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『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

南部と津軽

前回、『疫病退散』のご利益があると言われている『アマビエ』と『ゲゲゲの鬼太郎』第5期でその『アマビエ』とともに準レギュラー扱いとされていた『カワウソ』についてお伝えしました。

 

 

 

 

そして、この『カワウソ』は津軽地方では精魂を奪いヒトのやる気を失ってしまうと言う伝承があり、さらに津軽藩の歴代城主である「津軽氏」は「南部氏」から独立をして城持大名となりました。

 

 

 

また、南部地方には『遠野物語』として有名な妖怪にまつわる話がたくさん残っていますが、この遠野地方には、江戸時代に入り「南部氏」の御三家と言われる「八戸氏」がずっと守っており、「南部遠野家」とも呼ばれていました。

(ただし、江戸時代に独立した「八戸藩」の藩主とは直接的な関係はありません。)

 

 

 

 

そして、明治維新後の『廃藩置県』により、津軽藩南部藩、そして元々は会津藩の士族たちが移り住んだ斗南藩とともに、「青森県」を成立しました。

 

 

 

 

 

 

と、実はこの津軽藩南部藩

 

 

 

 

無茶苦茶、中が悪いのです。

 

 

しかも、未だに…。

 

 

 

 

その理由は南部藩から独立したと言いましたが、その経緯から来ています。

 

 

 

 

 

実は、津軽家の初代藩主である「津軽為信(つがるためのぶ)」は南部氏の家臣だったんですね。

しかも、今の津軽地方の領土あたりを束ねていましたが、『豊臣政権』時代に工作をはかり、「石田三成」を介して「豊臣秀吉」に大名として認めてさせました。

 

 

 

 

 

ようは、南部氏を裏切った上に、上洛要請の際、南部氏よりも早く着き、その間に津軽地方の領地を治めている大名だと認めてさせたんですね。

しかも、秀吉などが好んでいた「鷹狩り」の為の鷹を津軽産のものを贈ったり、一早くから『豊臣政権』に対して恭順な姿勢を示すなどの工作をはかり領土安堵となったとみられています。

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さらに、これには石田三成を通じて一連の工作を行なっており、その恩赦から三成の死後、三女の辰姫(豊臣秀吉の死後、正室である高台院の養女となっています。)を2代目藩主の正室(のちに側室と降格となる)としてむかえます。

 

 

 

そして、この2人の子が3代目となり以降、江戸時代を一貫して三成の子孫が跡を継いでいます。

 

 

 

 

 

上記で話し側室となった辰姫も、特に問題を起こしたわけではなく、「徳川家康」の養女を妻(正室)として迎えなければ行けなくなってしまったので、あえなく降格させることになりました。

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また、三成の次男の「石田重成」も『関ヶ原の戦い』後に津軽に逃げ、「杉山八兵衛」と改名し、津軽氏の重臣となり子孫は家老として、江戸幕府解体まで存続していました。

 

 

 

 

 

いわば、石田三成の子孫たちが名前を変え、場所を変え脈々とその血を受け継いでいったのです。

 

 

 

 

 

 

さらに、弘前城津軽藩城)の敷地内に「館神」と言われる社を初代藩主が建立し、その中には豊臣秀吉の木像が入っていました。

 

 

 

 

先日、大阪の『大宮神社』で見つかった国内最大級の秀吉像もそうですが、徳川時代でもやはり、『太閤様』信仰が秘密裏に続いていたと言うのが、分かりますね!

 

 

 

 

 

さて、はなしは戻しまして青森県には津軽弁と南部弁、さらに下北半島に移り住んできた旧会津藩士たちからなる、下北弁といものがあります。

 

 

 

 

 

今回は津軽と南部のお話を取り上げているので、そちらのお話をしますが、実は日本で唯一旧藩境と、方言の境界線が一致している場所があるのです。

 

 

 

 

それが、南部側が野辺地町

 

 

津軽側が平内町

 

 

 

 

です。

 

 

 

 

これは、現在でも市町村が違うために、通う学校も違うために、方言の境界が守られている日本で唯一の場所で、かなり貴重なものとなっています。

 

 

 

 

 

これからも、このような場所はずっと保存していきたいですよね。

 

 

 

 

 

さて、今回はなぜ現在まで対立いまだにしているのかのきっかけなどをお伝えしまたが、次回はちょっとしたに面白話を含めて、もう少しだけお伝えしようと思います。

 

 

 

 

なかなか笑えますよ!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疫病退散

新型コロナウィルスにより、政府から全国に『緊急事態宣言』が発表されてから約1ヶ月。

 

 

 

 

ちょうどGW(ゴールデンウィーク)にも重なり、不要不急の外出自粛要請や飲食店などの休業要請を受けて、全国民が一致団結したおかげで、ようやく落ち着いてきたような気もしますが、ここで気が緩んでしまうと海外のような2波になりかね無いので、いま一度気を引き締めなければならないと思います。

 

 

 

 

 

さて、そうした中で神社仏閣でも一般の方の参拝を中止したり、制限をしたりするなどさまざまな工夫を懲らし、感染拡大に繋がらないよう努めています。

 

 

 

 

 

また、各神社仏閣がそれぞれ「御祈祷」をして下さり、一刻も早くこの事態が終息するようにと願っており、御朱印にもそのような形を表しているところも増えてきています。

 

 

 

 

 

 

例えば、郵送での配布や、「疫病退散」にご利益がある『アマビエ』を描いたものにしたりなど数多くのデザインで少しでも人々に安堵の気持ちになるようになど、こちらも工夫を懲らしていると思います。

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そして、この『アマビエ』とは妖怪なんですね。

 

 

 

 

 

昔から妖怪の伝承は日本全国、各地にありますがその中でもやはり、一番有名なのが漫画家の「水木しげる」先生の作品の『ゲゲゲの鬼太郎』ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

そして、実はフジテレビで日曜9時枠でスペシャル・セレクションと言うかたちで現在も放送しているわけですが、この作品の5期目には、この『アマビエ』が『カワウソ』という妖怪とともに準レギュラー扱いとして登場しているのです。

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↑(『ゲゲゲの鬼太郎』から参照。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この『カワウソ』はイタズラ好きともされていて、青森県津軽地方ではヒトに取り憑いて、精魂を奪い、元気をなくしてしまうなどと言う言い伝えがあります。

 

 

 

 

 

そして、江戸時代に津軽地方を治めていた「津軽氏」は『豊臣政権』の時代に、「南部氏」から独立した戦国大名です。

 

 

 

 

さらに、江戸時代に入り「南部氏」が治めていた『盛岡藩南部藩)』は現在の岩手県になります。

 

 

 

 

岩手県・妖怪とくれば『遠野物語』で有名ですが、この遠野地方を治めていたのも、「南部氏」の支族で盛岡藩の御三家でもある「八戸氏」でした。

 

 

 

 

 

そして、岩手県は新型コロナウィルス感染者数0人をいまだに保っています。

 

 

 

 

 

もしかしたら、こういった妖怪の力もあり感染者も防いでいるのも知れませんね。

 

 

 

 

 

また、『日本』の妖怪たちは海外のいわゆるモンスターと違って、無差別にヒトを殺めたりすると言うよりは、日本人の勝手な行いからそれを戒めるために悪さをするとしたり、こどものイタズラのようなどこか微笑しい妖怪が多い気がします。

 

 

 

 

元はその地の神様だったが、ヒトの手により荒されてしまい、それが妖怪になったなどと…。

 

 

 

 

 

 

表向きは妖怪=実はその地の氏神様(裏)

 

 

 

 

 

と言う構図。

 

 

 

 

 

今も昔も良くも悪くもするのは人間次第って事ですかね。

 

 

 

 

 

何か、少し今の状況と似ている気もしますが。

 

 

 

 

 

 

少し話はズレますが、岩手県には『わんこ蕎麦』・『盛岡冷麺』などが有名ですが、蕎麦には疲労回復の効果など、また冷麺のトッピングとしてキムチがありますが、これも免疫力を高め、感染症などに効果があるとされています。

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そうしたところからも、岩手県は新型コロナウィルスの感染者が0人なのかもしれません。

 

今後10年後までの目標

皆さんは『国際連合(United Nations)』が2015年から2030年までの今後15年で、17のグローバル目標とそれを細かく分けた169のターゲットからなる、『持続可能な開発目標』と言うのをご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

これを通称

 

SDGs

 

 

と言い、最近では学校や役所などの公共施設などにポスターが貼ってあるのをよく目にすると思います。

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と、ここであれ?

と言うのがいくつかあるんですね。

 

 

 

 

これは『やりすぎ都市伝説』の番組で「Mr.都市伝説 関暁夫」さんもおっしゃっていたことですが、この表の13番目の「気候変動に具体的な対策を」に注目してみて下さい。

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あれっ?

 

 

 

 

って思いませんか?

 

 

 

 

 

『13』と言う数字は『フリーメイソン』の『聖数』です。

 

 

 

 

さらに『フリーメイソン』のシンボルでもある『プロビデンスの目』が描かれているのです。

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そして、『日本』の東京都渋谷区にある『国際連合大学』。

 

 

 

 

 

ここは、唯一『日本』にある『国際連合』関連で本部を置いている機関ですが、この建物もにもこの『プロビデンスの目』があるのです。

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さらに、この建物は13階までは普通の建物ですが、その上の14階が『プロビデンスの目』になっています。

 

 

 

 

 

 

そして、アメリカ紙幣の1ドル札も…。

 

 

 

 

 

下から13番目まではピラミッドなんですね。

 

 

 

 

 

さて、「気候変動」というと『地球温暖化』が頭に浮かびますが、実はその逆に「ミニ氷河期」が到来すると「Mr.都市伝説 関暁夫」さんがおしゃっていました。

 

 

 

 

 

その「ミニ氷河期」がくるのが2030年。

 

 

 

 

 

まさに、来たる「ミニ氷河期」のその年に向けての対策をしているわけです。

 

 

 

 

 

 

温暖化から何故、逆の現象になってまうか不思議だと思うかもしれませんが、よくよく考えてみると分かってきますね。

 

 

 

 

地球は暑くなると水蒸気がドンドンと、暑さによって蒸発します。

そして、その水蒸気が空に上がり、集まって雲になり雨を降らして地上を冷やすと言う、理にかなった状態で現在は地球は温度を保っています。

 

 

 

夏の夕立や、スコールなどを想像すると分かりやすいですよね。

 

 

 

 

ただ、これがあまりに暑くなりすぎると蒸発した水蒸気が溜まり過ぎて地球全体を覆ってしまいかねません。

 

 

 

 

もしこれが現実になった時、大量の水蒸気に出来た雲によって邪魔をされ、地上に太陽の光が差し込まなくなるのです。

 

 

 

 

 

そうなった時、もうどうなるかは容易に想像が出来ますよね。

 

 

 

 

 

作物は育たなくなり、それをエサとして食べている動物は減り(我々が普段食べている牛や豚・鳥なども草食動物です。)、さらに植物が光合成を出来なくなるので、Co2が増え過ぎてさらなる雲の発達を助成してしまうのです。

 

 

 

 

 

 

そうなった時、海も氷で覆われて魚も獲れなくなり、ヒトを含め全ての動物が食物を失ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 

こうなる前に、対策を取る必要があるので、これを目標としてるわけです。

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わりますが『SDGs』の目標は17個ですが、この表には18個描かれています。

 

 

 

 

 

『18』と言う数字は、これも都市伝説では有名な悪魔の数字を足した数になるわけですが、ここであれ?と思ってしまったのです。

 

 

 

 

18番目に描かれているのこの『SDGs』のロゴマークは「太陽のような形状にしたかった」とあります。

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太陽にはある現象(月にもあります。)で、このロゴマークと思いつくのは、光冠ですよね。

 

 

 

 

 

 

光冠とは英語で「コロナ」。

 

 

 

 

「コロナ」と言えば、現在全体世界で猛威を奮っている「新型コロナウィルス」ですよね。

 

 

 

 

 

しかも、終焉するまでにはあと2〜3年は掛かると言われていますし、人工細菌兵器なんじゃないかと言う都市伝説もあるほどです。

 

 

 

 

 

もし、これがそうだとすると、国連はすでにこれを知っていて、わかる人にはわかるようなメッセージを送っていたのでは無いでしょうか。

 

 

 

 

 

だとしたら、ゾッとしてしまいますね。

 

 

 

 

 

 

全世界で徐々に「非常事態宣言」も解除されていくいま、いま一度気を引き締めてさらなる拡大に繋がらないよう、みんなで意識を共有し、打ち勝つようにしなければならないと思います。

長良川鵜飼

今回は思考を変えてみて、日本にある伝統漁法のひとつである『長良川鵜飼』についてお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

これは、毎年5月11日から10月15日まで行われる漁法で、『中秋の名月』など満月の日や川の増水以外にはこの期間中、毎日行われているそうです。

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なぜ、今回これを記事にしようとしたかと言うと、たまたま自宅にある録画用のHDDの整理をしていて、毎週録画をしていた神社の番組に目がとまり、ある神社を見たところから始まりました。

 

 

 

 

 

その番組というのは『ごりやくさん』という地方番組です。

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毎週、違う神社を紹介し、30分番組ではありますが、神社の由来やその周辺の特産物なども紹介しているので、なかなか為になりますし、より参拝してみたいという気持ちを駆り立てる番組になっています。

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回その番組で気になってつい、見た神社とは岐阜県岐阜市にある『金神社(こがねじんじゃ)』です。

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以前からこの神社は気になっていた神社のひとつでもあったのですが、この番組をみるとまさかの長良川の鵜飼・織田信長・さらに美濃という知名が出てきて、「あれっ⁈」と思いました。

 

 

 

 

 

まさに「大河ドラマ」の『麒麟がくる』での重要な場所。

 

 

 

 

さらに、この番組を見たのもちょうど「斎藤道三」と嫡男である「斎藤義龍」の合戦である『長良川の戦い』の放送日だったんです。

 

 

 

 

 

これも何かの巡り合わせかなと思い、調べてみるとまさかの本日、5月11日から鵜飼が解禁するという奇跡。

 

 

 

 

ただし、今年は新型コロナウィルスによる影響で、延期しているみたいですが、他にも色々と調べていくうちに、面白いことがたくさん出てきました。

 

 

 

 

 

まず、はじめに日本で唯一『皇室』御用の鵜飼であり、宮内庁が管理していること。

 

 

 

 

という事は、長良川の鵜匠は国家公務員になるわけですね。

 

 

 

 

ここで獲れた鮎はまさかの『皇居』に納められるそうです。

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少し余談ではありますが、この「鮎」という感じの成り立ちは、第15代天皇応神天皇』=『八幡神』様(日本全国にある八幡宮主祭神)の母親である『神功皇后』がアユを釣って勝敗を占ったと言うところから、この漢字になったという説があるんです。

(他にも諸説有り)

 

 

 

 

 

 

また、初夏から夏にかけてが旬の魚なので、「鮎」「鵜飼」は夏の季語として、「若鮎」はは春、秋には「落ち鮎」、冬は「氷魚」と四季折々で使われています。

 

 

 

 

古来から「鮎」は日本人にとって慣れ親しんだ、食用魚だったんですね!

 

 

 

 

 

 

話は戻りまして、『長良川鵜飼』の歴史は1300年以上前の第42代・『文武天皇』の時代から行われていて、それ以降、時の権力者にそれ自体を贅沢なものとして重宝されてきました。

 

 

 

 

 

日本初の幕府を開いた「源頼朝」や、「織田信長」、また「徳川家康」などにも大変好かれていました。

 

 

 

 

また、明治時代以降も『天皇陛下』が天覧鵜飼をされており、今では観光としても、大変人気なものとなっています。

 

 

 

 

 

 

これからどんどんと暑くもなって来ますので、このいまの新型コロナウィルスの騒ぎが落ち着いたら、是非こどもたちを連れて体験してみたいものですね!

 

 

 

端午の節句

 

本日は5月5日で、日本の祝日㊗️になりますが、

令和2年の今年は「新型コロナウィルス(COVID-19)」の感染拡大を抑えるために、日本全国で、『緊急事態宣言』を5月6日のGW(ゴールデンウィーク)までから5月31日まで、延長しました。

 

 

 

 

 

不要不急の外出自粛において、自治体での放送や、公園では遊具の使用禁止。

 

 

 

 

 

また、遊園地やレジャー施設の休園、飲食店などの営業自粛など、様々な人々がこの騒動で影響を受け、ストレスも溜まっていると思います。

 

 

 

 

 

そんな中で我が家でも、ホットプレートやたこ焼き器をを使い子供たちと一緒になって色々と料理を楽しんで少しでも、ストレス発散させているわけですが、それでも子供たちにとっては

ストレスが溜まっていると分かります。

 

 

 

 

 

 

さて、そんなこんなで『端午の節句』に縁起物として食べられる、「柏餅」を作ってみました。

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そして、他にも縁起物として「菖蒲湯」に入ったり、ブリやスズキを食べたりとあります。

 

 

 

 

菖蒲=勝負に勝つ

 

 

ブリやスズキは出世魚から食べられるようになったとありますが、この風習が広まったのは江戸時代になってからと言われています。

 

 

 

 

ちなみに柏餅の柏は、新芽が育つまで古い葉が落ちないと言うところから、「子孫繁栄」の縁起物として供えられるようになったそうです。

 

 

 

 

 

やはり、武士の時代はいかに家系を繋げていける事が出来るかが、重要だったというのがここでも分かりますね。

 

 

 

 

 

 

さて、話は変わりますが5月5日は子供たちにいまだ絶大に人気漫画の主人公の誕生日となっています。

 

 

 

 

 

 

その主人公とは『クレヨンしんちゃん』の『野原しんのすけ

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しんちゃんは5月5日生まれの5歳ということで、5が3つならんでいるんですね!

 

 

 

 

そして、『クレヨンしんちゃん』には悲しい都市伝説があったりとしますが、それはともかくとして、本当に良い作品です。

 

 

 

 

 

特に映画はもはや子供向けと言うよりは、大人を泣かせにかかっている気がしてならないくらい良い作品ばかり!

 

 

 

 

 

本当はいくつか、オススメをちょうどこの下くらいに貼りたいのですが、やり方が分からないので、ご勘弁を。

 

 

(知っている方がいらしたら、是非教えて欲しいです。笑)

 

 

 

 

 

さて、話は戻しまして日本の漫画の中で、世界的に有名な主人公も実は5月5日生まれのと言うのを知っていますか?

 

 

 

 

 

その主人公とは

 

 

 

 

モンキー・D・ルフィ

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言わずと知れた『ワンピース』の主人公ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

と、ここで『ワンピース』が実はあの秘密結社と繋がっていると言う都市伝説をご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

 

まず、最初に挙げられる都市伝説は、作中に大事な「キーワード」として表されている

 

 

 

 

『Dの意思』

 

 

 

 

 

これは、都市伝説が好きな方々には有名な「キーワード」ですよね。

 

 

 

 

 

 

そのある秘密結社とは

 

 

 

 

 

フリーメイソン

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フリーメイソン』の前身は『テンプル騎士団』と以前お伝えしました。

 

 

 

 

その『テンプル騎士団』の歴代総長のほとんどが名前に『D』がついているのです。

 

 

 

 

さらに、この『テンプル騎士団』は一説には『聖杯』を見つけ出し、『イエス・キリスト』に関しての秘密を知っていると言う噂があるのです。

 

 

 

 

その後、『テンプル騎士団』は弾圧されてしまいますが、最後の総長である『ジャック・ド・モレー』も団員たちとともに処刑されてしまいます。

 

 

 

 

 

そして生き残った団員により、頭蓋骨と2本の大腿骨(骨)を持ち出し、現在のイギリスへと逃げ落ちました。

 

 

 

 

この理由は、頭蓋骨と2本の大腿骨さえあればいずれ復活すると信じられていたそうです。

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さて、上記↑の図を見たこと、ありますよね。

 

 

 

 

 

そうです、「海賊旗」です。

 

 

 

 

 

さらに、この海賊旗の名前を欧米では「ジョリー・ロジャー」とも呼ばれています。

 

 

 

 

どんどん繋がってきましたね。

 

 

 

 

 

さらに現在、『ワノ国編』となっており、ワノ国の元将軍であった「光月家」は「ポーネグリフ」と言う石板に文字を書き、『Dの意思』に関してをいくつも残しています。

 

 

 

 

 

ここで気になるのが、「光月家」=元石工職人と言うこと。

 

 

 

 

 

石工職人と言えば、まさに『フリーメイソン』の前身ですよね。

 

 

 

 

 

そして、極めつけは主人公である『ルフィ』の名前にあります。

 

 

 

 

 

良く、欧米などの名前を略して呼ぶと言うようなのを聞いたことがあるでしょうか?

 

 

 

 

例えば、マイケルをマイクだったり、ニクソンをニックと呼んだり。

 

 

 

 

 

 

その略し方を『ルフィ』に当てはめると

 

 

 

 

 

 

『堕天使・ルシファー』

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そして、悪魔の長となっておりそれを崇拝している秘密結社が

 

 

 

 

 

 

 

イルミナティ

 

 

 

 

 

 

なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが繋がってきましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、『ワンピース』での最終目的地が『ラフテル』で、その綴りを見ると「笑い話・嘘」と言う意味になりますが、現在のこの国いや、世界の現状をいつかこんな風に「あの時はこーだった。あーだった。」などと、いつかみんなで笑える日が来ると信じています。

 

 

 

 

 

そうするためにも、いまの現状を受け止め自分自身も行動するよう努めています。

 

 

 

 

 

そして、本日は『こどもの日』㊗️

 

 

 

 

 

日本の伝統や風習を次世代の子供たちに伝えていき、子供たちにとっても良い思い出として残していきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界最大の財閥とつながる人物たち

前回まで、ある財閥の傘下である『ジャーディン・マセソン商会』と言う企業のさらに傘下の企業についてお伝えしてきました。

 

 

 

 

日本でも、数多くの大手企業がその傘下となっていると言う都市伝説染みた噂がありますが、今回はこの企業と繋がっている人物たちについてお伝えしていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

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さて、上記↑の国旗はどこの国かお分かりか分かりますね。

 

 

 

言わずとしれたアメリカ合衆国の国旗、通称『星条旗』と呼ばれています。

 

 

 

この赤と白の横線は最初にイギリスから渡り独立までに入植した『13』の州の数で、星は現在までに出来た州を表しています。

 

 

 

 

 

出ましたね。

 

 

 

 

 

『13』

 

 

 

 

 

と言う数字。

 

 

 

 

 

これは初代大統領『ジョージ・ワシントン』など、独立時に上層部のほとんどが入会していたある「秘密結社」の『聖数』になっているのです。

 

 

 

 

 

その秘密結社とは。

 

 

 

 

 

 

フリーメイソン

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さらに、ジョージ・ワシントンとある人物がある秘密結社の創始者が同一人物と言う都市伝説があります。

 

 

 

 

 

その人物とは

 

 

 

 

 

『アダム・ヴァイスハオプト』

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そして彼が創始者となった秘密結社とは

 

 

 

 

 

 

イルミナティ

 

 

 

 

 

 

 

出ましたね!

 

 

 

 

 

 

 

この秘密結社には2つの財閥が、欧州・米と双方で権力を握っていると言われおり、さらには世界を牛耳っていると言う都市伝説が存在します。

 

 

 

 

 

その2大巨頭と言うのが

 

 

 

 

 

ロスチャイルド家

 

 

 

 

       と

 

 

 

 

 

『ロックフェラー家』

 

 

 

 

 

しかも、『ロスチャイルド』財閥に関してはアメリカ紙幣を造幣する中央銀行機関である「FRB」の筆頭株主であり、アメリカ紙幣(金融)を裏で牛耳っていると言われています。

 

 

 

 

 

中央銀行がその国の政府が管理していないこと自体が驚きですが、それを掌握していることにもさらに驚きです。

 

 

 

 

 

そして、実は我が国『日本』もそうなのです。

 

 

 

 

ただし、株式会社ではないので株に準ずる「出資証券」と言うものですが。

 

 

 

 

ちなみに『日本』では政府が55%保有しており、他は民間が保有しているようです。

 

 

 

 

 

ただ、もしイギリス・アメリカ・日本を掌握しているのであれば、それこそ世界の金融を牛耳っていることになりますね。

 

 

 

 

イギリス銀行はそもそも『ロスチャイルド財閥』の傘下ですから。

 

 

 

 

 

 

そして、2020年5月1日現在のアメリカ合衆国・第45代目大統領である「ドナルド・トランプ」ですが、実業家時代に『ロックフェラー財閥』の傘下である企業から出資を受けていました。

 

 

 

 

 

また、その後の事業再建では『ロスチャイルド財閥』とも関係を結んでいます。

 

 

 

 

 

なにか、なるべくしてなったと思ってしまいますよね。

 

 

 

 

 

 

話は日本に戻りまして、明治維新での薩長は『ロスチャイルド財閥』の傘下である『ジャーディン・マセソン商会』の日本長崎支部である『グラバー商会』によって、武器などを購入し旧幕府軍に打ち勝つことができました。

 

 

 

 

 

その新政府を作りあげ、現在に至っているわけですが、実はこの『ジャーディン・マセソン商会』の横浜支店に明治元年にのちの『サンフランシスコ平和条約』を結ぶことを実現した、第45代・内閣総理大臣などを就任した『吉田茂』の養父が支店長になっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

この『吉田茂』と言う人物は、本当にすごい人物で、「ポツダム宣言」により、『日本』が敗戦国となり、その後GHQ支配下になりましたが、この『サンフランシスコ平和条約』の締結により、連合国からの独立・平和回復をしたのです。

 

 

 

 

 

これにより、『日本』は自らが主導のもとに成長し、一時期には世界第2位の経済大国にまで上りつめ、今でも世界有数の経済大国であり続けているのです。

 

 

 

 

 

 

そして、彼の義祖父には『明治の三傑』と呼ばれ、明治維新の事実上トップであった『大久保利通』がおり、さらに孫には第92代・内閣総理大臣であり、現在副総理大臣として就任している『麻生太郎』がいるんです。

 

 

 

 

 

 

さらにすごいことに、彼は「吉田学校」と呼ばれるこれからの若い国会議員を育てるためにグループを作り上げました。

 

 

 

 

 

 

 

この「吉田学校」出身者には戦後、日本の高度経済成長の進展に最も大きな政策をとった第58代・内閣総理大臣などを就任した『佐藤栄作』。

 

 

 

 

第83代・内閣総理大臣である『橋本龍太郎』の父。

 

 

 

 

 

日韓基本条約批准・非核三原則の提唱・沖縄返還を成し遂げ、さらには日本人として唯一、『ノーベル平和賞』を受賞した第61代・内閣総理大臣などを就任の『佐藤栄作』。

 

 

 

 

さらには全国に新幹線を敷くことを決定し、地方にも足を運びやくし、、安定的な経済を安定させる政策をとった第64代・内閣総理大臣などを就任した『田中角栄』など、その後の日本を作りあげた人物たちがいたのです。

 

 

 

 

 

 

 

また、佐藤栄作の実の兄は第56代・内閣総理大臣などを就任した『岸信介』であり、その孫には2020年5月1日現在、内閣総理大臣を就任している『安倍晋三』になります。

 

 

 

 

 

こうして見てみると、吉田茂から戦後の日本、強いては政治が始まり、また彼の意思を引き継いでいる気がしますね。

 

 

 

 

 

 

 

そして、そこには世界を牛耳っている巨大な財閥である『ロスチャイルド家』の息も確実にかかっている気がします。

 

 

 

 

 

 

 

さらには現・内閣総理大臣、副総理大臣は薩長の血を受け継いでいます。

と言うことは未だにまだ『豊臣政権』が続いていると言うことですね。

 

 

 

 

 

江戸時代を260年以上も続けた『徳川幕府』。

 

 

 

 

 

それを『ロスチャイルド家』の力により新たに政権を取り返した『豊臣政権』。

 

 

 

 

 

未だ、『関ヶ原の戦い』が違う形で続いている様な気がします。

 

 

 

 

 

明治以降まだわずか150年余り。

 

 

 

 

 

そして、いま世界的な混乱になっている中、我々『日本人』は過去の歴史を見つめ直し、一人一人が『日本人』としての自覚を持ち、一致団結してこのような状況に打ち勝つことが必要かもしれませんね!

 

 

 

 

 

ある企業との繋がり

今回は『ジャーディン・マセソン商会』の傘下や繋がっている企業についてお伝えしていきたいと思います。

 

 

 

 

と言いますか、意外とみなさんが聞いたこと・行ったことのある企業がたくさん傘下にあるんですね。

 

 

 

 

 

その中で少しだけ抜粋しようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

と言うのも、一度は皆さんが聞いたことがあるような企業が多すぎて全ては書ききれないからです。

 

 

 

 

さて、まず1つ目は「K◯C」です。

 

 

この企業は言わずとと知れた、クリスマスのチキンなどで有名な企業で、大抵の方が一度はクリスマスシーズンに利用したことがあると思います。

 

私も、かれこれ20年以上、毎年この時期になると予約をして、家族みんなで食べています。

 

 

 

 

そして、アメリカでの創業者「カーネル・サンダース」は慈善団体に所属していたことを公言しています。

 

 

 

その慈善団体が『ロータリー・クラブ』と

 

 

 

 

フリーメイソン

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また、『ロータリー・クラブ』にはGHQの最高司令官だった「ダグラス・マッカーサー」も所属、さらには『フリーメイソン』にも所属をしていました。

 

 

 

一説にはマッカーサー元帥が日本に来日しすぐに、『フリーメイソン』の東京支部用の建物を確保するよう指令をだし、それが現在の『日本グランドロッジ』になったのだとか。

 

 

 

 

 

話は戻りまして『K◯C』ですが、こと『日本』に関しては『三菱商事』の子会社になっています。

 

 

 

さらに、コンビニで有名な『ロー◯ソン』も元々は『三菱商事』の子会社でした。

 

 

 

 

『三菱』と言えば、初代総帥の「岩崎弥太郎」と「トーマス・グラバー」は日本でも有数のビール会社である『キリンビール』を共同で立ち上げましたよね。

 

 

 

 

しかも、このキリン=麒麟があの「坂本龍馬」を指していると言う都市伝説もあるくらいです。

 

 

 

 

また、『K◯C』はもともと『ペ◯シ』と提供していましたが、現在は『コ◯カ・コーラボトラーズ』と提供しているそうです。

 

 

 

 

 

そしてアメリカの『コ◯・コーラ』ある財閥の傘下。

 

 

 

 

 

それが、

 

 

 

 

 

ロスチャイルド家

 

 

 

 

 

です。

 

 

 

 

 

さて、コンビニ業界で『日本』においては最も有名な『セ◯ン・イレ◯ン』ですが、この数字を足すと

 

 

 

 

『18』

 

 

 

 

になります。

 

 

 

 

 

『6+6+6=18』

 

 

 

 

 

出ましたね。

 

 

 

 

 

ここでもこの数字がでてくるのです。

 

 

 

 

 

さらに、『セ◯ン・イレ◯ン』の親会社である『セ◯ン&アイ・ホー◯ディングス』は現在、イトー◯ーカ堂・そ◯う・西◯系列を傘下に置いています。

 

 

 

 

西◯系列で有名なのは、あのプロ野球チームの『西◯ライオンズ』。

 

 

 

 

 

ライオンズと言えば、各自治体に『◯◯ライオンズクラブ』と言う慈善団体がありますが、この慈善団体の母体が、

 

 

 

 

フリーメイソン

 

 

 

 

 

 

 

 

また、『フ◯ミリー・マート』はもともと親会社が『西◯系列』です。

 

 

 

 

 

だから、『西◯鉄道』の駅周辺に『フ◯ミリー・マート』が多いんですね。

 

 

 

 

 

少し話はズレますが、以前の『西◯鉄道』の列車の色は黄色でその理由は、東京都内から川越など、埼玉西部地方にひとの糞尿を運んでいたからだと言う都市伝説があります。

 

 

 

 

ひとの糞尿はその昔は農作物の肥料として大変貴重なものとして取引されていて、非常に良質は肥料になります。

 

その肥料をつかい、川越特産の『さつまいも』などに使っていたそうですが、さつまいもは良くオナラが出るなどと言われますよね。

 

 

よく、アニメなどではオナラは黄色で表現されています。

 

 

そのような事からもまさに黄色しかないような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

話は戻りまして『日本』いや、世界で一番人気のキャラクターがおり、『夢◯国』とも言われている企業も実はこの財閥の傘下に入っています。

 

 

 

 

 

そう考えてみると、『夢◯国』の自動販売機で売っている飲み物は『コ◯・コーラ』や『キリン・ビール』からの多いですよね。

 

 

 

 

 

ここでも、資金調達をしている訳です。

 

 

 

 

そして、創業者の「ウ◯ルト・デ◯ズニー」は

 

 

 

 

 

フリーメイソン

 

 

 

 

 

のメンバーと公言しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう考えると全てがつながっている気がしてきますね。

 

 

 

 

 

 

さて、今回は『世界を牛耳っている』と言われている財閥(一族)と誰もが知っている企業との繋がりをお伝えしましたが、次回は繋がっている人物についてお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

是非ご期待下さい。

 

 

 

ジャーディン・マセソン商会

 

 

さて、今回も「グラバー」についてお伝えしていきたいと思いますが、彼がいなければいまの『日本』は無い!とも思ってしまうくらい、明治維新後も日本経済などに尽力した人物です。

 

 

 

 

 

 

その理由は彼と関わった人物たち。

 

 

 

 

 

 

前回は坂本龍馬陸奥宗光、そして現在も日本を代表する企業である「三菱グループ」の創始者であり、初代統帥の岩崎弥太郎が関わっていたというのをお伝えしました。

 

 

 

 

 

今回はさらに奥深くに行きたいと思いますが、薩摩藩長州藩とも深く関わっていました。

 

 

 

 

 

まず長州藩ですが、のちに「長州五傑」と呼ばれる5人の若い長州藩士たちをイギリスに渡航・留学をさせ、さらにイギリス留学中は『ジャーディン・マセソン商会』(グラバー商会はこの企業の長崎支店でした。)の創業者の1人の甥にあたる会長が、支援をしていました。

 

 

 

 

 

 

さて、その5人の人物とは。

 

 

 

 

1人目は「井上馨(いのうえかおる)」

  →外交の父と呼ばれ、諸外国との不平等条約改正に尽力した。また、それに踏まえて欧化政策をし、「鹿鳴館」や「帝国ホテル」の建設。

また、現在の三井物産の設立するなどをしていたが、大久保利通の死後より、政治のトップとなっていた伊藤博文により、「参議」や外務卿(現在の外務大臣)に就任。

「元老」のひとりとして、死ぬまで内閣総理大臣の推薦に関与していました。

「外交の父」と呼ばれている。

 

 

 

 

 

 

2人目は「遠藤勤助(えんどうきんすけ)」

  →大阪・造幣局造幣局長として就任し紙幣を日本国民に浸透させるなど、尽力した。

また、現在でも大阪の春の風物詩である「桜の通り抜け」は、当時局長だった彼が、「大阪の市民にも楽しんでもらおう!」と言う思いから始まった。

「造幣の父」と呼ばれている。

 

 

 

 

 

3人目は「山尾庸三(やまおようぞう)」

  →国の近代化を求め、欧米諸国に対抗する社会基盤となる「殖産興業」を推奨するための中央機関である「工部省」設立に尽力した。

また、現在の東京大学工学部の前身となる「工部大学校」を設立し、日本で初めての技術者養成機関に尽力した。

「工学の父」と呼ばれている。

 

 

 

 

4人目は「井上勝(いのうえまさる)」

  →新橋〜横浜間を初めて鉄道を走らせるなど全国の鉄道事業に尽力した。

また、「小岩井農場」の創業者のひとりで、日本鉄道が「盛岡駅」まで延伸開業した翌年に日本鉄道会社の副社長「小野義眞」・三菱社社長「岩崎彌之助」・鉄道庁長官「井上勝」の共同経営ではじまった。

この3人の頭文字をとったものである。

「鉄道の父」呼ばれている。

 

 

 

 

 

そして5人目が「伊藤博文(いとうひろぶみ)」

  →言わずと知れた「初代・内閣総理大臣」。

生涯のうちに計4回、内閣総理大臣を就任している。

また、初代枢密院議長や「元老」も歴任。

「内閣の父」と呼ばれている。

 

 

 

 

 

とこのように、明治に入り近代化を進めてきた人物たちばかりなのです。

 

 

 

 

 

さらに薩摩藩士では「五代友厚」や「寺島宗則」など、やはり明治時代に近代化を進めた人物たちを海外留学させるなどの支援をしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、明治時代の近代化の礎を築いた(特に長州五傑)に資金援助をしていた、『ジャーディン・マセソン商会』。

 

 

 

 

 

実は前身はあの『東インド会社』なのです。

 

 

 

 

 

以前、『ベンジャミン・ディズレーリ』首相の時にスエズ運河を買収し、それによって『大英帝国』を帝国を築き上げたとお伝えしました。

 

 

 

 

そしてアジアの拠点となったのがこの『東インド会社』なのです。

 

 

 

 

 

 

また、このスエズ運河を買収する資金を援助したのが、

 

 

 

 

 

 

ロスチャイルド家

 

 

 

 

 

ここまで来るともはや必然としか思えませんね。

 

 

 

 

 

ロスチャイルド家

       と

フリーメイソン

 

 

 

 

 

この2つが完全に関わってきているんですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、『ジャーディン・マセソン商会』と『ロスチャイルド家』は婚姻関係を結ぶなどその関係はどんどん深くなっていったのです。

 

 

 

 

 

 

 

このように、薩長などの明治政府は、実は幕末の時代から『ロスチャイルド家』と深く関係していたのが分かります。

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しかし、そのおかげで近代化が出来たと言うのも事実であり、その後も経済大国として発展していった『日本』。

 

 

 

 

 

 

 

良い、悪いでは無くこのような事実とともに世界を動かしているのは誰なのかを改めて知る必要があるかも知れませんね。

 

トーマス・ブレーク・グラバー

さて、今回はこの題名にもある『トーマス・ブレーク・グラバー』についてお伝えしたいと思います。

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彼はイギリス(スコットランド)出身で『ジャーディン・マセソン商会』という、貿易会社に入社し2年後に、長崎にこの『ジャーディン・マセソン商会』の代理店で『グラバー商会』を設立しました。

 

 

 

 

 

この『グラバー商会』がのちに討幕派や幕府など関係なく武器や弾薬などを売り、莫大な利益をもらします。

 

 

 

 

 

また、この時に「亀山社中」の坂本龍馬とも取引をしており、薩摩藩名義で長州藩が軍艦など武器を購入し、『薩長同盟』を成立させ、その後薩摩と長州を中心とする明治維新へと移っていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、この時に「グラバー」に関わった人がすごいと言うこと。

 

 

 

 

まず「亀山社中」では、坂本龍馬やのちに日本の不平等条約を改正させた陸奥宗光など。

 

 

 

 

この陸奥宗光不平等条約を改正させるための資金を援助したのが、フランスの大財閥。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロスチャイルド家

 

 

 

 

 

出ましたね。

 

 

 

 

 

この名前。

 

 

 

 

 

 

そして、グラバー本人も実は世界最古の秘密結社に属していたと言う説もあるのです。

 

 

 

 

その秘密結社と言うのが、

 

 

 

 

 

フリーメイソン

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実際に長崎県の観光名所のひとつでもある『グラバー園・邸』には、上記のマークが記されいます。

 

 

 

 

 

ただ、実際は長崎市から贈呈されたそうですが、それでも何かしら繋がっていないと贈呈されないような気がしますね。

 

 

 

 

 

さて、話は戻しましてグラバーに関わった人。

 

 

 

 

龍馬との繋がりでは、なんと言っても土佐藩出身の「岩崎弥太郎」です。

 

 

 

 

この岩崎弥太郎と言う人物は言わずと知れた「三菱財閥」の初代統帥になりますが、龍馬の立ち上げた日本初の株式会社の「亀山社中」が「海援隊」と名前を変えたあたりから、土佐藩とも深く関わり、そのときに事業監督者などの役職についていました。

 

 

 

 

 

のちに、新政府(特に土佐藩出身の後藤象二郎)などの力を得て「三菱商会」を設立。

 

 

 

 

そして、現在でも世界に誇る「三菱グループ」になっていくのです。

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またこの「三菱」のマークは、土佐藩主である「山内家」の「土佐柏」と岩崎家の「重ね三段菱」を足したものになっています。

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さて、この岩崎弥太郎とグラバーが共同で立ち上げたのが日本でも有数のビール会社。

 

 

 

キリンビール』です。

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麒麟の見た目が顔は「龍」、胴体は「馬」のような外見をしており、龍+馬=「龍馬」になることから、この名前がつけられたと言う説があります。

 

 

 

 

 

 

さらに面白いことに、今年2020年に放送しているNHK大河ドラマの題名が『麒麟がくる』。

 

 

 

 

このドラマの主人公は「明智光秀」ですが、光秀が居城としていたのが滋賀県にある「坂本城」です。

 

 

 

 

 

そして、龍馬の先祖はここから土佐に流れついて、商いをはじめたと言う説もあるのです。

 

 

 

 

 

 

さらに、明智光秀=天海上人と言う説があり、天海上人が徳川幕府のブレーンとして江戸時代の礎を築いていきました。

 

 

 

 

 

 

 

また、龍馬の4代前より坂本家は土佐藩郷士に認められました。

 

 

 

 

この郷士と言うのは「長曽我部家」の末裔・また家臣たちの子孫であり、『関ヶ原の戦い』では西軍(豊臣側)についた方です。

 

 

 

 

 

 

 

薩摩藩(島津家)・長州藩(毛利家)もそうでしたよね。

 

 

 

 

 

特に毛利家にいたっては、『関ヶ原の戦い』の西軍の総大将を任せられるくらい、信用度の高いものでした。

 

 

 

 

 

 

 

さて、話はちょっとだけズレますが『キリンビール』のロゴマークに「キ」・「リ」・「ン」という文字が描かれているのをご存知でしょうか?

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よーく見てみるとちゃんと描かれていますので、是非探してみて下さい。

 

 

 

 

 

 

今回はグラバーと三菱、そして龍馬との繋がりについてお伝えしてきましたが、実はずっと前から言いたいことだったので、ようやく言えて何かスッキリしました。

 

 

 

 

次回ももう少しだけグラバーと明治維新後に活躍した人物との関わりについてお伝えしたいと思いますので、お楽しみに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唯一無二の神社 寒川神社

前回に引き続き、全国で唯一『春分の日』・『秋分の日』・『夏至』・『冬至』の日に、太陽が通る道に重なる神社である『寒川神社』についてお伝えしようと思います。

 

 

 

 

 

 

太陽の通る道のことを

 

『御来光の道』

 

 

また

 

レイライン

 

と呼ばれることも少なくはありませんが、世界にはこのように呼ばれているものが数多く残っており、またどのようにして出来たかなどは未だに解明されていません。

 

 

 

 

なので、いまだにその謎をめぐって多くの専門家たちが日々研究しているのです。

 

 

 

 

 

 

さて、話は、『寒川神社』に戻りますが、『春分の日』に参拝しに行ったこと、そして時間帯も早めに着いたので、御神域である『神嶽山神苑(かんたけやましんえん)』から頂いた、浄め土と、霊水が無料で配布してありました。

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これも何かのご縁なのかと、ひとつずつ頂きまして帰宅後、自宅の四隅にそれぞれ散布しました。

 

 

 

 

また、『春分の日』限定での御守りも授与してたので、それも奉納して頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

本殿の左側には「八方除の羅針盤」があり、参拝者はみんな手を合わせて願い事をしてました。

 

 

 

私も、「家族が幸せでいますように。」とお願いをしました。

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もちろん、本殿での願い事も同じでしたけどね。笑

 

 

 

 

 

そして、本殿を出る時に神門からもう一度一礼をして、今度は「ありがとうございます。おじゃましました。」と心の中で感謝し、神門を出ます。

 

 

 

 

出るとまさかの日本の国旗が風で波を打っていて、かっこよかったんですね、これが!

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NHKの放送で流れているのは島根県にある

 

 

 

出雲大社

 

 

 

 

の日本の国旗になります🇯🇵

 

 

 

 

 

 

 

また、その下には国歌の『君が代』の歌詞に出てくる「さざれ石」などがあります。

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さらにこの左側には旧神門と、旧狛犬がありました。

 

 

 

 

 

そして、屋台も何軒かならんでおり、人も少なかったので、座る場所にも余裕があり、とても過ごしやすかったです。

 

 

 

 

 

しかも、わたあめを1個買ったらもう1個おまけをしてくれたり、チョコバナナは当たりを出して4つ貰ったりと良いことばかり続きました。

 

 

 

 

 

 

そして最後に、『春分の日』と言うことで、「八福餅」を買って帰宅しました。

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ちょっと話はズレますが、『寒川神社』に行く前にローソンで、からあげクンを買ったらまさかのからあげクンのキャラクターが描かれているのが出ました♫

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この3日まえに、実は娘から作ってもらったミサンガが切れて、その願い事が「何か良いことがありますように!」と言う願いだったので、これかっ!と思いました。

 

 

 

 

 

ただ、全部食べ物だったので「これかいっ!」と思いましたけどね。笑

 

 

 

 

 

 

と、このように『寒川神社』もすごく雰囲気が良く、さらに良いことがたくさん重なったので、すごく良い日となりました。

 

 

 

 

 

 

いま、世界的に危機的状況にはなっていますが、もしこれが落ち着いたら、是非一度は訪れて下さい♫

全国唯一の八方除 寒川神社

前回、『寒川神社』が全国で唯一の「八方除(はっぽうよけ)」の神社であると言うことと、全国で唯一『春分の日』・『秋分の日』・『夏至』・『冬至』の日に太陽が通る道があります。

 

 

 

 

それが

 

 

 

 

 

 

レイライン

 

 

 

 

 

この道は『ご来光の道』とも言われており、一直線になっているんです。

 

 

 

 

 

 

 

そして、この神社の御祭神は『寒川比古命(さむかわひこのみこと)』と『寒川比女命(さむかわひめのみこと)』。

 

 

 

 

 

この2柱を合わせて『寒川大明神(さむかわだいみょうじん)』と総称されています。

 

 

 

 

 

また、『寒川大明神』は近くに川が近いこと、弥生時代までは相模湾に面していたことなどから、百済系の渡来人(出雲国)出身の『国津神』の系列だと思われます。

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さて、今回はこの『寒川神社』を紹介していきますが、まず一の鳥居・ニの鳥居・を越えて、三の鳥居に進むと、「神池」がありそれに掛けられている「神池橋」を通ります。

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ここから三の鳥居に正面にすると、左側に晴れている時は『富士山』が見えますので、是非ご覧ください。

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そして、三の鳥居の前は撮影スポットとしてもオススメです。

 

 

 

 

 

また、ちょっと面白かったのが境内での禁止事を書いてある「制札」。その中に、

 

一、車馬ヲ乗リ入ルコト

 

と記してあったのです。

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この時代に中々、馬で入ってくる人っていませんよね。

 

 

 

 

 

しかも、神社の「制札」にはちょいちょい書いてあるんですよね。

 

 

 

 

ただ、2019年に即位した際に『天皇・皇后両陛下』が『伊勢神宮』に『大嘗祭』の終えたことを外宮にお祀りしているトヨウケヒメビや、皇祖神である内宮のアマテラスに報告をする『親謁の儀』の際には、『天皇陛下』は馬車で御参拝なされました。

 

 

 

 

 

 

 

このような事例もあるので、禁止しているんですかねぇ。

 

 

 

 

 

さて、三の鳥居⛩で、「お邪魔致します。」と一礼をしたあとすぐ左側に出てきたのが、『愛子内親王様』が御生誕なされたときの記念樹がありました。

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その少し先の逆側には「安政の大地震」で倒壊してしまった石造りの鳥居が残されていました。

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こんなに大きな鳥居をも倒壊してしまう大地震のさまがいかに恐ろしいものだったのが、分かりますね。

 

 

 

 

 

 

そして、そのまま参道を進んで行くとひらけたところになり、左側に手水舎があります。

 

 

 

 

今回はコロナウィルス対策として、普段はどこの神社にもある柄杓がなく、そのかわりに細い竹を使い、水が流れるようにしていたので、それで手や口を清めてから本殿へと向かいました。

 

 

 

 

 

それを見た時に、何かこんな状況のなかでも風情があり、これが日本人の感覚なんだなぁとあらためて感じる事が出来た気がします。

 

 

 

 

 

 

そして、いざ本殿へと向かう前に神門を通るのですが、ここの狛犬のデカさにビックリ‼️

 

 

 

 

 

 

なかなかここまで大きいのは見たことが無いレベルでした。

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この狛犬は近くによってみるとさらに大きさを感じ、むしろ威圧感すらも感じてしまうくらいでしたが、神門をくぐる前に一礼をし、いざ中に入ってみると広くて自分の感覚的にすごい良い雰囲気。

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これも自分の感覚ですが何かこの神社に招待されたのではないかと思ってしまう程、雰囲気が良かったです。

 

 

 

 

 

以前にも一度訪れたことがありましたが、その時はそうでも無かったですし、他にも色々と神社仏閣をまわっていますが、なかなかこの感覚になる事が無い、なんとも言えない雰囲気なんですね。

 

 

 

 

 

直感的に良い❗️

 

 

 

 

 

 

たまたま、この日のこの時間に波長があっていたのか、ちょっと説明がむずかしいんですがね。

 

 

 

 

言うなれば、普通、神社仏閣に参拝するとその広さや装飾の絢爛さを見て「すごいなぁ」と言う事はありませんか?

 

 

 

 

この時はそうではなく、何か家族や友達などで花見をしている時の感覚と同じような、楽しいと言う感覚だったんです。

 

 

 

 

 

そして、本殿でしっかりと参拝をし、ふと右手側を見てみると、まさかの無料で「『神嶽山』の浄め土」(この神嶽山はもともとは「禁足地」になっており、寒川神社とも深い関係のある「難波の小池」を中心に、本殿の裏にある山です。)

と、「難波の小池」から引いてきたと言われる霊水を頂くことが出来ました。

 

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しかもこの無料配布も最後の1つでした。

 

 

 

 

たまたま見つけたのもそれを手にしたのも、何かこの日は縁があったのではないかと感じてしまう出来事だったと思わざるを得ない気がします。

 

 

 

さて、少し長くなってしまったので次回もう少しだけ『寒川神社』についてお伝えしようと思いますので、是非ご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全国唯一の神社

 

先日、『春分の日』も終わり、これからどんどん陽も延びて、暖かくなってきますが、それでも2020年は日本各地で暖冬により、東北地方などの雪がつもる土地では、経済的打撃を受けたかと思います。

 

 

 

 

 

そして、今回の新型ウイルスで『東京オリンピック 2020』も延期。

 

 

 

 

 

さらにこの新型ウイルスで世界的にも経済が傾いてきており、いよいよ人類が手を合わせて協力合いし、この先の見えない状況という局面に立ちました。

 

 

 

 

 

 

 

さて、そんな世界が混乱している中、古来から唯一『八方除(はっぽうよけ)』の守護神として、「北・北東・東・東南・南・南西・西・西北」すべての方角を不吉から防いでくれる神社があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

これだけでも、とても御利益のあるありがたい神社と思えますが、もうひとつ凄いことがあるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのキーワードが

 

 

 

 

 

 

 

 

レイライン

 

 

 

 

 

 

 

 

この『レイライン』は古代の遺跡や神社仏閣などが、なぜが地図上に一直線に並んでいるラインのことを言います。

 

 

 

 

 

日本では、その『レイライン』も太陽が通る道になっている事が多く、それを『ご来光の道』とも言われることもあります。

 

 

 

 

 

 

さて、そのなかでも有名なのが、「東」の千葉県にある一宮の『玉前神社(たまさきじんじゃ)』から「西」の『出雲日御碕神社(いずもひのさきじんじゃ)』まで、一直線になっている『レイライン』です。

 

 

 

 

 

 

しかも、このラインは『春分の日』・『秋分の日』に太陽が通る道となっているんですね。

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さらにこのライン上にある神社の中で、『夏至』・『冬至』の時に太陽が通る道にある神社があります。

 

 

 

 

 

 

それが

 

 

 

 

 

 

寒川神社』⛩

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ここは相模国の一宮で、『延喜式内社』という平安時代の「官社」となっており、その中でも位の高い「明神大社」になっています。

 

 

 

 

 

 

 

そして、ここの主祭神は『寒川比古命(さむかわひこのみこと)』・『寒川比女命(さむかわのひめのみこと」』であり、この2柱を総称して、『寒川大明神(さむかわだいみょうじん)』と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

この2柱の詳細は『記紀』(古事記日本書紀」』には記載されていませんが、素戔嗚命スサノオ)と櫛名田比売クシナダヒメ)という説などがあります。

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私も、実はこの2柱の神様は、出雲から流れてきた国津神系(百済系)の神様だと思っています。

 

 

 

 

 

 

なぜなら、以前にもお伝えした通り、近くには

相模川という大河が流れており、弥生時代には近くまで相模湾があったとされているので、河川の土木事業にたけていた百済系の渡来人がいちばん有力だと思うからです。

 

 

 

 

 

 

スサノオが倒したヤマタノオロチの中から出てきた『三種の神器』のひとつ。

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草薙剣(くさなぎのつるぎ)』

 

 

 

 

 

 

それを『天照大御神アマテラスオオミカミ)』に献上し、その後出雲の国を統治していきますが、このヤマタノオロチ島根県にある「斐伊川(ひいかわ)」と言う大河のことなんです。

 

 

 

治水事業に長けていた百済系の渡来人は、幾度も氾濫する大河を整備。

 

 

 

 

 

さらに、百済系の渡来人たちは製鉄の技術にも長けており、斐伊川の上流や砂鉄などで製鉄をし、剣や武具などを製造して、敵対していた新羅系(天津神系)に献上しました。

 

 

 

 

 

 

これが神話となり、スサノオ百済系)は出雲の国を統治していきますが、その後スサノオクシナダヒメの子の時代となり、『大国主神オオクニヌシノミコト)』が統治しているときに、いわゆる『国譲り』をします。

 

 

 

 

 

『国譲り』と言ってキレイな言い方ですが、実際のところ力ずくで略奪したって事ですね。

 

 

 

 

 

古事記』などにもその様子が描かれており、『天津神』・『国津神』お互いに力がある同士の『健御雷神(タケミカヅキ)』と『建御名方(タケミナカタ)』が相撲をとり力比べをし、勝った天津神系に出雲の国を渡すことになりました。

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そして、天津神系が『日本』を統一していくわけですが、負けた『タケミナカタ』は長野県に諏訪湖に逃げ『諏訪大社』で祀られるようになりました。

 

 

 

 

 

また、それを見張るように『タケミカヅキ』が『鹿島神宮』に祀られるようになったのです。

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それを証拠にこの2社は一直線になっています。

 

 

 

 

 

 

そして諏訪湖には日本でも有数の氾濫川である天竜川があり、さらに長野市にある『戸隠神社』の周辺では百済系の人びとが戸隠山にそって流れる川から製鉄を行っていました。

 

 

 

 

 

また、西国三十三所などの最後に訪れる無宗派の寺院である『善光寺』の場所を川の氾濫などから現在の場所に移動させたのも百済系の人びとになります。

 

 

 

 

 

 

また、埼玉県や東京都を流れる「荒川」の周辺には『氷川神社』と言う名前の神社がたくさんあります。

 

 

 

 

 

その総本社が埼玉県にある『武蔵国一宮 氷川神社(ひかわじんじゃ)』があります。f:id:TOTAN:20200331160225j:image

 

 

 

 

 

 

 

ここも主祭神スサノオになり、百済系の渡来人が名前でも分かるように、荒れている川(荒川)を整備したことにより、氷川神社がこの地域にひろまっていきました。

(氷川信仰と呼ばれています。)

 

 

 

 

 

 

そして、この氷川(ひかわ)は斐伊川(ひいかわ)から来ていると伝わっています。

 

 

 

 

 

さらに、木曽三川や「七里の渡し(しちりのわたし)のほど近くにある『熱田神宮』。

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ここにはスサノオがアマテラスに献上した『草薙剣』が祀られていますが、ここでもやっぱり川が関連しているんです。

 

 

 

 

 

 

七里の渡しに関しては『東海道五十三次』の中でも、唯一の水路となっています。

 

 

 

 

 

と、ここまで川と関係があるところから、『寒川大明神』の2柱はスサノオクシナダヒメではないかと思っているのです。

 

 

 

 

 

 

さて、次回からは本格的にこの『寒川神社』についてお話していきたいと思いますので、是非ご期待ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新選組 18-上野戦争・会津戦争・そして最後の戦い、箱館戦争

江戸城開城』を開城した旧幕府軍ですが、未だにそれに納得していない、強硬派もまだまだ残っています。

 

 

 

 

 

そんな中で、唯一江戸で戦場になってしまったのが、『上野戦争』です。

 

 

 

 

 

 

これは新政府軍に反抗する「彰義隊」が上野にある徳川家の菩提寺である『寛永寺(かんえいじ)』周辺にたてこもり、新政府軍と戦争をし、惨敗すると言う結果になりました。

 

 

 

 

 

 

 

それもそのはすですね。

 

 

 

 

 

なんと言っても新政府軍は最新の兵器をもち勢いづいている。

さらに、軍事戦略の天才である長州藩の「大村益次郎」が指揮を執っていたことにより、たったの1日で終焉してしまいます。

 

 

 

 

また、この戦いの作戦会議の中、西郷隆盛が大村に「皆殺しにするつもりですか?」と問うと、「そうです。」と即答したというほど、大村は軍事に優れている人物ではあるが、非情にもなれる男でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、旧幕府軍側の彰義隊

 

 

 

 

 

この中に、徳川四天王のひとりである『榊原康政(さかきばらやすまさ)』の子孫が領土を平定していた「越後高田藩」の脱藩藩士たちも参加します。

 

 

 

 

 

 

戊辰戦争』が始まった時にはすでに「高田藩」は討幕派となっていましたが、これに反発した藩士たちが脱藩。

 

 

 

 

 

そして、『榊原家』の『榊』の文字を2つに分けた「神木隊」を結成するのです。

 

 

 

 

 

その後、彼らが彰義隊に合流して『上野戦争』に発展していきます。

 

 

 

 

 

 

また、甲州で『新選組』と別れた「原田左之助」もこの戦いに加わり戦死したとも、その後生き延びて大陸にわたり、馬賊の頭になり『日清・日露戦争』の際に『大日本帝国』に一矢報いたなどの伝説があります。

 

 

 

 

 

 

さて、『上野戦争』がたったの1日で決着がつき、新政府軍は関東より西側を制圧。

 

 

 

 

 

逆に旧幕府軍は東北地方に追いやられて行くようになります。

 

 

 

 

 

そして、新政府軍はいよいよ憎き敵である『会津藩』に向けて兵を進行していきます。

 

 

 

 

 


『朝敵』とされた会津藩庄内藩を守ろうと『奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)』を結成し、罷免を求めた。

 

 

 

 

 

また、会津藩庄内藩の同盟である『会庄同盟』も結成され、『会津戦争』では奮闘をしますが、新政府軍の圧倒的な強さに、会津藩は降伏。

 

 

 

 

 

この2日後には庄内藩も降伏し、さらに桑名藩も降伏します。

 

 

 

 

会津戦争』には新選組の三番隊隊長・「斎藤一」などが奮戦。

 

 

 

 

副長の「土方歳三」は仙台藩などに応援を求め走っていましたが、この間に会津藩が降伏することによって、最後の戦地である、箱館まで行くことになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

この戦いで、予備隊であった「白虎隊(びゃっこたい」」が、13歳から16歳で構成された部隊がありましたが、会津にある「飯盛山」で、鶴ヶ城が焼けていると勘違いをして、もはやここまでと悟り集団自決をすると言う悲劇が生まれます。

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この時の新政府軍の司令官が「人斬り半次郎」という異名も持っていた、「中村半次郎」のちの「桐野利秋」ですが、開城の際に男泣きをしたと伝わっており、その後の処理も会津藩に対して、解体はするものの、藩主である「松平容保」は江戸で謹慎と言う、軽い処分でした。

 

 

 

 

 

ただし、家老のひとりが責任をとり「切腹」、藩士たちは現在の青森県むつ市に移住させられ、特に冬は極寒になり、生活も非常に大変だったといいます。

 

 

 

 

 

それとは逆に、庄内藩西郷隆盛の意向もあり、藩自体の処罰も非常に軽いものになり、その後の庄内地方の人びとは西郷隆盛を敬愛しています。

 

 

 

 

 

 

 

その後、秋田や岩手でも戦いが行われ、最後の戦いになった「箱館戦争」が始まります。

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この時の新政府軍の指揮官である「黒田清隆」は、敵将である「榎本武揚」の助命に尽力をつくし、その後、黒田清隆内閣総理大臣になると、文部大臣や逓信大臣・農商務大臣を務めるなと、盟友となりました。

 

 

 

 

 

 

 

さて、箱館五稜郭で、旧幕府軍の軍事治安部門の責任者となった土方歳三ですが、蝦夷共和国旧幕府軍側)が樹立したときも、ほかの幹部たちが祝杯をしているときでも、「いまは浮かれている時ではない!」と言い放つなど、ひとり冷静な判断をしていました。

 

 

 

 

 

 

また、部下たちには「この戦況のなか、あまり飲みすぎると戦えなくなってしまうので、一杯だけな。」と言い、酒を振る舞うと言う、新選組時代には有り得ないほど、部下に対して気遣いをするくらいまで、温厚になっていました。

 

 

 

 

 

 

そして、土方歳三は「二股口の戦い」で、腹部に銃弾を受けて戦死。

 

 

 

 

 

希しくも、新選組局長・近藤勇と同じ歳で亡くなっています。

 

 

 

 

また、一番隊隊長・沖田総司近藤勇が斬首された1ヶ月後に病死しており、近藤の死は聞かされていなかったようです。

 

 

 

 

 

 

土方歳三の戦死をきっかけに、旧幕府軍側は降伏。

 

 

 

 

 

これにより、『戊辰戦争』が終結します。

 

 

 

 

そして、新政府軍は名実ともに、明治維新という新たな時代が開かれるようになりました。

 

 

 

 

 

 

時代を駆け巡った彼ら、そして残って新政府として、日本を作り上げた彼ら。

 

 

 

 

 

 

どっちが良い悪いと言うのではなく、お互いに『日本』と言う国を守ろうとしたと言うことには変わりが無く、ただ時代に翻弄されたとしか思えません。

 

 

 

 

 

そして、いま世界を脅かしている新型コ◯ナウイルス。

 

 

 

 

このような現状に、再びいま『日本人』が集結し、立ち向かって行かなければ行けないのでは無いでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新選組 17-甲州勝沼の戦い・そして江戸城無血開城

突如として大坂城から江戸へ逃げ出した旧幕府軍の総大将である、「徳川慶喜」。







これで戦意を失うと言うよりは、戦争をする目的もなくなった旧幕府軍は次々と新政府軍に寝返りを始めます。







その中でも「彦根藩」はすでに第二次長州征伐の時に、「大村益次郎」の高い指揮戦略を訓練していた、長州藩によって大敗をし、それ以降新政府軍側に寝返っています。









これには理由がありまして、徳川四天王のひとり『井伊直政』以来、兵を全身赤い甲冑で統一していました。







重くて動きにくい甲冑と、さらにその赤い色から目立ち、格好の標的とされます。






さらに、時代はもはや剣の時代ではなく銃の時代。




しかも、「トーマス・グラバー」から薩摩藩経由で購入したイギリス製の最新の武器です。






そうなると大敗をするのは一目瞭然ですね。









そして、『鳥羽・伏見の戦い』では新政府軍側につき、『東寺』などの守っていました。








また、第二次長州征伐の際に「彦根藩」と一緒に先鋒隊として兵を挙げたのが、これも徳川四天王のひとりである『榊原康政』の末裔の藩である、「越後高田藩」です。










この高田藩はまた後で名前が出てくるので、お楽しみを。









さて、勢いに乗った新政府軍はドンドン東会地方へと遂行していきます。








そして、また徳川四天王のひとりである『本田忠勝』が祖となり、のちに松平家が領地を収めることになった「桑名藩」に新政府軍は進軍していきます。







しかし、桑名藩旧幕府軍最強として名を轟かせており、能力のあるものを優先させた軍隊になっていました。







山県有朋」率いる新政府軍をも撃破すると言う結果を残しますが、周りの藩がつぎつぎと降伏。







これにより徐々に東に追いやられることになってしまい、城も開城せざるを得なくなります。






桑名藩主ではなくなった「松平定敬」はその後も戦い続け、『戊辰戦争』最後の地、「箱館戦争」まで参加していました。












実は松平定敬の実兄が会津藩主・「松平容保」だったということも大きいでしょうし、『大政奉還』で徳川慶喜が政権を返上するまで、幕末期に「一会桑政権」で実権を握っており、さらに薩摩藩とも対立を深めているという背景もありました。




(一会桑政権とは、一橋・会津・桑名の頭文字をとったもの)








また、残った桑名藩庄内藩とともにその後も東北地方で奮闘します。














桑名藩が城を明け渡した事で、いよいよ関東に接近してきた新政府軍。











対して、江戸城を守る最後の要となった「甲府城」を護るために新選組が、『甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)』と名を改め向かいました。
(この時に近藤勇は大名扱いになった。)










しかし、ひと足先に「板垣退助」率いる新政府軍が占領してしまい、これも敗戦。










そして、この敗戦で意見の合わなくなってしまった二番隊隊長・永倉新八と十番隊隊長・原田左之助と今生の分かれをしてしまいます。







その理由は諸説ありますが、近藤は大名扱いになったにも関わらず、この戦いで敗戦をしてしまった。


なんとか、再起をと思いこらえるように命じたに対して、この2人が怒ってしまったんですね。



同じ志を持つ者だとは思うが、決して近藤の手下では無いと。







これにより、さらに新選組は兵力が低下。







そして、いよいよ新政府軍が江戸に総攻撃を決定。










この時、旧幕府軍の全権を任されていたのが、かつての龍馬の師でもあり、西郷に長州征伐の際に「いまは国内同士で戦争をしている時では無い」と頷かせた『勝海舟』です。









また、「ハリー・パークス」と言うイギリスの外交官も諸外国との貿易に悪影響であるとして、中止を求めていました。







このハリー・パークスという人物。








実は彼もある秘密結社に繋がっていたのです。






それが







フリーメイソン








江戸のまちが戦場になったら、どちらが勝っても負けても、復興までに時間がかかり、利益をもたらすことが出来ないと考えていたのでしょう。









当時の新政府にはまだ、諸外国との関係を良い形でむかえなければならなく、また、江戸市中を戦場にかえてしまうのに躊躇すると言う意見もあり、江戸総攻撃を中止にしました。









そして、現在の港区高輪にあった薩摩藩邸で「西郷隆盛」と「勝海舟」が会談。






無血開城の条件として、「江戸城・軍艦や武器の明け渡し。また、徳川慶喜を水戸で謹慎させる。」と言うことで、この会談の終了後、すぐに執り行なわれ、慶喜は水戸にむかいました。








そして、10日後の1868年5月13日に新政府軍の東征大総督である『有栖川宮熾仁親王(あらるすがわのみやたるひとしんのう)』が江戸城へと入城し、新政府軍のものとなりました。













永倉・原田と別れ、試衛館以来の同士がもはや2人になってしまった近藤・土方はそれでもなお再起をかけ北へと移動し、千葉県の流山市にとどまっている際に、新政府軍に見つかってしまいます。








そして、局長である近藤勇は捕縛され、板橋へと連行され、そこで処刑されてしまいます。










それも武士でありながら「斬首」と言うかたちで。







本来、大名にまでのぼりつめた近藤勇でしたら、「切腹」のはずですが、近藤の出生が農民であるのに加えて、『尊王攘夷』派・特に長州藩にとって憎き存在である、新選組の局長・『近藤勇』だったからです。








新政府軍がこの戦争で欲しい首は3つ。





1つは元徳川幕府15代将軍・徳川慶喜・1つは会津藩主・松平容保、そして新選組、局長・近藤勇の首でした。






ただ、もはや慶喜は水戸で謹慎の身。






まさに新政府軍全ての恨みを1人で背負ったと言っても、過言じゃありません。








そして、近藤勇の首は塩漬けにされ、京都の『三条河原』で晒し首にされます。








さて、今ここまでとし次回は江戸城開城のその後についてお伝えしていきたいと思いますので、ご期待ください。

新選組 16 -戊辰戦争のはじまり-

大政奉還』で、政権を返上した徳川慶喜







それを提案した、「坂本龍馬」。






龍馬はこの『大政奉還』を成功させたあと、『薩長同盟』で共に仲介役として尽力を尽くした、「中岡慎太郎」とともに、京都の醤油屋である「近江屋」で暗殺されています。








しかも、『大政奉還』を発足した約1ヶ月後のことです。







この実行犯には色々諸説があり、また確定もされてませんが、個人的には黒幕は「薩摩藩」だと思っています。
いや、もはや当時、薩摩藩を動かしていた、「西郷隆盛」。







何故かと言うと、龍馬が提案した『船中八策』またそれに繋がった、『大政奉還』によって、倒幕の機を失いました。









当時、薩摩藩土佐藩はもはや倒幕派として同盟を組んでいました。
ただし、土佐藩は表立っては、倒幕派にはなりたくない。








このような状況から、龍馬・中岡の居場所はすぐに分かってしまう状況です。









これに利用されたのが京都見廻組










色々な諸説がありますが、通説ではこのようになっています。









ただし、あくまでこれは通説に過ぎず。










そしてひとつ興味深い説があります。








それが『フリーメイソン』陰謀説。









出ましたね!








理由は簡単です。
まず、「トーマス・グラバー」がイギリスの武器商人だったと言う事は、以前お話しました。




そして、グラバーは龍馬の立ち上げた日本初の株式会社「亀山社中」を仲介して、薩摩藩に武器を売り、利益を上げていました。







しかし、『大政奉還』の内容で、金・銀の交換レートの改正などの案を提出した龍馬。







これを良く思わないのが、武器商人である「トーマス・グラバー」だったのです。









それはそうですよね。







世界に合わせたレートになれば、儲けも減ることになる訳ですから。







余計なことしやがって!







と思ったのでしょう。








さらに、西郷隆盛などは武力倒幕を果たしたいが、それを龍馬の内戦回避のための書状により、結局出来ずじまい。






狙われるのも当然です。






ただ、常に命を狙われていた状態だったので、いったい誰がやったのかは闇の中なんですが。









その後に、相楽総三率いる「赤報隊」が江戸市中で暴れまくり。







それに対して徳川慶喜は旧幕府側に抑制をしていましたが、いよいよ我慢の限界に達してしまいます。







そして、庄内藩が江戸の薩摩藩邸を焼き討ちしてしまうのです。









この焼き討ちにより、『戊辰戦争』のきっかけになってしまいました。









1868年1月27日、京都の南側の郊外にある鳥羽・伏見で、新政府軍と旧幕府軍の衝突によって、戦争が開始されました。
鳥羽・伏見の戦い









旧幕府軍は数でこそ多いものの、しっかりとした指揮が取れておらず、いわば寄せ集めのようなものになっていました。







逆に、薩摩藩は軍服や銃などしっかりと揃えており、指揮管理もしっかりしていたために、その勢いで旧幕府軍を圧倒します。







さらに翌日、『錦の御旗』を掲げた新政府軍はこれによりさらに勢いを増していきます。









それもそのはず。







『錦の御旗』=『朝廷側』。
ひいては『天皇』の勅命により、兵を挙げているので、それに銃を放つ=『朝敵』になってしまうからです。









これに怯んだ旧幕府軍は大阪へと後退せざるを得なくなります。







さて、新選組もこの時に戦闘に参加しているのですが、この時に試衛館時代から「近藤勇」や、「土方歳三」の兄弟子でもあり、大変慕っていた「井上源三郎」が戦死してしまいます。






また、この敗北がきっかけで逃げ出す隊士たちも多く、戦力が一気に低下してします。








さらに、『空海』が建立し、京都の民衆に強い信仰を集めた『東寺(とうじ)』で、新政府軍は陣をはり、指揮をしていました。







この心理的作戦から民衆をも味方につけたのです。







その総指揮を執っていた人物が




西郷隆盛





です。






『東寺』の上へ登り、鳥羽・伏見の戦況を見守っていました。







その後、すぐに薩長は『朝廷』から正式に『官軍』となり、土佐藩も加わりさらに新政府軍は勢いを増していきます。







また、その逆に旧幕府軍は『賊軍』として認知されていくようになり、さらに戦いでも敗北を期します。







そんな中大阪城にいた旧幕府軍の総大将である、「徳川慶喜」が突如、数名の側近のみを連れ江戸に帰ってしまいます。






理由はいくつかありますが、その中で慶喜が出た「水戸徳川藩」の家訓に、「幕府に背くことがあっても、決して『朝廷』に弓を引いてはならない。」といのがあります。





さらに自らが『朝敵』となってしまったこと。










この精神的ショックにより撤退。









これで旧幕府軍は一気にやる気を喪失してしまいます。









こうして、新政府軍は江戸城へ向かい東へとドンドン進んでいきます。






次回は江戸城開城など、にお伝えして行こうと思いますので、よろしくお願いします。