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TOTANの日記

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神社仏閣に引き寄せられvol.28

さて、今回も前回と引き続き日光にある神社仏閣のお話をしたいと思いますが、まずは前回と同様『日光東照宮』から行きたいと思います。

2017年に平成の大修理を終えた陽明門は建立当時の豪華爛漫さを取り戻し、それと同時に徳川家の権力の大きさを物語っているのが分かる建造物になっています。(とは言っても、大修理を終えてからはまだ私は行ってないんですけどね💦)

そして、右に行くと家康公の霊廟があるのですが、そこに行くまでに少々階段を登って行きます。

私事ですが、初めて霊廟に行った時は旅行がてら日光に行ったのですが、荷物を預ける場所が見つからずっと持ち歩いたまま行き、すごい大変だった記憶があり2回目は車で日帰りにしてしまいましたね。

さて、この霊廟に向かう最初の場所には「眠り猫」と言われる彫刻があるのですがその意味をするのは「猫が眠れるほど平和で安泰な時代になるように」と願いが込めてられており、その反対側にはスズメが遊んでいる彫刻がそれを証明しているような気しますよね。

そして、陽明門・奥の院(家康公の霊廟がある場所)を周りその次に訪れたのは、その時期がちょうど家康公没後400年と言うのもありまして、孫である3代将軍家光公の霊廟のある『日光山輪王寺大猷院』に訪れました。

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ここに訪れた時に感じたのは金・金・金‼︎

お寺の中は本当に金で装飾されており、さらに家康公の位牌も金箔?が張られて全て金でした。また、歴代将軍が座ったと言われている場所があり、その上には見事な金の飾りがあったのです。

そこで家康公の位牌に拝むとなんとも言えない厳粛な気持ちになり、これは本当にそこに出向いたからこその体験だと思いました。

(2016年の特別公開なので今はやっていません。)

そして、干支によって守護神が違うネックレスタイプの御守りを買い、車での帰路中「龍」のような雲が現れたので、何良い事が起きそうな予感がしました。

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ここでまた私事ではありますが、この『日光東照宮』に参拝した後になぜか必ず人生に関わる良い事が起こるんですよね。

一度目の時は今の就職先に受かり、結婚、子供が産まれ二度目はマイホームを建てて2人目の子供が産まれた事。さらにこんな事がありました。

家族で違う神社に参拝した際に、分社がいくつかありその中で『東照現権』を祀ってある場所がありました。その時に私の父が「必ずお参りしとけ!」と言われたのでお参りし、その理由を尋ねると私の先祖が紀州和歌山藩の医師を代々していたと言う話を聞きました。

紀州和歌山藩と言うのは徳川幕府の中でも徳川将軍家の次に地位が高い「御三家(尾張藩紀州藩水戸藩)」の中の一つで、8代将軍・吉宗以後、14代将軍・家茂まで紀州藩からの将軍が続いている藩です。

そのような事を聞いてから親近感が湧き、私にとってもこの『日光東照宮』は神聖な場所になりました。

 

さて、ここまで日光のお話をしてきましたが一度江戸に戻り、江戸の風水による結界のお話をしたいと思いますが、江戸城を囲うように不動尊があるのはご存知でしょうか?

この不動尊と言うのは「不動明王」の事を指していて、天台宗では在家(出家せずに各家庭で生活をしながら仏教に帰依している事)で祀る事もあり、また不動明王大日如来の化身として見られています。

そしてこの江戸を風水の結界を利用し、繁栄させようとした人物で江戸幕府初期のブレーンでもある「天海」も天台宗出身でしたよね。

そのような背景から不動尊を建て江戸を守ろうとしたのではないでしょうか。

また、この不動尊は5色の目をしておりその色は「黒・青・白・赤・黄」になっています。ここで気づかれた方もいらっしゃると思いますが、東京都内でも一等地としても有名な「目黒」はこの不動尊がある場所なんですね。

そして、「目白」も白い目の不動尊があった事からこの地名になったと言うなんとも面白い話です。

さて、今回はここまでにし次回はこの5色不動尊のお話をもう少ししていきたいと思います。

 

神社仏閣に引き寄せられvol.27

今回は世界文化遺産としても登録されており、徳川将軍の中でももっとも重要な礎を築きその後、265年間もの平和な時代を作りあげた初代将軍・家康と3代将軍・家光が眠る『日光』にスポットを当てて行きたいと思います。

さて、この地は元々奈良時代に勝道上人が開山し山岳信仰として『二荒山大神オオクニヌシタキリビメアヂスキタカヒコネの総称であり、この3柱は親子になります。)』を祀っており、日光連山の主峰である日光三山である男体山(元々は二荒山−ふたらさん)・女峰山・太郎山をそれぞれ聖地として神格化したものです。

 

あれっ、なんかまたオオクニヌシが出てきましたねぇ。

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そしてその後、鎌倉幕府を開いた源頼朝も寄進していましたが、戦国末期には衰退して行きます。その後、源氏の末裔であると名乗り(平氏・源氏・藤原・皇族以外は征夷大将軍の官職に就いた事がないことから)、天下統一を成し遂げた源頼朝を崇拝していた事から、日光再興を図った事、またこの地が江戸城から見てちょうど真北の方角に位置し、北方信仰(北極星はずっと位置が変わらない事から、皇帝などに好んで信仰された)により選ばれたと言う説があります。

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そして、この地にあった「二荒神社(ふたあらじんじゃ)」の名から二荒(ふたあら)と呼ばれていたが、これを音読みにしするとニッコウと読める事から字を変えて、「日光(にっこう)」と言う地名になったと言う説があります。

また、家康は生前に遺言で、「遺体は久能山に葬り、葬儀は増上寺で、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光に小さな御堂を建て祀れよ。」と残した事により、2代将軍・秀忠が建立し、その後3代将軍の家光がこの豪華爛漫な『日光東照宮』を改修しました。

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そして、この日光東照宮で最も巨大なパワーがある場所と言うのは国宝でもある『陽明門』と手前にある鳥居を中心に結んだ上に北極星が来る場所でガイドの方も教えてくれるので参拝した際は是非、記念写真を!

(実際、私が参拝した際にはガイドさんが記念写真を売ってました。)

また、この鳥居を抜けて陽明門に入る前に大きな灯籠があるのですが、それは「独眼竜」で有名な『伊達政宗』がポルトガルから輸入した鉄で作り寄進したり、 正面にある石の鳥居は福岡藩初代藩主である黒田長政が寄進し、その足元にははっきりと『黒田筑前守藤原長政』と彫られているのです。

さらに多くの大名が寄進した灯籠は合計で121基あり、その中で唯一女性から寄進されているものがあります。それが黒田長政の継室であり、家康の養女でもあった栄姫からのものである事でも分かる様に、当時かなりの財力・技術があり、信頼されていたのが伺えます。

また、余談ではありますが今では全国的にも有名な福岡県の郷土料理の「筑前煮」はここから来てるんですね!

福岡では正月や祝い事の席には必ず出されるそうですので、福岡に行った際は是非食べてみたい料理のひとつです。

そして、全121基あるこの灯籠ですが3基を除き全て3万石を超える大名が寄進しています。

この残りの3基ですが、2基は先程もお話をした栄姫で、もう1基は福井藩松平家)の家老になります。

この福井藩が幕末期に薩長同盟の仲介役をした坂本龍馬を支援していたと言うのも、何か皮肉なものですよね…。

さて、この日光東照宮は陽明門だけで無く色々と観て楽しめるわけですが、その中でも一番有名なのが「見ざる言わざる聞かざる」ですが、自分や人の欠点や過ちを、見ない・言わない・聞かない方が良いと言う意味があります。

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また、この言葉が日本に伝わったのは8世紀頃に天台宗系の僧が持ち込んだとして、天台宗比叡山の鎮護社となっていた日吉大社と密接な関係にあった事から山王信仰比叡山の麓にある日吉大社から生まれた信仰で、山王とは日吉大社に祀られている神様の別名である。「山王日枝神社の神様と同じですね!)が発展して行ったもので、山王信仰では猿が神の使いとなっているので、ここで使われたのではないかと考えられています。

 

そういえば、天海は天台宗出身でしたね!

 

さて、次回はもう少し日光の神社仏閣についてお話していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.26

今回は前回の続きの『山王日枝神社』そして増上寺のお話をしたいと思います。

この『山王日枝神社』と言うのは前回もお伝えした江戸城の裏鬼門(南西の方角)にあたり徳川家の氏神として江戸の鎮守と扱われましたが、この神社のお祭も鬼門にあたる『神田明神』の神田祭と同様に「天下祭」として江戸っ子達に親しまれてきました。

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そして、この2つの祭は1年ごとに交互に行われ、山王祭は十二支で言うと「子・寅・辰・午・申・戌」の年に、神田祭は「丑・卯・巳・未・酉・亥」の年に西暦で言うと前者が偶数年、後者が奇数年の隔年に行われている。

また、神田明神は江戸の町の守護神としてに対して山王日枝神社江戸城そのものの守護神として司っていたので幕府から手厚く保護されていた。ただし、一方で行列の集合から経路・解散まで厳しく順序も定められていました。

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とこの様に、山王祭神田祭は似ている様で似ていない天下祭になっていったのです。

そして今では皇城の鎮として守護しているのです。

そしてもう1つの裏鬼門にあたる『増上寺』は今の芝公園内に位置する場所にありますがここはちょっと他の寺院に比べるとスケールの大きさが違うというのを感じます。

まさに圧巻っ!

 

と言うのが始めて訪れた時の直感的な感想でして、15年年くらい前の事ですが、何も知らずに浜松町駅から東京タワーに遊びに行った時に、「なんの鳥居だろう?」

と言う事しか思っていませんでした。そしてそのまま東京タワーに歩いて向かっているとふと、左側に神社なのかお寺なのかどっちが分からないがやたらと大きなのがあるなぁ。と思いそのまま少し時間があったので寄る事になりました。

時間帯的にも夕方過ぎで辺りも薄暗くなってきてたのもあり、照明を点けていたのですが、その時の迫力と言ったら今まで体験した事の無い様な息の詰まるほどの圧巻さと少しの恐さだったのです。

そして、参拝をしこのお寺は何というお寺なのかを辺りを見渡すと、『葵の御紋』が目に入り、「ここは徳川家に関係のあるお寺なんだなぁ」と思いながらパンフレットを手に取りました。

そこで初めてこのお寺は『増上寺』と言うお寺なんだと分かり、更にそこに記載されていたのに更に驚いたのです。

それは前回、『寛永寺』が徳川家の菩提寺とお話をしたの同じく、ここ『増上寺』も徳川家の菩提寺だったのです!

そしてこのお寺で眠っているのは15人の将軍のうち6人で、秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂です。

その時はこの霊廟には時間的に遅かった事もあり行けませんでしたが、後日ちゃんと時間帯を調べて参拝致しました。

と、ここで思ったのが徳川将軍15代のうち6人ずつ鬼門である寛永寺と裏鬼門である増上寺に守護神として置き、さらには北方に初代将軍『家康』3代将軍『家光』を置くことによって、風水で最強の結界を作り、江戸、そして今の東京は繁栄していったのです。

また、このとてつもない敷地を持っていた増上寺は麹町貝塚と言う先史時代から発展していた場所に建立しており、今現在も芝公園内に古墳として残っています。そして、その近くには東京のシンボル的存在でもある東京タワーがあります。この麓にはフリーメイソンの日本本部ロッジがあったりもするんですね。

さらに時代劇や歌舞伎でも有名な「赤穂浪士」のきっかけを作った場所にもなっていたりとやはり江戸時代はかなり重要な寺院だったのですね。

そして江戸城の鬼門の延長線上には霊峰・筑波山があります。そのさらに奥には日立市にある「御岩神社」があります。この神社も中々面白い話があるのですが、宇宙飛行士が宇宙から地球を見た時に1箇所だけ光の柱が立っている場所があったそうです。

その場所を調べてみるとこの神社だったそうです。さらにこの神社には188柱の神様を祀っているのです。

さらに裏鬼門には川崎大師、その奥にはたくさんの神社仏閣がある鎌倉市があるのです。

このように見てみるとこの地に幕府を開いたのは必然だった気がしてなりません。

さて、次回は初代将軍家康・3代将軍家光の霊廟がある日光に焦点を当てて行きたいと思いますます

 

 

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.25

前回、江戸城の鬼門にあたる『神田明神』さらに奥に天台宗別格大本山にもなり、また徳川家の菩提寺にもなっている『寛永寺』のお話をしましたが、もう少しだけこのお寺のお話をしたいと思います。

この寛永寺を開山した天海ですが初代将軍家康の参謀として、風水を使い江戸城を建設しました。それは当時から江戸庶民に人気のあった『平将門』のパワーを利用しこの江戸を護ろうとしまた、将門は「如見菩薩」を信仰しておりそれが北方の守護神である事から、将門に関係のある場所に「北斗七星」を作り江戸に結界を作りました。

この中でも一番有名なのが「将門首塚」ですが、大手町(大手門とは正門の事)にある事、江戸総鎮守でもある神田明神の三ノ宮の祭神が将門である事、家康が北方信仰(北極星は変わらずそこに君臨していることから古代から皇帝などに好まれて信仰されていた)を信じていた事からも将門自体を信仰していた事が分かりますよね。

また、江戸城の鬼門方面に古事記の「岩戸隠れ」で活躍した神様達にあやかり町を作って行きました。その神様が布刀玉命(フトダマノミコト)・天宇受売命(アメノウズメノミコト)・天手力男神アメノタヂカラオ)で上から芸人・遊女・力士の神とされていました。

ここでお解りの方もいらっしゃると思いますがそうです。芸人=浅草・遊女=吉原・力士=両国となるのです。そして、この地は幕府からも正式に認められいた地ですよね。

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さて、天海が開山しのちに徳川家の菩提寺になった寛永寺ですが15人の将軍のうち6人が眠っており(家綱・綱吉・吉宗・家治・家斉・家定)、守護神として江戸を見守っています。

そして、あくまで都市伝説の域なのですが天海は実は「明智光秀」であったと言う話があり、日光にある明智平と言う地名は天海が名づけたと言う伝承があることや、3代将軍家光の乳母の春日局の父は光秀の重臣斎藤利三であること。また、天海の墓所が光秀の居城があった近江坂本にあると言う事からこの様な都市伝説が出来たのだと思います。

また少し話はズレますが、明治維新の立役者の坂本龍馬の先祖が近江坂本出身でこの明智光秀の末裔と言う話があり、倒幕の際、龍馬の家紋が光秀の家紋である桔梗紋と似ていることから、志士たちにも絶大な効果があり奮起させたと言う事実もあります。

そして、今まで鬼門の方のお話をしてきましたが、実は裏鬼門にも守護をしている神社仏閣があるんですね。1つは『山王日枝神社』・もう1つは大本山でもある『増上寺』です。

まず、『山王日枝神社』ですがここの主祭神大山咋神(オオヤマクイノカミ)であり、地主神でありさらに農耕の神とされており、また近江の日枝山(のちの比叡山)に鎮座したことから山全体の神となった。また、この地に最澄天台宗延暦寺を建ててからはこの山の結界を守る守護神として扱われています。

また、天海は天台宗出身である事もあり徳川家の氏神となり、江戸幕府の鎮守となりました。

さて次回はこの山王日枝神社のお話をもう少しと増上寺のお話をしたいと思います。

 

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.24

今まで伊勢神宮と関連して、色々とお話をしてきましたが今回は首都、東京のお話とそれに関連する様なお話をしていきたいと思います。

さて現在、上皇天皇をはじめ皇族の方々のお住まいになっている『皇居』ですがそれ以前は『徳川幕府』の中枢部であったのは皆さん、周知の通りだと思います。

この通称、江戸城(千代田城とも呼ばれる)は外郭を含めると日本最大の城郭になりまして、西は四谷辺りから東は両国辺りまで、さらに北は飯田橋や水道橋辺りから南は新橋辺りまでと広大な範囲をほこり、その中で政治や経済、文化が発展し当時、「世界最大の人口都市」として栄えて言ったのです。

そして、この江戸城を護るようにして鬼門に『神田明神』がそのさらに奥に徳川家の菩提寺としてなった『寛永寺』があるのです。

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そしてこの神田明神主祭神ですが、『オオクニヌシ』『スクナビコナ』そして『平将門』の3柱であり、元々この辺りは伊勢神宮に献上する為、または皇族の方々に献上する為の神田であった場所なので、神田(かんだ)と言う地名がついたそうです。そして、この地に出雲系の人々がやってきてオオクニヌシを祀る為に創建したのがこの神田明神と言われています。

そして、神田明神は『江戸総鎮守』とも言われいて、神田祭の際に山車は将軍が上覧する為に江戸城内に入った事から『天下祭』とも呼ばれるようになりました。

それだけ、徳川将軍家にとって崇敬されていた事が分かりますね。

また、皮肉にもアマテラス(伊勢神宮)とスサノオオオクニヌシは子孫)の関係がありさらに言うと『三種の神器』の一つでもある『八尺瓊勾玉』が現・皇居に保管されていると言う因果関係も面白いですよね。

この『三種の神器』と言うのは『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』『八咫鏡(やたのかがみ)』『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』で上から順に皇居・伊勢神宮(内宮)・熱田神宮に保管されていると言われています。

また、八咫の鏡=アマテラスであるとされており鏡を『陽』、八尺瓊勾玉は形から月(ツキヨミ)に見立ているので『陰』となり、草薙剣スサノオヤマタノオロチを倒した際に見つけたものである事から『三貴神』に繋がっており、天皇即位の際の儀式にはこの3つが揃う事になっています。

と、このようにいまの皇居を中心とする東京は『古事記』などにも繋がってくるのですが、当時はまだ八尺瓊勾玉は『京都御所』に保管されていたので分かりませんが、この様な事を踏まえつつ散策をしてみるとまた面白いかも知れませんね。

さて、江戸城を中心に鬼門となる場所に神田明神寛永寺が存在するとお話をしましたが、この上野にある寛永寺天台宗の別格大本山と寺で3代将軍『家光』が開基し、初代将軍『家康』のブレーンとして、江戸初期の朝廷・宗教的な政策に深く関わってきた『南光坊天海』が開山しました。

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そして、この天海ですが少し面白い話があるのですが、また少し長くなってしまったのでこの続きは次回にしたいと思います。

 

神社仏閣に引き寄せられvol.23

さて、前回は羽黒山の下山までのお話をしましたが今回もこの続きをしていきたいと思います。

下山はタクシーで帰ったわけですがその時にタクシーの運転手さんが有料道路(400円します)を下山中おっしゃっていたのが「この時期は熊がよく出るんですよ!」と。なんの話じゃとお思いになるかもしれませんが、羽黒山を階段で登山中そういえばずっと「パンパン‼︎」と鳴っているなと。それが熊除けの為のだとは思いませんでした。「どっかでお祭りでもあるのかなぁ」くらいにしか。

確かに登山中に熊と出くわしたら怖すぎますよね💦逃げるところが無いんですから💦

そんなこんなで下まで来ると出羽三山神社の「随神門」の前で止めてもらいました。

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ここに戻ってきた目的はただ一つ!

御朱印を頂く為です。しかも、この日は特別な御朱印が頂く事が出来るのです。とは言っても毎月5日・15日・25日の日には頂けるんですけどね。

と言うわけで頂いて来ました、金字の御朱印‼︎

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なかなかこの日付に合わせて行けませんからね。この日も前日にふと思いつき行ったわけですが、天気予報では雨。しかし、以前もお話をした通り、直前で雨も止んだので本当に引き寄せられているんだなぁと実感しました。

また、この御朱印を頂く際に順番のプレートを貰い少しの間待つんですが、その時に渡されたプレートも何か縁起の良いと感じました。

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それがこの黄色に「8」の数字です。

風水では黄色と金色は「金運」が上がると言われています。皆さんも自宅で金運アップの風水を取り入れている方も結構多くいらっしゃるのでは無いでしょうか?

また、「8」と言う数字は横にすると無限とも読めたり、漢字にすると「八」と書きその形から末広がりのように見える事から、昔から好まれていた数字なのです。

さらに、風水では2019年は「5」と「8」は一番良い数字だそうで、この2つの数字がある場所に行くと運気がアップするそうです。

例えば、宝くじ売り場やスーパーのレジなどでこの数字の場所で購入すると良いそうですよ!

そして、ここ出羽三山神社‼︎

先程も写真を載せましたが、「5」と「8」がたくさんあるのです。

まずは国宝である「五重塔」、それから5のつく日は御朱印が金字で頂けると言いましたよね。この日は8月25日でしたので、両方とも入っています。さらにプレートの黄色と数字。

ここまで、揃うと何かこの日、この場所に引き寄せられている様な気がします。

と、ここまで書きましたが今のところ何も変わっていないのですがね。ようは、気の持ちようですね。

皆さんもこのようにしてお出かけしてみるのも楽しいですよ。

「信じるか信じないかは、あなた次第です!」笑笑

神社仏閣に引き寄せられvol.22

前回、『羽黒山 五重塔』を拝見しその後に2446段の階段を登りようやく出羽三山神社にたどり着いたと言うお話をしましたが今回ももう少しだけこのお話をしていきたいと思います。

まず山頂に着くなり、出羽三山神社の鳥居が見え心の中では本当に「ようやく着いたぁ💦」と言う気持ちしか無く、そのすぐ左側に手水舎(ちょうずや)があったので、そこで神社を参拝する前のしきたりでもある渇ききった口と汗でベタベタな手を清めました。

そして恥ずかしながら、そこで始めて手水舎の意味が分かった様な気しました。

現代でこそ、どこかの神社に参拝する時は自動車などで目的の神社に参拝が出来るが、昔は特に江戸時代までは歩いて行かなければならなく、もちろんの事汗がビジョビジョになっていたのでしょう。

そう言った意味も込めてまずは手水舎で手や口を清めると言うような風習が出来たのでは無いでしょうか?

そう考えると以前お話をした『伊勢神宮(内宮)』ではかつては五十鈴川での禊は川の中に入り、全身を清めていました。(現在では手を入れるだけの方が多いですがね)

何か分かる様な気がしませんか?

江戸時代には「一生に一度はお伊勢参りかっこと言われるほどに一般民衆にも人気になった事でも分かるように全国各地から参拝者が訪れました。

そして、日本の最高位の神であるアマテラスに参拝するとなると汗まみれの身体では流石に失礼に当たると思いませんか?

そう言った所から、この様な風習が出来たのではないかと思います。

さて、そんな手水舎での清めが終わり鳥居をくぐっていざ参拝しようとすると「あれっ?何かある!」と。近く寄ってみるそれはこの地を開山した蜂子皇子もこの山を登る際に腰を掛けたとか昇天のときに召されたくつがこの場所にあったと伝わる石があったのです。

なるほど。流石の皇子でもここで休息されたのかと思うと何か親近感も湧きます。

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「能除太子」と言うのは蜂子皇子の事で、この地羽黒では人々の面倒がよく、多くの人々の苦悩を取り除いたことからそう呼ばれる様になったそうです。また、「能除仙」「能除大師」とも呼ばれいます。

そんなこんなで参拝を終え、帰りは流石に大変なのでタクシーで下山しようと思い(情けない💦)登山をした側の逆側にあるお茶屋でまさかの1杯、お茶を頂く事が出来ました。

その美味さと言ったら本当に美味しくて美味しくて!

それはしいたけ茶だったのですが、登山で汗も大量にかき終わったせいもあるのでしょうが感動する美味さでした。そして、お茶屋さんのお心遣いにも感謝し少し時間もあったので、玉こんにゃくを購入したのですがこれも美味い!

あの塩気と辛子の辛さ、そしてお茶の美味さが身体に元気をくれたのです。

もしかしたら、疲れた身体に合うものをちゃんと計算されてご提供なされてるんでしょうね。それも、今の様な科学的にで実証される前から!

伊勢神宮(内宮)では赤福が有名ですがこれも糖分の摂取と言う疲れた身体には理にかなっているのが面白いです。

と、少しの休憩を挟みタクシーで下山していく訳ですが、ちょっと長くなったのでこの続きはまた次回に!

次回は必見ですよ!笑

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.21

前回に引き続き出羽三山神社のお話を今回も少ししていきたいと思います。

と、先日この神社に参拝しに行った訳が2つほどありまして1つは『西の伊勢神宮、東の出羽三山』と言われるほど、重要な神社で特に江戸時代頃から一般民衆のあいだで広まっていったそうです。

また、ちょっと面白いことを発見しまして、この伊勢神宮月山神社は『陽・陰』の関係性があるとお話をしましたが、この2つの神社を線で結ぶとその中心にはなんと『浅間山』がありました。

そしてこの浅間山は日本のシンボル的な山で世界遺産にも登録された『富士山』の北側に位置しているのです。

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さらにこの2つの山には姉妹の神様がおり、姉の神様は浅間山に(イワナガ姫)、妹の神様は富士山に(コノハナチル姫)が祀られています。この2柱の父が大山祇命オオヤマツミ)であり、スサノオと結婚するクシナダヒメの祖父にあたります。

また、コノハナチル姫の子孫・スサノオの子孫が大国主神オオクニヌシノカミ)になり、やはり『三貴神(アマテラス・スサノオ・ツキヨミ)』は繋がっていると感じてしまいます。

そして浅間山は長野県と群馬県の境にあるのですが、また『長野県』が出てきた!とも感じてしまいます。何かありますね、きっと!笑

と、だいぶ脱線したので話を戻しますが、もう1つの理由が出羽三山神社の麓にあり、『国宝』でもある『羽黒山五重塔』が只今、150年ぶりに御開帳と言う事で訪れたのです。

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早朝にここに着いたのですが、1時間くらい前まで雨が降っていたので正直なところ、来る日を間違えてたかなと思っていたわけですが、おかげ様で天気も良くなり逆に綺麗に見えました。何かこの地に来た事を歓迎して貰っているかのようでした。

また、ここに来る前に2446段の階段を登ると言うのは事前に知っていたので、錫杖(簡易的なやつ)を借りようと思ったのですが、貸出のお店はまだやっておらず結局は購入しました。

が、しかしこれは本当に買っておいて良かった!

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これにはだいぶ助けられ、無かったらどうなってたんだろうと思うくらい過酷でした。

また、一ノ坂から三ノ坂まであるのですが一番キツイのが二ノ坂でこれを登り終わると左側に一軒のお店が出て来ます。

ここで少し休憩をした訳ですが水が本当に必要だと言う事を実感し、またこの「力餅二の坂茶屋」で休憩する事で息も整うので是非寄ってみて下さい。

そして、お店の人に「認定証をお願いします。」と伝えると書いて下さるので是非!

この認定証と言うのは2446段もの坂を登りきったと言う証として下さるのですが、実はこの場所はまさかのちょうど中腹付近でして、あと半分登らなければいけないんですね。

一瞬、心が折れそうになりました。

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ただ、この後はそこまでキツくないので(と言ってもキツかったですが💦)なんとか登り切る事が出来ますよ!

と言う事で、タオルと飲み物は必要不可欠です。

皆さんも是非、挑戦してみて下さい!

 

さて、また少し長くなってしまったので、次回ももう少しだけ出羽三山神社のお話をしたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

神社仏閣に引き寄せられvol.20

祝20回目㊗️

私、TOTANのブログの記事数がようやく20回目を迎えました。まだまだ下っ端ですが…。

 

さて、今回は先日行って来た『出羽三山神社』のお話をしたいと思います。

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と言うのも、この『出羽三山神社』は山の上にありましてそこに辿り着くために、2446段の階段を登って辿り着くと言う過酷な場所にあるのですが、この山頂にある神社に着くと壮大な社殿に驚くのと、登りきった達成感でまさに心が洗われたような爽快な気分になりました。

また、この神社の社伝によると第32代崇峻天皇の第三皇子、蜂子皇子(はちこのおうじ)が父の崇峻天皇蘇我馬子に暗殺された際に、厩戸王が逃すために匿われ、宮中を脱出して丹後国富津(現在の京都府富津市)から北へと向かいました。その後、蜂子皇子は現在の山形県鶴岡市辺りの海岸に辿り着き、3本足の霊烏(ヤタガラス)に導かれ羽黒山の阿古谷で聖観音菩薩に感銘を受けこの地で開山されたと伝わっています。

 

また、この神社は日本でも珍しく一つの場所で3カ所の参拝が出来ると言うと言う場所で右から『出羽神社』『月山神社』『湯殿神社』となっています。

そしてこの羽黒山は日本独特の自然信仰と仏教と密教が合わさり生まれた「修験道」と言うものがあり、その中での羽黒修験道の中枢となる場所でもあります。

実際に今でも羽黒修験道は行われており、一般の方も参加出来るのもあるそうです。ただ、一週間この山での修行を行う為にかなり過酷らしく、途中で亡くなってしまう方や断念してしまう方もいるそうです。(帰りのタクシーの運転手さんがおっしゃっていました。💦)

私も山を登りきりましたが、あれを一日に何度もするのは相当過酷な修行だなと思いました。

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ただ、女性限定で3日間だけのもあるみたいでこっちは比較的楽みたいなのですが、それでもかなり過酷だとは思いますがね。

そしてこの羽黒修験道の極意は『羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を願う山(過去)、湯殿山は生まれかわりを願う山(未来)と見立てる事で生きながら新たな魂として生まれ変わることが出来る』と言う事で江戸時代には庶民にも広まって行きました。羽黒修験道では『三関三度の行(さんかんさんどのぎょう)』と言います。

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そして、月山神社主祭神天照大御神の弟でもある『月読命』です。また、アマテラスは太陽の神・ツキヨミは月の神であることか『陽・陰』の関係となっており、『西の伊勢神宮、東の出羽三山』と言われているのです。

 

 

この羽黒山を開山した『蜂子皇子』ですが東北地方で唯一の皇族の墓があるそうでそれも宮内庁が管理しているのを聞いてビックリしました。なぜかと言うと出羽三山神社を出てすぐに石碑みたいな形であり、注意してみないと通り過ぎてしまうくらいだったからです。

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さて、今回はここまでにして次回ももう少しこの出羽三山神社のお話をしてみたいと思います。

 

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.19

今回は、前回お話をした杉並区にある『大宮八幡宮』と福生市の続きを少しだけしようと思います。(と言っても完全に妄想なので、悪しからず。)

この『大宮八幡宮』は第15代天皇応神天皇なのですが、武蔵国三大大宮とも言われており、埼玉県さいたま市の『氷川神社武蔵国一宮)・埼玉県秩父市の『秩父神社(知知父国一宮)ともにこの大宮八幡宮が含まれています。

昔はかなりの勢力を持っていたと言うことですよね。

また、ここは不思議な都市伝説があり参拝中に境内の中で「小さいおじさん」が走り回っていると言うのです。そして、その「小さいおじさん」を見つけた人には幸せが訪れるのだとか…。

みなさんもここに参拝する際には是非、探して見て下さい。

そして、ここの御利益は「安産・子育て」なのですが、実際私は2回程参拝した事がありまして、始めて参拝した年に一人目の子供ができました。しかも、この時はまだお腹にいる事はまだ知らなかったのでまさに御利益通りだなと感じました。ただ、2回目の時は参拝した次の日に妻と二人目の子供が車で事故って大変な目にあいましたけどね。

ただ、2人ともケガも無く、こっちは一切悪くないと言う形で最終的になったので、それも守られているのかなと感じました。

そして、この神社の場所は、井の頭線(吉祥寺ー渋谷間)の永福町が最寄りの駅になるのですが、ふと福生市と何か関係があるのでは無いかとと思いました。なぜなら『福』と言う漢字が使われていると言うただ単純な理由なんですけどね。

そこで色々調べてみたら不思議な事に気づきました。それはこの永福町にある『大宮八幡宮』と福生市にある『福生神明社主祭神天照大御神になります)を線で結ぶとなんと府中市にある『大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)』になるのです。

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この図だと少し分かりにくくて申し訳ありません。

この『福生』と言う地名が歴史に登場するのは平安時代末期(1087年)に武士団・西党の平山宗末と言う人物が源義家から福生村を与えられ

その後、子孫の平山季重と言う人物が「保元の乱」の恩賞として再びこの地を与えられたとなっています。さらに、室町時代には福生周辺の有力な支配者として青梅方面の三田氏と秋川方面の小宮氏がおり、この小宮氏の軍事上、最重要防衛ラインが現在の福生にあたった訳です。

このように福生の歴史を少しお話しましたが、ここであれれと言うものが!

福生と言うの地名が登場する時代と大宮八幡宮が創建された時代がほぼ同時期。

さらに源義家は通称、八幡太郎と言う名で知られています。

八幡宮八幡太郎

 

繋がってきましたね!

八幡神または八幡大菩薩と言うのは「応神天皇」のことです。また、八幡神応神天皇の神霊である事から「皇祖神」とも位置づけられ「承久記」では『日本の帝位は、伊勢天照大御神八幡大菩薩の御計ひ』と記されおり、天照大御神に次ぐ皇室の守護神とされていました。

また、宇佐神宮宇佐八幡宮)や岩清水八幡宮伊勢神宮に次ぐ第ニの宗廊とされてきました。

そして、熟語で「永生(えいせい)」と言う言葉があり、意味は限りない生命、永遠の生命、永遠に生きこと、長生きなどとなっていますがそこに『福』と言う文字をつけて、古代から人々の幸せを願っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.18

前回お話をした国道16線が首都圏の最終防衛ラインとなっているお話。それはなぜかと言うと、自衛隊や米軍基地が数々と国道16号線には存在していると言う理由からでまた立川に広域防災基地があり、首都圏(特に都内でしょうが)が災害などの被害に遭った際には、ここで内閣総理大臣など内閣府が指揮を執る(要するに第2の首相官邸みたいな場所ですね。)施設があり、また中央線が踏切を無くし東京ー立川間を一度も邪魔されず直で立川まで行けると言うお話をしました。

そして今回はもう少しだけ横田基地とその周辺の市町の話をして行きたいと思います。

横田基地は年に一度、日本との友好を深める為に、友好祭と言うのを催しています。そこには、日本では食べられて無いステーキやハンバーガー、またケーキやビールなど本当に珍しいものが飲食でき、更には戦闘機や貨物機なども展示してます。(現在は自衛隊も展示してある)

さらには格納庫?では色々な催し物がやっていて、特に音楽はバントやゴスペルなどザ・アメリカを感じる事が出来るお祭になっています。

(実は私も毎年行ってます。)

そんな中である年だけこの友好祭を行わずにいた年があったのです。その年と言うのはなんと2013年です。公式発表によると予算削減の為にと言われていますが果たしてそうなのでしょうか?

この「13」と言う数字がどうも気になる。

と、色々と調べていると瑞穂町と言う町に(横田基地は、福生市羽村市・瑞穂町・武蔵村山市昭島市立川市に所在してます)天皇が御行幸致されました。

しかも、それがなされた年はなんと2013年だったのです。

そして御行幸なされた当日は雨。

妄想が膨らむばかりです。

さて、話はかわりましてその3年後に福生市と言う(これも横田基地が所在していて、福生市の3分の1は横田基地になっている)市に御行幸なされまして、これで要約東京都(諸島は除く)の御行幸が全てなされたそうで、しかもこの福生市と言うのは東京23区を抜いた通所都下ではちょうど、真ん中辺りにあるのです。

いわゆる、ヘソと言うやつですね。

これで、東京の龍穴を埋めた訳です。(風水には良く用いられています。)

と、ここであれれっ?と思った事がありました。

東京のヘソと言われている神社があるぞ!と。

知っている方々もいると思いますがそれが、杉並区にある『大宮八幡宮』と言う神社があるのです。

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ここの主祭神は第15代天皇の『応神天皇』とその父である『仲哀天皇』、その母である『神功皇后』であります。

この応神天皇は胎中天皇とも言われており、仲哀天皇崩御された十月十日に誕生した(今、現在でも妊娠してから子供が産まれるまでこのように言われていますよね!)と言われてまさに生まれながらの天皇であり、これに抵抗した異母兄に叛乱されるものの、母である神功皇后に制圧され即位するまでこの神功皇后が摂政をしておりました。

また、神功皇后新羅系の渡来人が母におり、これもまた新羅が出てくるのです。(日本神話はやはり新羅系なのですなぁ〜。)

そして、応神天皇は現存する『八幡宮』のすべての主祭神となられています。

話を戻しまして、この大宮八幡宮の御利益で一番有名なのは安産・子育てなのですがその中でも「戌の日」(犬は一度にたくさん仔犬を産むのと比較的、お産が軽いと言われる事にあやかり腹帯を巻いて安産祈願をする習わし)に御祈祷が絶えない神社であります。

 

おっと、ちょっと長くなってしまったのでこの大宮八幡宮のお話はまた次回にしたいと思います。そして、大宮八幡宮福生市の関係を少しだけ話したいと思います。

 

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.17

前回、国道16号線と皇室との繋がりについて少しだけ触れましたが今回はもう少し詳しくお話していきたいと思います。

私の地元を走っていましてもちろん毎日通っているわけですが、この国道16号線はなんと東京に何か災害などいわゆる『有事の際』に皇室を守るための最終防衛ラインだったのです。

と言いますのも、首都圏を完全に一周しており神奈川県の横浜市西区高島交差点を起点・終点になっておりさらに東京湾をフェリーで繋いでいるのです。

そして、この16号線には多くの自衛隊基地、米軍基地がありしかも自衛隊に関しては陸・海・空の全てが揃っているのです。

また、東京都で唯一の米軍基地であり、極東地区の中ではハワイに次ぐ最大の司令部がある『横田基地』もこの16号線の横目に走っています。

この横田基地の中には航空自衛隊もあり、ここに航空総隊司令部も置いてある重要な場所になります。

そしてこの中には国連の本部も設置してありここまで、重要なものが揃っていると何か怖い気もしてしまいますね。

さらに地元では有名な都市伝説みたいな話があるのですが、この基地内で自衛隊と米軍の本部が地下で繋がっていると言うのです。また、立川にある国営公園昭和記念公園ですがここと横田基地は戦前までは大日本帝国軍の陸軍基地になっていまして、現在もこの横には航空自衛隊の基地があり、この2つも地下で繋がっていると言う都市伝説があるのです。

そこで気になったのが立川です。

私は若い時にこの立川にある国立病院機構災害

医療センターと言うところで骨折をして入院した事があるんですが、あまりに暇なので周りを探索していました。その時に驚いたのが近くに警察署・消防署・裁判所などがあり後に調べたところ、まさかの立川広域防災基地と言う、首都圏で大規模な災害があった際に、内閣総理大臣が指揮を執る拠点だったのです。

そして、この立川駅周辺は実際、地方の県庁所在地よりも発展していて、なんでも揃う場所でもあります。

とここでふと気付いた事がありました。

それが東京駅から走っている中央線です。立川駅を分岐に中央線、青梅線横田基地がある福生駅方面)など数々の路線があるビッグステーションですが、中央線では快速・通勤快速・特別快速・特急とたくさん電車が走っています。そして、ここまで走っていると踏切が全然開かずに交通の妨げになってしまうと理由で、線路を新しく踏切が無い様にしました。

そうです。お気づきの方ももういらっしゃるかもしれませんが、東京駅から立川駅までひとつも踏切が無い状態です。表向きは交通の便を良くする為のものとされていますが、実は『有事の際』何も邪魔されずに移動できる様にしたのです。この立川広域防災基地に!

そしてそれは、内閣総理大臣などの政治家などでは無く『皇室』の方々なのです。

実際、皇居から東京駅まで一本道ですよね?

皇居から東京駅、立川駅を通り先程も話した地下道がもし本当に存在しているのなら、横田基地まで一直線で行けます。また米軍横田基地は輸送基地なので、すぐさま逃げ出す事が出来るのです。

こうして見て行くと地理や歴史なども面白く見れますよね!

次回はもう少し横田基地のお話をしていきたいと思います。

 

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.16

 

さて、前回までに「日本(天皇)・キリスト教フリーメイソン」の繋がりをしてきましたが、ここでもうひとついきなり冒頭ですが驚く事があったのでお伝えしたいと思います。

なんと最澄空海が大陸に渡り持ち帰ったもは『景教キリスト教』だったのです。

しかも最澄が『旧約聖書』を、空海が『新約聖書』を持ち帰ったと言うのです!

前回、前々回と最澄空海のお話をしましたがなぜか全く関係の無いであろうキリスト教に繋がったのを覚えているでしょうか?

最澄高野山延暦寺を建立し、後に平安京の御所を鬼門である北東に当たる様に建てられました。そして、その反対である逆鬼門を干支にすると申・酉となりその後が戌、その前が未です。サル・トリ・イヌを率いた桃太郎の昔話になりますが、ヒツジはキリストを表現する際に用いられるもので、さらに未は仏教では大日如来が守護神になり、『大日如来天照大御神=キリスト』とお話をしました。

また空海聖徳太子厩戸王)の生まれ変わりであると言う説を記したものがあり(厩戸王=キリスト)、さらに常に日輪が差している事から『空海天照大御神大日如来=キリスト』となります。そして、厩戸王が摂政をしていた推古天皇は第33代天皇で、推古天皇蘇我氏新羅系)になり、百済系の中臣鎌足中大兄皇子(のちの天智天皇)により滅ぼされています。

フリーメイソンの最高位の数は『33』。

そして以前お話したイースター天孫降臨との類似点、また日本神話は新羅系と百済系の渡来人の争い。

西暦2000年(ミレ二アム)以降13年周期で時代が変わると言う説があり次の2026年にはなんと現皇嗣である秋篠宮文仁親王様の第一男子である悠仁親王様が20歳になるのです。

全ての点と点が繋がったこの時、何か世界を救う『救世主=メシア』の様なものが現れるのでしょうか。

楽しみですね!

さて、話は変わりますがフリーメイソンキリスト教では数字(聖数)を大事にしていて、これに合わせて物事を進めている事もあるのですが、日本にもあるのではないかと思いました。

そしてふと我に返り、私の地元を走っている国道と皇室と繋がる数字が見つかったのです!

その数字は『16』。

国道16号線と皇室の菊花紋章でもある十六葉八重表菊です。

この国道16号線とは神奈川県の横浜市西区を起・終点として首都圏を環状に結んでる(東京湾はフェリーで結んでいる)一般道の事です。

と、ちょっと今回は今までのまとめみたいのが長くなってしまったので次回、わたしなりのこの国道と皇室との繋がりを話したいと思います。

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.15

前回は最澄のお話をして、日本とキリスト教の繋がりをしましたが、今回はもうひとつの密教の祖である『空海』のお話と遡って厩戸王の話を少しだけしたいと思います。

 

空海最澄と共に遣唐使として大陸の唐(現在の中国)に渡り、真言密教をもたらし帰国後、『高野山金剛峰寺』で『真言宗』を開いた人物としてまた、平安京の鎮護の為に建立した『東寺』を嵯峨天皇から下賜され、根本道場となり中世以降、一般民衆にもその信仰が広まっていきました。(戦国時代中期辺りまでは「西寺」と一緒に羅生門を挟んで対となっていました。)

そして空海最澄と同様、『弘法大師(こうぼうだいし)』と言う諡号醍醐天皇から贈られていて大抵の場合、大師とは弘法大師の事を指しています。

また、空海は現在でも死去ではなく「禅定(心が動揺することがなくなった一定の状態の事)」に入っているものとされ、生き続けているとされていて、今現在も服と食事を2回、給仕されています。

そして、さらに面白いのは肖像として後に作られたもので、「聖徳太子弘法大師一體鈔」には空海聖徳太子厩戸王の生まれ変わりであると記されており、「聖徳太子二歳像」と類似している像があります。

さらには、空海は常に日輪がさしている事から「空海天照大御神」となっており、以前お話した「天照大御神大日如来」と言うところから、「天照大御神大日如来空海」とされ、これは神仏習合が色濃くなった時代の表れとして表現されています。

 

まさに、スーパースターみたいな感じで日本人にとって親しみと敬意、そして崇拝されている事が分かりますね!

また、空海は能書道家としても知られており、嵯峨天皇橘逸勢・と共に三筆として数えられています。その中で『聾瞽指帰(ろうこしいき)』は「三教指帰(さんきょうしいき)」(空海が24歳の時に家族に反対されながらも出家をすると言う宣言書で前者が初稿本で、後者は後に色々と改正して朝廷に献上したもの)は、空海直筆のものが金剛峯寺に現存しており、国宝となっています。

そして、驚いたのが空海最澄に送った書状3通を1つにまとめたもので、「風信帖」と呼ばれるものがあり、それも国宝になっており指定名称は『弘法大師筆尺牘三通(こうぼうたいしひつせきとくさんつう)と言うものも現存しています。

この様に、筆としても才能がある空海ですがことわざでも弘法大師が使われていて、一番有名なのが「弘法も筆の誤り」と言うではないでしょうか。意味はたとえ大物であっても、誰にでも間違いはあるものとなっていますが、本来はさすが大師、書き直しでさえも常人とは違うと言う意味も含まれています。

とこの様に、最澄空海のお話をしてきたのですが少し戻って、厩戸王推古天皇の摂政と言うお話を以前しました。それがなんと推古天皇は第33代目の天皇なのです。そして、「33」と言う数字はフリーメイソンで最高位の数字!

いよいよ点と点が繋がってきましたね。

少し長くなったので今回はここまでにして次回はもう少しこの話を触れていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

神社仏閣に引き寄せられvol.14

前回は自分の話で半分以上使ってしまい、少し反省をしているTOTANです。

さて、今回は『聖徳太子厩戸王厩戸皇子』のお話ですが彼は天皇では無く「摂政」と言う天皇の補佐をし政務を摂る役職です。

また、歴史の授業で習った摂政とセットの「関白」と言うのは成人した天皇を補佐する役職で、実質的な公家の最高位でした。豊臣秀吉武家と公家での実質ナンバーワンになっていたって事ですね。

 

そしてこの厩戸王(うまやどおう)は仏教、儒教を取り入れ元々日本にあった神道を飛躍させました。奈良県にある『法隆寺』は世界最古の木造建築として世界遺産にも登録されていますね。

 

まぁ知っている人も多いと思いますがこの「うまやど」何か気づきませんか?

イエス・キリストが産まれた場所も馬小屋でしてこのうまやど=馬小屋なんですね。

そして、面白い事にこの厩戸王が始めた遣隋使が時代が変わり遣唐使になった時代、2人の有名な人物が唐へと海を渡ります。その一人が『最澄』でもう一人な『空海』です。

この2人が帰国後、開いたものは密教と言われて、最澄は『比叡山延暦寺天台宗』を建て、後に866年、清和天皇から『伝教大師(でんぎょうだいし)』という諡号が送られてました。これは帝王・相国(現代で言う大統領、首相など)に死後贈る最高位な称号で、最澄が初めて送られてました。

 

さらにこの比叡山延暦寺はのちに平安時代、御所(天皇の住まい、また政治の中心)から鬼門に当たる場所(北東)に当たるなどとして、その偉大さが感じとられます。

この鬼門にも少し面白い話があるんですが、この北東と言うのは十二支では丑・寅にあたり、頭に丑のツノがあり寅のパンツを履いている鬼のモチーフになったと言うのです。

また、その逆に裏鬼門と言うのがありまして、その逆には末(ヒツジ)・申(サル)にあたりそのあとも酉(トリ)・戌(イヌ)と続いているわけですが、このサル・トリ・イヌ気づいた方もいると思いますが『桃太郎』の物語に出てくる3匹なのです。

 

では、その前の末(ヒツジ)はと引っかかりますよね?桃太郎の事なのでしょうか?

答えは違います。これはキリストの事なのです。正確には『神の子羊』と言い、キリスト教イエス・キリストを指す表現のひとつとしてなっています。その理由は人間に対する贖いとして、イエス・キリストが生贄として役割を果たすとされていて、さらに仏教では末年(ひつじどし)は大日如来が守護神とし、大日如来イエス・キリストとされているのです。

何故なら、大日如来は「永遠不滅の真理であること、また万物を生成すること」とし、またイエスは聖書において「わたしは道であり、真理でたり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとにいくことはできない」とあります。(ヨハネ福音書14章6節)

 

また、日本における神仏習合では大日如来天照大御神とされているのです。

何か点と点が繋がって来ましたよね。

そして、前回話した「谷保天満宮」の御祭神である『菅原道真公』がこの遣唐使を廃止したと言う事実もあると言うのがまた引き寄せられている気がします。

今回はここまでに致しましまして、次回はもう少し厩戸王のお話をしたいと思います。