルド財閥』の傘下である『ジャーディン・マセソン商会』の日本長崎支部である『グラバー商会』によって、武器などを購入し旧幕府軍に打ち勝つことができました。

 

 

 

 

 

その新政府を作りあげ、現在に至っているわけですが、実はこの『ジャーディン・マセソン商会』の横浜支店に明治元年にのちの『サンフランシスコ平和条約』を結ぶことを実現した、第45代・内閣総理大臣などを就任した『吉田茂』の養父が支店長になっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

この『吉田茂』と言う人物は、本当にすごい人物で、「ポツダム宣言」により、『日本』が敗戦国となり、その後GHQ支配下になりましたが、この『サンフランシスコ平和条約』の締結により、連合国からの独立・平和回復をしたのです。

 

 

 

 

 

これにより、『日本』は自らが主導のもとに成長し、一時期には世界第2位の経済大国にまで上りつめ、今でも世界有数の経済大国であり続けているのです。

 

 

 

 

 

 

そして、彼の義祖父には『明治の三傑』と呼ばれ、明治維新の事実上トップであった『大久保利通』がおり、さらに孫には第92代・内閣総理大臣であり、現在副総理大臣として就任している『麻生太郎』がいるんです。

 

 

 

 

 

 

さらにすごいことに、彼は「吉田学校」と呼ばれるこれからの若い国会議員を育てるためにグループを作り上げました。

 

 

 

 

 

 

 

この「吉田学校」出身者には戦後、日本の高度経済成長の進展に最も大きな政策をとった第58代・内閣総理大臣などを就任した『佐藤栄作』。

 

 

 

 

第83代・内閣総理大臣である『橋本龍太郎』の父。

 

 

 

 

 

日韓基本条約批准・非核三原則の提唱・沖縄返還を成し遂げ、さらには日本人として唯一、『ノーベル平和賞』を受賞した第61代・内閣総理大臣などを就任の『佐藤栄作』。

 

 

 

 

さらには全国に新幹線を敷くことを決定し、地方にも足を運びやくし、、安定的な経済を安定させる政策をとった第64代・内閣総理大臣などを就任した『田中角栄』など、その後の日本を作りあげた人物たちがいたのです。

 

 

 

 

 

 

 

また、佐藤栄作の実の兄は第56代・内閣総理大臣などを就任した『岸信介』であり、その孫には2020年5月1日現在、内閣総理大臣を就任している『安倍晋三』になります。

 

 

 

 

 

こうして見てみると、吉田茂から戦後の日本、強いては政治が始まり、また彼の意思を引き継いでいる気がしますね。

 

 

 

 

 

 

 

そして、そこには世界を牛耳っている巨大な財閥である『ロスチャイルド家』の息も確実にかかっている気がします。

 

 

 

 

 

 

 

さらには現・内閣総理大臣、副総理大臣は薩長の血を受け継いでいます。

と言うことは未だにまだ『豊臣政権』が続いていると言うことですね。

 

 

 

 

 

江戸時代を260年以上も続けた『徳川幕府』。

 

 

 

 

 

それを『ロスチャイルド家』の力により新たに政権を取り返した『豊臣政権』。

 

 

 

 

 

未だ、『関ヶ原の戦い』が違う形で続いている様な気がします。

 

 

 

 

 

明治以降まだわずか150年余り。

 

 

 

 

 

そして、いま世界的な混乱になっている中、我々『日本人』は過去の歴史を見つめ直し、一人一人が『日本人』としての自覚を持ち、一致団結してこのような状況に打ち勝つことが必要かもしれませんね!