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『世界最古の国』日本

#神社仏閣#歴史#都市伝説#グルメ#漫画#アニメ#ゲーム#その他生活にありとあらゆるものなどに関することを書いています。ここに記載するすべて記事の引用素材は誹謗中傷を目的としたものでは無く、著作権を侵害する目的で作成したものではありません。

『陽』のアマテラス・『陰』のツキヨミ その②

前回に引き続き出羽三山神社のお話を今回も少ししていきたいと思います。

と、先日この神社に参拝しに行った訳が2つほどありまして1つは『西の伊勢神宮、東の出羽三山』と言われるほど、重要な神社で特に江戸時代頃から一般民衆のあいだで広まっていったそうです。

また、ちょっと面白いことを発見しまして、この伊勢神宮月山神社は『陽・陰』の関係性があるとお話をしましたが、この2つの神社を線で結ぶとその中心にはなんと『浅間山』がありました。

そしてこの浅間山は日本のシンボル的な山で世界遺産にも登録された『富士山』の北側に位置しているのです。

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さらにこの2つの山には姉妹の神様がおり、姉の神様は浅間山に(イワナガ姫)、妹の神様は富士山に(コノハナチル姫)が祀られています。この2柱の父が大山祇命オオヤマツミ)であり、スサノオと結婚するクシナダヒメの祖父にあたります。

また、コノハナチル姫の子孫・スサノオの子孫が大国主神オオクニヌシノカミ)になり、やはり『三貴神(アマテラス・スサノオ・ツキヨミ)』は繋がっていると感じてしまいます。

そして浅間山は長野県と群馬県の境にあるのですが、また『長野県』が出てきた!とも感じてしまいます。何かありますね、きっと!笑

と、だいぶ脱線したので話を戻しますが、もう1つの理由が出羽三山神社の麓にあり、『国宝』でもある『羽黒山五重塔』が只今、150年ぶりに御開帳と言う事で訪れたのです。

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早朝にここに着いたのですが、1時間くらい前まで雨が降っていたので正直なところ、来る日を間違えてたかなと思っていたわけですが、おかげ様で天気も良くなり逆に綺麗に見えました。何かこの地に来た事を歓迎して貰っているかのようでした。

また、ここに来る前に2446段の階段を登ると言うのは事前に知っていたので、錫杖(簡易的なやつ)を借りようと思ったのですが、貸出のお店はまだやっておらず結局は購入しました。

が、しかしこれは本当に買っておいて良かった!

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これにはだいぶ助けられ、無かったらどうなってたんだろうと思うくらい過酷でした。

また、一ノ坂から三ノ坂まであるのですが一番キツイのが二ノ坂でこれを登り終わると左側に一軒のお店が出て来ます。

ここで少し休憩をした訳ですが水が本当に必要だと言う事を実感し、またこの「力餅二の坂茶屋」で休憩する事で息も整うので是非寄ってみて下さい。

そして、お店の人に「認定証をお願いします。」と伝えると書いて下さるので是非!

この認定証と言うのは2446段もの坂を登りきったと言う証として下さるのですが、実はこの場所はまさかのちょうど中腹付近でして、あと半分登らなければいけないんですね。

一瞬、心が折れそうになりました。

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ただ、この後はそこまでキツくないので(と言ってもキツかったですが💦)なんとか登り切る事が出来ますよ!

と言う事で、タオルと飲み物は必要不可欠です。

皆さんも是非、挑戦してみて下さい!

 

さて、また少し長くなってしまったので、次回ももう少しだけ出羽三山神社のお話をしたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

『陽』のアマテラス・『陰』のツキヨミ その①

祝20回目㊗️

私、TOTANのブログの記事数がようやく20回目を迎えました。まだまだ下っ端ですが…。

 

さて、今回は先日行って来た『出羽三山神社』のお話をしたいと思います。

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と言うのも、この『出羽三山神社』は山の上にありましてそこに辿り着くために、2446段の階段を登って辿り着くと言う過酷な場所にあるのですが、この山頂にある神社に着くと壮大な社殿に驚くのと、登りきった達成感でまさに心が洗われたような爽快な気分になりました。

また、この神社の社伝によると第32代崇峻天皇の第三皇子、蜂子皇子(はちこのおうじ)が父の崇峻天皇蘇我馬子に暗殺された際に、厩戸王が逃すために匿われ、宮中を脱出して丹後国富津(現在の京都府富津市)から北へと向かいました。その後、蜂子皇子は現在の山形県鶴岡市辺りの海岸に辿り着き、3本足の霊烏(ヤタガラス)に導かれ羽黒山の阿古谷で聖観音菩薩に感銘を受けこの地で開山されたと伝わっています。

 

また、この神社は日本でも珍しく一つの場所で3カ所の参拝が出来ると言うと言う場所で右から『出羽神社』『月山神社』『湯殿神社』となっています。

そしてこの羽黒山は日本独特の自然信仰と仏教と密教が合わさり生まれた「修験道」と言うものがあり、その中での羽黒修験道の中枢となる場所でもあります。

実際に今でも羽黒修験道は行われており、一般の方も参加出来るのもあるそうです。ただ、一週間この山での修行を行う為にかなり過酷らしく、途中で亡くなってしまう方や断念してしまう方もいるそうです。(帰りのタクシーの運転手さんがおっしゃっていました。💦)

私も山を登りきりましたが、あれを一日に何度もするのは相当過酷な修行だなと思いました。

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ただ、女性限定で3日間だけのもあるみたいでこっちは比較的楽みたいなのですが、それでもかなり過酷だとは思いますがね。

そしてこの羽黒修験道の極意は『羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を願う山(過去)、湯殿山は生まれかわりを願う山(未来)と見立てる事で生きながら新たな魂として生まれ変わることが出来る』と言う事で江戸時代には庶民にも広まって行きました。羽黒修験道では『三関三度の行(さんかんさんどのぎょう)』と言います。

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そして、月山神社主祭神天照大御神の弟でもある『月読命』です。また、アマテラスは太陽の神・ツキヨミは月の神であることか『陽・陰』の関係となっており、『西の伊勢神宮、東の出羽三山』と言われているのです。

 

 

この羽黒山を開山した『蜂子皇子』ですが東北地方で唯一の皇族の墓があるそうでそれも宮内庁が管理しているのを聞いてビックリしました。なぜかと言うと出羽三山神社を出てすぐに石碑みたいな形であり、注意してみないと通り過ぎてしまうくらいだったからです。

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さて、今回はここまでにして次回ももう少しこの出羽三山神社のお話をしてみたいと思います。

 

 

 

 

『16』と言う数字 その③

今回は、前回お話をした杉並区にある『大宮八幡宮』と福生市の続きを少しだけしようと思います。(と言っても完全に妄想なので、悪しからず。)

この『大宮八幡宮』は第15代天皇応神天皇なのですが、武蔵国三大大宮とも言われており、埼玉県さいたま市の『氷川神社武蔵国一宮)・埼玉県秩父市の『秩父神社(知知父国一宮)ともにこの大宮八幡宮が含まれています。

昔はかなりの勢力を持っていたと言うことですよね。

また、ここは不思議な都市伝説があり参拝中に境内の中で「小さいおじさん」が走り回っていると言うのです。そして、その「小さいおじさん」を見つけた人には幸せが訪れるのだとか…。

みなさんもここに参拝する際には是非、探して見て下さい。

そして、ここの御利益は「安産・子育て」なのですが、実際私は2回程参拝した事がありまして、始めて参拝した年に一人目の子供ができました。しかも、この時はまだお腹にいる事はまだ知らなかったのでまさに御利益通りだなと感じました。ただ、2回目の時は参拝した次の日に妻と二人目の子供が車で事故って大変な目にあいましたけどね。

ただ、2人ともケガも無く、こっちは一切悪くないと言う形で最終的になったので、それも守られているのかなと感じました。

そして、この神社の場所は、井の頭線(吉祥寺ー渋谷間)の永福町が最寄りの駅になるのですが、ふと福生市と何か関係があるのでは無いかとと思いました。なぜなら『福』と言う漢字が使われていると言うただ単純な理由なんですけどね。

そこで色々調べてみたら不思議な事に気づきました。それはこの永福町にある『大宮八幡宮』と福生市にある『福生神明社主祭神天照大御神になります)を線で結ぶとなんと府中市にある『大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)』になるのです。

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この図だと少し分かりにくくて申し訳ありません。

この『福生』と言う地名が歴史に登場するのは平安時代末期(1087年)に武士団・西党の平山宗末と言う人物が源義家から福生村を与えられ

その後、子孫の平山季重と言う人物が「保元の乱」の恩賞として再びこの地を与えられたとなっています。さらに、室町時代には福生周辺の有力な支配者として青梅方面の三田氏と秋川方面の小宮氏がおり、この小宮氏の軍事上、最重要防衛ラインが現在の福生にあたった訳です。

このように福生の歴史を少しお話しましたが、ここであれれと言うものが!

福生と言うの地名が登場する時代と大宮八幡宮が創建された時代がほぼ同時期。

さらに源義家は通称、八幡太郎と言う名で知られています。

八幡宮八幡太郎

 

繋がってきましたね!

八幡神または八幡大菩薩と言うのは「応神天皇」のことです。また、八幡神応神天皇の神霊である事から「皇祖神」とも位置づけられ「承久記」では『日本の帝位は、伊勢天照大御神八幡大菩薩の御計ひ』と記されおり、天照大御神に次ぐ皇室の守護神とされていました。

また、宇佐神宮宇佐八幡宮)や岩清水八幡宮伊勢神宮に次ぐ第ニの宗廊とされてきました。

そして、熟語で「永生(えいせい)」と言う言葉があり、意味は限りない生命、永遠の生命、永遠に生きこと、長生きなどとなっていますがそこに『福』と言う文字をつけて、古代から人々の幸せを願っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

『16』と言う数字 その②

前回お話をした国道16線が首都圏の最終防衛ラインとなっているお話。それはなぜかと言うと、自衛隊や米軍基地が数々と国道16号線には存在していると言う理由からでまた立川に広域防災基地があり、首都圏(特に都内でしょうが)が災害などの被害に遭った際には、ここで内閣総理大臣など内閣府が指揮を執る(要するに第2の首相官邸みたいな場所ですね。)施設があり、また中央線が踏切を無くし東京ー立川間を一度も邪魔されず直で立川まで行けると言うお話をしました。

そして今回はもう少しだけ横田基地とその周辺の市町の話をして行きたいと思います。

横田基地は年に一度、日本との友好を深める為に、友好祭と言うのを催しています。そこには、日本では食べられて無いステーキやハンバーガー、またケーキやビールなど本当に珍しいものが飲食でき、更には戦闘機や貨物機なども展示してます。(現在は自衛隊も展示してある)

さらには格納庫?では色々な催し物がやっていて、特に音楽はバントやゴスペルなどザ・アメリカを感じる事が出来るお祭になっています。

(実は私も毎年行ってます。)

そんな中である年だけこの友好祭を行わずにいた年があったのです。その年と言うのはなんと2013年です。公式発表によると予算削減の為にと言われていますが果たしてそうなのでしょうか?

この「13」と言う数字がどうも気になる。

と、色々と調べていると瑞穂町と言う町に(横田基地は、福生市羽村市・瑞穂町・武蔵村山市昭島市立川市に所在してます)天皇が御行幸致されました。

しかも、それがなされた年はなんと2013年だったのです。

そして御行幸なされた当日は雨。

妄想が膨らむばかりです。

さて、話はかわりましてその3年後に福生市と言う(これも横田基地が所在していて、福生市の3分の1は横田基地になっている)市に御行幸なされまして、これで要約東京都(諸島は除く)の御行幸が全てなされたそうで、しかもこの福生市と言うのは東京23区を抜いた通所都下ではちょうど、真ん中辺りにあるのです。

いわゆる、ヘソと言うやつですね。

これで、東京の龍穴を埋めた訳です。(風水には良く用いられています。)

と、ここであれれっ?と思った事がありました。

東京のヘソと言われている神社があるぞ!と。

知っている方々もいると思いますがそれが、杉並区にある『大宮八幡宮』と言う神社があるのです。

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ここの主祭神は第15代天皇の『応神天皇』とその父である『仲哀天皇』、その母である『神功皇后』であります。

この応神天皇は胎中天皇とも言われており、仲哀天皇崩御された十月十日に誕生した(今、現在でも妊娠してから子供が産まれるまでこのように言われていますよね!)と言われてまさに生まれながらの天皇であり、これに抵抗した異母兄に叛乱されるものの、母である神功皇后に制圧され即位するまでこの神功皇后が摂政をしておりました。

また、神功皇后新羅系の渡来人が母におり、これもまた新羅が出てくるのです。(日本神話はやはり新羅系なのですなぁ〜。)

そして、応神天皇は現存する『八幡宮』のすべての主祭神となられています。

話を戻しまして、この大宮八幡宮の御利益で一番有名なのは安産・子育てなのですがその中でも「戌の日」(犬は一度にたくさん仔犬を産むのと比較的、お産が軽いと言われる事にあやかり腹帯を巻いて安産祈願をする習わし)に御祈祷が絶えない神社であります。

 

おっと、ちょっと長くなってしまったのでこの大宮八幡宮のお話はまた次回にしたいと思います。そして、大宮八幡宮福生市の関係を少しだけ話したいと思います。

 

 

 

 

『16』と言う数字 その①

前回、国道16号線と皇室との繋がりについて少しだけ触れましたが今回はもう少し詳しくお話していきたいと思います。

私の地元を走っていましてもちろん毎日通っているわけですが、この国道16号線はなんと東京に何か災害などいわゆる『有事の際』に皇室を守るための最終防衛ラインだったのです。

と言いますのも、首都圏を完全に一周しており神奈川県の横浜市西区高島交差点を起点・終点になっておりさらに東京湾をフェリーで繋いでいるのです。

そして、この16号線には多くの自衛隊基地、米軍基地がありしかも自衛隊に関しては陸・海・空の全てが揃っているのです。

また、東京都で唯一の米軍基地であり、極東地区の中ではハワイに次ぐ最大の司令部がある『横田基地』もこの16号線の横目に走っています。

この横田基地の中には航空自衛隊もあり、ここに航空総隊司令部も置いてある重要な場所になります。

そしてこの中には国連の本部も設置してありここまで、重要なものが揃っていると何か怖い気もしてしまいますね。

さらに地元では有名な都市伝説みたいな話があるのですが、この基地内で自衛隊と米軍の本部が地下で繋がっていると言うのです。また、立川にある国営公園昭和記念公園ですがここと横田基地は戦前までは大日本帝国軍の陸軍基地になっていまして、現在もこの横には航空自衛隊の基地があり、この2つも地下で繋がっていると言う都市伝説があるのです。

そこで気になったのが立川です。

私は若い時にこの立川にある国立病院機構災害

医療センターと言うところで骨折をして入院した事があるんですが、あまりに暇なので周りを探索していました。その時に驚いたのが近くに警察署・消防署・裁判所などがあり後に調べたところ、まさかの立川広域防災基地と言う、首都圏で大規模な災害があった際に、内閣総理大臣が指揮を執る拠点だったのです。

そして、この立川駅周辺は実際、地方の県庁所在地よりも発展していて、なんでも揃う場所でもあります。

とここでふと気付いた事がありました。

それが東京駅から走っている中央線です。立川駅を分岐に中央線、青梅線横田基地がある福生駅方面)など数々の路線があるビッグステーションですが、中央線では快速・通勤快速・特別快速・特急とたくさん電車が走っています。そして、ここまで走っていると踏切が全然開かずに交通の妨げになってしまうと理由で、線路を新しく踏切が無い様にしました。

そうです。お気づきの方ももういらっしゃるかもしれませんが、東京駅から立川駅までひとつも踏切が無い状態です。表向きは交通の便を良くする為のものとされていますが、実は『有事の際』何も邪魔されずに移動できる様にしたのです。この立川広域防災基地に!

そしてそれは、内閣総理大臣などの政治家などでは無く『皇室』の方々なのです。

実際、皇居から東京駅まで一本道ですよね?

皇居から東京駅、立川駅を通り先程も話した地下道がもし本当に存在しているのなら、横田基地まで一直線で行けます。また米軍横田基地は輸送基地なので、すぐさま逃げ出す事が出来るのです。

こうして見て行くと地理や歴史なども面白く見れますよね!

次回はもう少し横田基地のお話をしていきたいと思います。

 

 

 

 

フリーメイソン・キリスト教・そして日本 その⑥

 

さて、前回までに「日本(天皇)・キリスト教フリーメイソン」の繋がりをしてきましたが、ここでもうひとついきなり冒頭ですが驚く事があったのでお伝えしたいと思います。

なんと最澄空海が大陸に渡り持ち帰ったもは『景教キリスト教』だったのです。

しかも最澄が『旧約聖書』を、空海が『新約聖書』を持ち帰ったと言うのです!

前回、前々回と最澄空海のお話をしましたがなぜか全く関係の無いであろうキリスト教に繋がったのを覚えているでしょうか?

最澄高野山延暦寺を建立し、後に平安京の御所を鬼門である北東に当たる様に建てられました。そして、その反対である逆鬼門を干支にすると申・酉となりその後が戌、その前が未です。サル・トリ・イヌを率いた桃太郎の昔話になりますが、ヒツジはキリストを表現する際に用いられるもので、さらに未は仏教では大日如来が守護神になり、『大日如来天照大御神=キリスト』とお話をしました。

また空海聖徳太子厩戸王)の生まれ変わりであると言う説を記したものがあり(厩戸王=キリスト)、さらに常に日輪が差している事から『空海天照大御神大日如来=キリスト』となります。そして、厩戸王が摂政をしていた推古天皇は第33代天皇で、推古天皇蘇我氏新羅系)になり、百済系の中臣鎌足中大兄皇子(のちの天智天皇)により滅ぼされています。

フリーメイソンの最高位の数は『33』。

そして以前お話したイースター天孫降臨との類似点、また日本神話は新羅系と百済系の渡来人の争い。

西暦2000年(ミレ二アム)以降13年周期で時代が変わると言う説があり次の2026年にはなんと現皇嗣である秋篠宮文仁親王様の第一男子である悠仁親王様が20歳になるのです。

全ての点と点が繋がったこの時、何か世界を救う『救世主=メシア』の様なものが現れるのでしょうか。

楽しみですね!

さて、話は変わりますがフリーメイソンキリスト教では数字(聖数)を大事にしていて、これに合わせて物事を進めている事もあるのですが、日本にもあるのではないかと思いました。

そしてふと我に返り、私の地元を走っている国道と皇室と繋がる数字が見つかったのです!

その数字は『16』。

国道16号線と皇室の菊花紋章でもある十六葉八重表菊です。

この国道16号線とは神奈川県の横浜市西区を起・終点として首都圏を環状に結んでる(東京湾はフェリーで結んでいる)一般道の事です。

と、ちょっと今回は今までのまとめみたいのが長くなってしまったので次回、わたしなりのこの国道と皇室との繋がりを話したいと思います。

 

 

 

フリーメイソン・キリスト教・そして日本 その⑤

前回は最澄のお話をして、日本とキリスト教の繋がりをしましたが、今回はもうひとつの密教の祖である『空海』のお話と遡って厩戸王の話を少しだけしたいと思います。

 

空海最澄と共に遣唐使として大陸の唐(現在の中国)に渡り、真言密教をもたらし帰国後、『高野山金剛峰寺』で『真言宗』を開いた人物としてまた、平安京の鎮護の為に建立した『東寺』を嵯峨天皇から下賜され、根本道場となり中世以降、一般民衆にもその信仰が広まっていきました。(戦国時代中期辺りまでは「西寺」と一緒に羅生門を挟んで対となっていました。)

そして空海最澄と同様、『弘法大師(こうぼうだいし)』と言う諡号醍醐天皇から贈られていて大抵の場合、大師とは弘法大師の事を指しています。

また、空海は現在でも死去ではなく「禅定(心が動揺することがなくなった一定の状態の事)」に入っているものとされ、生き続けているとされていて、今現在も服と食事を2回、給仕されています。

そして、さらに面白いのは肖像として後に作られたもので、「聖徳太子弘法大師一體鈔」には空海聖徳太子厩戸王の生まれ変わりであると記されており、「聖徳太子二歳像」と類似している像があります。

さらには、空海は常に日輪がさしている事から「空海天照大御神」となっており、以前お話した「天照大御神大日如来」と言うところから、「天照大御神大日如来空海」とされ、これは神仏習合が色濃くなった時代の表れとして表現されています。

 

まさに、スーパースターみたいな感じで日本人にとって親しみと敬意、そして崇拝されている事が分かりますね!

また、空海は能書道家としても知られており、嵯峨天皇橘逸勢・と共に三筆として数えられています。その中で『聾瞽指帰(ろうこしいき)』は「三教指帰(さんきょうしいき)」(空海が24歳の時に家族に反対されながらも出家をすると言う宣言書で前者が初稿本で、後者は後に色々と改正して朝廷に献上したもの)は、空海直筆のものが金剛峯寺に現存しており、国宝となっています。

そして、驚いたのが空海最澄に送った書状3通を1つにまとめたもので、「風信帖」と呼ばれるものがあり、それも国宝になっており指定名称は『弘法大師筆尺牘三通(こうぼうたいしひつせきとくさんつう)と言うものも現存しています。

この様に、筆としても才能がある空海ですがことわざでも弘法大師が使われていて、一番有名なのが「弘法も筆の誤り」と言うではないでしょうか。意味はたとえ大物であっても、誰にでも間違いはあるものとなっていますが、本来はさすが大師、書き直しでさえも常人とは違うと言う意味も含まれています。

とこの様に、最澄空海のお話をしてきたのですが少し戻って、厩戸王推古天皇の摂政と言うお話を以前しました。それがなんと推古天皇は第33代目の天皇なのです。そして、「33」と言う数字はフリーメイソンで最高位の数字!

いよいよ点と点が繋がってきましたね。

少し長くなったので今回はここまでにして次回はもう少しこの話を触れていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

フリーメイソン・キリスト教・そして日本 その④

前回は自分の話で半分以上使ってしまい、少し反省をしているTOTANです。

さて、今回は『聖徳太子厩戸王厩戸皇子』のお話ですが彼は天皇では無く「摂政」と言う天皇の補佐をし政務を摂る役職です。

また、歴史の授業で習った摂政とセットの「関白」と言うのは成人した天皇を補佐する役職で、実質的な公家の最高位でした。豊臣秀吉武家と公家での実質ナンバーワンになっていたって事ですね。

 

そしてこの厩戸王(うまやどおう)は仏教、儒教を取り入れ元々日本にあった神道を飛躍させました。奈良県にある『法隆寺』は世界最古の木造建築として世界遺産にも登録されていますね。

 

まぁ知っている人も多いと思いますがこの「うまやど」何か気づきませんか?

イエス・キリストが産まれた場所も馬小屋でしてこのうまやど=馬小屋なんですね。

そして、面白い事にこの厩戸王が始めた遣隋使が時代が変わり遣唐使になった時代、2人の有名な人物が唐へと海を渡ります。その一人が『最澄』でもう一人な『空海』です。

この2人が帰国後、開いたものは密教と言われて、最澄は『比叡山延暦寺天台宗』を建て、後に866年、清和天皇から『伝教大師(でんぎょうだいし)』という諡号が送られてました。これは帝王・相国(現代で言う大統領、首相など)に死後贈る最高位な称号で、最澄が初めて送られてました。

 

さらにこの比叡山延暦寺はのちに平安時代、御所(天皇の住まい、また政治の中心)から鬼門に当たる場所(北東)に当たるなどとして、その偉大さが感じとられます。

この鬼門にも少し面白い話があるんですが、この北東と言うのは十二支では丑・寅にあたり、頭に丑のツノがあり寅のパンツを履いている鬼のモチーフになったと言うのです。

また、その逆に裏鬼門と言うのがありまして、その逆には末(ヒツジ)・申(サル)にあたりそのあとも酉(トリ)・戌(イヌ)と続いているわけですが、このサル・トリ・イヌ気づいた方もいると思いますが『桃太郎』の物語に出てくる3匹なのです。

 

では、その前の末(ヒツジ)はと引っかかりますよね?桃太郎の事なのでしょうか?

答えは違います。これはキリストの事なのです。正確には『神の子羊』と言い、キリスト教イエス・キリストを指す表現のひとつとしてなっています。その理由は人間に対する贖いとして、イエス・キリストが生贄として役割を果たすとされていて、さらに仏教では末年(ひつじどし)は大日如来が守護神とし、大日如来イエス・キリストとされているのです。

何故なら、大日如来は「永遠不滅の真理であること、また万物を生成すること」とし、またイエスは聖書において「わたしは道であり、真理でたり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとにいくことはできない」とあります。(ヨハネ福音書14章6節)

 

また、日本における神仏習合では大日如来天照大御神とされているのです。

何か点と点が繋がって来ましたよね。

そして、前回話した「谷保天満宮」の御祭神である『菅原道真公』がこの遣唐使を廃止したと言う事実もあると言うのがまた引き寄せられている気がします。

今回はここまでに致しましまして、次回はもう少し厩戸王のお話をしたいと思います。

 

 

フリーメイソン・キリスト教・そして日本 その③

13回目の今回は日本とキリスト教・またフリーメイソンの繋がりについてもう少し紐解いていきたいと思いますが前回、天孫降臨イースターが非常に似ていると言う話を書きました。

またフリーメイソン会員の人物が日本にイースターを広めたと言う話をしましたが、このフリーメイソンには階級がありまして最高位が『33』になっています。そしてさらに世間的には(キリスト教圏内では特に)忌み嫌われている数字『13』と言うのも彼らにとっては特別な数字である『聖数』として崇められているのです。

そして2000年(ミレミアムで世界中が盛り上がったり、色々な問題などがあったのを覚えている方もいらっしゃると思いますが)以降、13年毎に世界が移り変わって行くと噂されています。事実、ここ5〜6年でAIの進化は凄まじいモノを感じますよね。

ここで、日本に戻り天皇家でこの数字に関わる人物はいないかと調べていくうちに「うわっ!」と言う人物が出て来ました。

それが過去に日本紙幣での最高額の1万円札の肖像としてもなった『聖徳太子』なのです。

 

聖徳太子は『厩戸王厩戸皇子』とも言われており(現在では日本の教科書で習うのは後者の方が主流)、蘇我氏新羅系)の権力の元で「推古天皇」の摂政となり政治に関わり、冠位十二階や十七憲法などを定めたり、天皇家やその他の王族を中心とした中央集権国家の体制を確立したとされ、さらに遣隋使を派遣し仏教・儒教を取り入れ既存する神道と共に共存すると言うのを広めた人物です。

この遣隋使で有名な小野妹子ですが、少し面白い話がありまして、私が住んでいる地区は昔でいう「武蔵国」と言う場所なんですが、その総社が『大国魂神社』と言う神社があります。

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私事ですが毎年参拝しているのですが酉の市に行った際にお参りし終え、その後に宝クジを買ったら見事当選しました!笑

全然関係が無いので話を戻しますが。

この武蔵国には武蔵国一ノ宮から六ノ宮まであるんですが、その総社と言うのが大国魂神社なわけですが、この武蔵一ノ宮が『小野神社』になりまして、この「小野」ていうのが小野妹子と関係があり、かつて「小野氏」の祖でもある「天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)を祀っていたとされいた事からこの名がついたそうです。

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そしてまた私事なんですが、先程言った大国魂神社で参拝し終えた後に宝クジが当ったと言う話には少し続きがありまして、当選した事を「御礼」しに早朝、車で向かっていた時に事故にあいそうになり、急ブレーキを掛けなんとか難を逃れました。そして、ふと横を見ると国立にある『谷保天満宮』だったのです。しかもこの神社は「交通安全発祥の地」でもありまして、まさにその通りになったと言う体験をしたのです。

そして、その後にこの神社に参拝しに行った際に小野神社がこの中にあると言う、まさに引き寄せられいるのでは無いかと思うような体験をしました。

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ちょっと長くなってしまったので、今回はここまでにします。私事が長くなってしまい申し訳ありません^^;

フリーメイソン・キリスト教・そして日本 その②

前回は「天孫降臨」とその際に起きた「国譲り」の話をしましたが今回はキリスト教でも最重要な祭でもあるイースターの話をしていきたいと思います。

その前に少し戻って前回、邇邇芸尊(ニニギノミコト)はアマテラスの孫で神武天皇(初代天皇)の曽祖父と言う話をしました。また、ニニギは五穀豊穣の神としても祀られています。今でこそ、五穀豊穣と言う言葉があまり身近ではない気がしますが、ほんのちょっと前まではこれが一番重要な御利益でした。(農作物が育たなければ死に直結していたため)

 

そしてこの天孫降臨こそが本格的に半島から大陸の渡来人がこの列島に侵略して来た事を示しているのです。それを証拠に、中国東北部朝鮮半島から弥生時代に鉾は武器と伝わってきたとなっており、また天孫降臨し、おりたった地の高千穂峯山頂には『天逆鉾』と言う鉾が刺さっているのです。

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ここでちょっとした豆知識をひとつ。

あの幕末で最も人気な「坂本龍馬」が京都・寺田屋で襲撃された際に薩摩藩(現・鹿児島)に匿わられ、鹿児島で療養中に妻である「お龍」と共にこの高千穂の天逆鉾を拝見しに訪れ触ったと言うのです。そしてこれが日本人初の「新婚旅行」とされており、その時の様子を事細かに姉である「乙女姉さん」に手紙で送ったそうです。

 

さて、ここまでは日本神話のお話をしましたが、次はキリスト教の最重要な祭でもあるイースターのお話をしていきたいと思います。

イースターと言うのはキリストが磔にされ、死亡した3日後に「復活」した事を祝う日で春分の日の次の満月の週の日曜日に行われる祭日です。また、イースター・エッグイースター・バニーと言うのがあり、イースター・エッグマグダラのマリアがキリストの復活をローマ皇帝に謁見した際に赤い卵を献上したとされる説があります。この赤いと言うのはキリストの血、また生命を表す事から復活を祝福するものとされています。ただし、今ではカラフルな色で染めているエッグの方が多いですけどね。

そしてイースター・バニーと言うのは西欧のみでの定着ではありましたが、ウサギは子供を多く産むので、豊穣の象徴とされています。

 

ここであれっ⁉︎と思ったのは天孫降臨のニニギも五穀豊穣の神と言う事です。

さらには天孫降臨イースター(復活)も天から降りて来てその後の歴史に多大な影響を与えると言う事です。

そしてそれぞれが独自の文化を作りだしていくわけですが、このイースターと言うのも日本ではここ数年で認知度が広まったのはすでにご周知でしょうが、それを一気に広めていったのはあのミ○キーでも有名な、デ○ズニーなのです。そして、その創設者のウ○ルト・デ○ズニーは世界最古で最大規模の秘密結社であるフリーメイソンの一員であるとされているのです。

この繋がりには驚きましたが、もっと気になったのは何故この時代に分かる人には分かるような事をしているのでしょうか。少し、怖いくらいです。

と、ここまで話して来ましたが次回はまた少し日本とキリスト教、さらにフリーメイソンの繋がりについて紐解いていきたいと思いますので、是非お楽しみに!

フリーメイソン・キリスト教・そして日本 その①

前回、冬至とクリスマスの関係。さらに上皇陛下が冬至の次の日23日に御生誕されたと記述しましが、今回は日本・キリスト教・さらにはフリーメイソンの関係を自分なりの解釈で紐解いて行きたいと思います。

まず、天孫降臨から話して行きたいと思いますがこれはアマテラスの命を受けた建御雷神(タケミカヅキ)と天鳥船神(アメノトリフネのカミ)が大国主神オオクニヌシノカミ)から国譲りを受けて、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治権を確保し、その後アマテラスの命を受けて天孫である邇邇芸尊(ニニギノミコト)が高天原(たかあまはら)から地上に降りてきたとされた日本神話です。

 

そのひ孫が初代天皇神武天皇になり、ここから天皇制が始まり今や世界で一番途切れていない家系でもギネスになり、世界で唯一エンペラーとも言われる存在として、また日本中いや、世界中から愛される存在として続いているのです。

しかもその年月はなんと2600年以上ですよ⁉︎

果てしなく長い。ここまで途絶えずに脈々と続いているのは本当に素晴らしい事ですし、我々日本人の心の中にも象徴としてしっかりと受け継がれて行っているわけですね。

少し何を言っているか分からなくなりましたが、ここでちょっと思った事が。

以前、スサノオ系は百済系の渡来人と言うお話をしましたが、この『国譲り』と言うのはもう一つの渡来人である新羅系の人々によって征服されたのではないかと。

大陸の半島から来た新羅系の人々が高千穂に降りてたちどんどん東へと侵略して行った。

まさに神武天皇の、東征征伐ですね。

今までずっと出雲国を治めていたオオクニヌシの一族が半島からやってきた一大勢力によって国譲りをしたと言うのがなんとなく分かる様な気がします。

しかも国譲りするにあたり、タケミカヅキ建御名方神タケミナカタ)が力比べをし、これが日本の国技でもある相撲になったとされています。

負けたタケミナカタは現在の長野県諏訪市にある諏訪湖まで逃げ延び、諏訪明神として諏訪大社で、祀られているのです。

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また写真を見てもらうとお気づきになる方もいらっしゃると思いますがどことなく出雲大社と似ていませんか?
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負けたタケミナカタはこの地で自分の故郷を思い出し建てたのでしょうか。

そして、諏訪湖には少し面白い話があります。

このタケミナカタは龍(蛇)神であり現在の10月(神無月)に出雲大社で神々が集まる際に、あまりにも大き過ぎて邪魔扱いされてしまい、それ以来行くのをやめたと言う話があります。

同じ様に、あまりに大き過ぎる為諏訪湖に尾を残した状態でも出雲大社に行けたと言う話があり、いずれにせよ諏訪湖に残っているので、この地域では神在月と言われていたと言うお話です。

ちなみにこの神在月出雲国でも10月は言われいました。

そして極めつけは、諏訪湖から流れる川に天竜川と言う川がありますがこの川もかつては「暴れ天竜」と言われていたそうで、こうしてみると何故か出雲国の時の話と重なり合う部分が多い気がしてしまうのは私だけでしょうか?

このように繋ぎ合せてみるとやはり日本神話は面白いですよね!

またまた余談が長くなってしまいましたが、次はその後の天皇家キリスト教フリーメイソンの関係をもう少し紐解いて行こうと思います。

伊勢神宮(内宮)

いよいよ、今回で10回目のブログ更新になりましたTOTANです。

今回は伊勢詣りなかでの真打ち登場!

伊勢神宮『内宮』です!!

さて、外宮から戻り内宮(正式名称は皇大神宮)にと移動しますが、その前に観光がてらおかげ横町に。

色々と食べ歩きながら向かいましたが、やはりなんといっても松坂牛。と言う事で、内宮から一番近い松坂牛の丼のお店へ行って来ました。f:id:TOTAN:20190806010217j:image

おかげで娘は和牛の肉しか食べなくなりましたが。おかげだけに…笑。

と、冗談を言ってる間にすぐ目の前は内宮の鳥居⛩

皆さん、写真を撮ってました。

さて、鳥居を抜けるとすぐに宇治橋がありこの正面向かって左側の擬宝珠をさするとまたこの場所に帰ってこれるという言い伝えがあり、皆さんさすっていました。

そのまま右側通行で奥に進んだ時、またしても気温が下がった木がして、すごく清々しい気持ちになりました。

そして、五十鈴川で身を清めて(昔は全身、川の水を浴びていたが今は手だけで良いそうです)いざ、参拝。

正宮は流石に写真撮影は禁止なので、階段下から撮るしか無いですがここでも、皆さん写真を撮っていましたね♫

階段を登り、正宮の前に立ちお辞儀をしている時、急に風が吹き中がハッキリと見えたのには感動しました。何か、歓迎されている気がしてならなかった!

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その後、アマテラスの荒御魂をお祀りしている

第一の別宮の荒祭宮などを参拝し、最後に驚いたのが、偶然にも御厩で『神馬』に出会えた事です。

毛並みもツヤもしっかりしていて、本当に感動しました。さすが皇室から贈られた神馬だけある。そしてなによりも驚いたのが今回(正確には2018年なので大分経っていますが…)出会えた神馬は内宮に参拝した10日前くらいに牽進(けんしん)されたそうです。さらに神馬に出会うと『幸せな事が起こる前兆』などとも言われているそうですよ。

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この様な出会いもタイトルにある様に引き寄せられているのかなと感じてしまうのは私だけでしょうか?

そんなこんなで帰りは左側通行で歩き、宇治橋を渡って最後に鳥居のまえで「お邪魔致しました、ありがとうございました!」と心の中で唱え参拝を終えるわけですが、11月下旬から1月下旬に掛けてはこの鳥居から、御来光が見る事が出来るみたいですよ。まさに神々しい光ですね。

そして、この間のちょうど真ん中にあたり、何か不思議な感じがしませんか?

そうです。冬至を間に前後一ヶ月と言う事なんですね!

しかも、すぐ近くにはクリスマスがあります。クリスマスと言うのは、実はイエス・キリストの生誕日では無く、生誕した事を祝う日なんですね。そして、それの認知度を高める為に当時の暦の上での冬至の日に当てたんです。そうする事によって一般の民衆達にも広く浸透していったようです。

また、冬至は一年で「太陽の出る日が一番短い日」なので、また新たに生まれ変わる=復活すると言う意味で『一陽来復』と言う熟語もあるくらいです。またまた、キリストとどこか似ていますね。

そして、2018年平成最後の年、2019年令和最初の年も12月22日が冬至に当たりその中でも22日が占める確率が約8割となっています。

これでまた、あれれっ!と。

感の良い人はお分かりだと思いますが、この次の日の23日はまさかの2019年4月末日で御退位された現・上皇様でもいらっしゃれる昭仁様の御生誕日でおありであります。

さて、少し長くなってしまうので今回はここまでにして次回はもう少し紐解いて行こうかと思います。

 

 

 

 

スサノオと渡来人、そして大和朝廷へ その②

前回、ヤマタノオロチの話は実は渡来人(百済系)の人々による、斐伊川の上流での土木作業で大河の氾濫を防ぎ、さらに砂鉄から製鉄を作り出し剣や武具などを生産してもう一つの勢力、アマテラス(新羅系)に太刀を献上し、出雲国の領地を平定するのを許されたと言うお話をしましたが、ここで面白いお話がもう一つ!

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埼玉県にある『武蔵一宮 大宮氷川神社』、ここの主祭神スサノオです。

この地はかつて、荒川の氾濫が相次ぎ続いて困っていたので、水神であるスサノオを祀り氾濫を治めたそうです。また、この荒川(大宮氷川神社)より下流の地には至るところに氷川神社と言う神社があり、氷川信仰と言うものも生み出します。

なかでも有名なのは赤坂にある赤坂氷川神社ではないでしょうか。ここは東京の祭りでも10本の指に入るくらい有名な場所でもあります。

と、ここでまた「あれれっ!!」と。

斐伊川(ひいかわ)と氷川神社(ひかわじんじゃ)なにか似てませんか?

そして、荒川とヤマタノオロチの話もなにか似てませんか?

そうです。字の如く、氷川神社のひかわとは斐伊川の名前からなぞって名付けられたと言う説があるのです。島根県斐伊川を整備した百済系の人々が関東のこの地にもやってきて、この地も整備した結果、氷川神社また氷川信仰と言うものが生まれたのです。そして、水神でもあるスサノオ主祭神として祀り、崇めました。これも百済系のトップである人物(スサノオ)を崇めるのは遠い地から来た人々にとっては当然の事の様な気がしてなりません。

また、この荒川の「荒」と言う字、スサノオはかつて暴れん方で荒れ狂っていてその結果、『岩戸隠れ』の話にもなったと言う事から、この字が共通しているモノも感じてしまうのは私だけでしょうか?

さらに面白い話をもう少し。

この荒川の支流に隅田川と言う川があります。この隅田川は花火大会をTVで中継するくらい有名ですよね。

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これを下っていくと浅草を超えて少し行くと「向島」と言う地名があります。

この地は江戸時代に凄い勢いでで発展した浅草から見て橋を渡って向こうの島にあると言う事からこの名前がついたと言う説があります。

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そしてこの向島周辺には『牛頭天王(こずてんのう)』が多くの寺社で祀られており、この牛頭天王スサノオは日本では神仏習合スサノオと同一なものとされているのです。

さらにこの場所でも百済系の人々が住み着いていたと言うのです。

こうして見てみると、大河の近くでは百済系の渡来人(その子孫たち)の技術で氾濫を防いだり、文明を発展させているのが分かります。また、スサノオ百済系のトップ)を祀る事によって自国の信仰を世に広めていったのではないでしょうか。

そう考えると、今スサノオ主祭神として祀られている地域を見る目も変わって来ますよね。

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また、スサノオヤマタノオロチから発見し、アマテラスに献上した太刀、『草薙剣』が御神体として祀られている『熱田神宮』。

ここも不思議な事にこの地のすぐ近くに木曽三川と言う三角州になっている川が流れていると言うのも面白いです。

さて、話をようやく戻して伊勢神宮の内宮に戻る訳ですが、少し長くなってしまったので、次回に話そうと思います。

やっぱり行けなかったかぁ^^;

 

 

 

スサノオと渡来人、そして大和朝廷へ その①

さて、前回は長野県にある戸隠神社から善光寺が渡来人(百済系)の人々によって形成されていたと言うのとスサノオ百済系で、アマテラス・ツキヨミは新羅系と言う話をしましたが、今回はもう一つのスサノオの有名な神話から紐解いて行こうと思います。

前回の記事を読んで下さった方々はもうお分りでしょうし、色々な漫画やアニメなどにも題材として登場する『八岐大蛇(ヤマタノオロチ )』の神話のお話です。

 

簡単な説明になりますが、高天原を追放されたスサノオ出雲国の肥河(現島根県斐伊川)の上流に降りたちました。その時川の方で泣いている老夫婦が美しい女性の間で泣いていました。この美しい女性はクシナダヒメです。そしてなぜ泣いているのか尋ねると、老夫婦には元々8人の娘がいて、年に一度8本の尾と8つの頭を持った巨大な怪物、ヤマタノオロチに娘を1人ずつ食べられてしまったのです。そしてその怪物がまた来る時期に近づき、最後に残った末娘のクシナダヒメも食べられてしまうと泣いていたと言うです。

それを聞いたスサノオは「クシナダヒメと結婚する代わりにヤマタノオロチを退治する」と言い、老夫婦は喜んでこの条件を承諾しました。

まず、スサノオは神通力でクシナダヒメの形を櫛(くし)に変えて、自分の髪に挿しました。そして老夫婦に強い酒(八塩折之酒)を作らせて8つ、門を作り、それぞれに酒を満タンにした酒桶を置くように言いました。準備して待っているとヤマタノオロチがやってきて、8つの頭がそれぞれの酒桶に酒を飲み出しました。するとヤマタノオロチは酔て寝てしまいその間にスサノオは十拳剣で切り刻みました。そして、尾を斬った時に剣が少し欠け、尾の中から太刀が出て来ました。

そしてこの太刀をアマテラスに献上しました。この太刀こそが熱田神宮に祀られている三種の神器の一つでもある『草薙剣』です。

その後、ヤマタノオロチを退治したスサノオは櫛となったクシナダヒメと暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀の地へ行き『八雲立つ 八雲八重づき妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』と詠みました。

何か、2人の新(婚)生活には壮大な夢や希望に満ち溢れている様な和歌ですね。

そしてこの和歌は日本最古の和歌でもあります。

スサノオは高い技術(製鉄をし、剣を作り出す)と教養を持った優れた人物と言うのも伺える作品です。

なぜ高い技術と言うかと言うと、この肥川(斐伊川)も砂鉄が採れ、ここも百済の人々が鉄を作っていたと言うのです。また、土木の技術もあったと言うので、ヤマタノオロチを退治と言うのは実は、百済の人々が大河の整備を上流の方でしていてそこから砂鉄を採り剣や武具などの製鉄品を作っていた。

そして、良い太刀が出来たと言うことでアマテラス(新羅系の人々)に献上し、認められて出雲国を建国したと言う考えに達しました。

そうなると、『八雲立つ〜』の和歌の意味が余計夢や希望に満ち溢れたものになっていたと言うことも分かります。

さて、少し長くなってしまったので今回はここまでにして、次回はもう少しだけスサノオのお話と伊勢神宮(内宮)のお話をしたいと思います。いけるかなぁ〜^^;笑

 

 

伊勢神宮とキリスト教、渡来人の技術

さて、外宮を参拝し終えて次に向かったのは月夜見宮です。ここは外宮から真っ直ぐ歩いていった所にあるので(ちゃんと参道になっています)、車で行くより徒歩で行った方が良いですよ。

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ここでしっかりと参拝し終えちゃんと御朱印も頂いて来ました。その後もう一つの月讀宮に行ったのですが、ふと変な感覚に陥りました。

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古事記などで書かれている伊奘諾(イザナギ)と伊邪那美イザナミ)との間に出来た神々の中でも一番貴いとされる三貴神天照大御神・素戔嗚・月讀ですが、何故か素戔嗚(スサノオ)だけがここ伊勢神宮周辺で主祭神になっている場所が無いんです。もちろん、アマテラスは太陽の神『陽』でツキヨミは月の神『陰』で対称的な事もありますし、スサノオの素行が悪すぎて嫌気がさしてしまい岩の中に隠れてしまい世界が暗闇に包まれてしまった『岩戸隠れ』の神話もあり、その後出雲国ヤマタノオロチを倒し、その腹の中から出てきた『草薙剣』をアマテラスに献上し、妻である櫛名田比売クシナダヒメ)と出雲国で暮らす場所を探しに行き天津神から国津神に変わったと言う流れがあるからでしょうか。

この岩戸隠れからヤマタノオロチを倒し国津神になりその子孫が天孫降臨までこの国を治めて行く事になりますが、 これで思ったのは実はこの3柱は元々違う部族なのではないか?と言う事です。

まず岩戸隠れで投げ飛ばされた岩が落ちた場所が長野県の戸隠神社と言う場所です。

この場所は戸隠山と言う火山地帯で、ここでは砂鉄がよく採掘出来る場所でした。そして朝鮮半島から渡ってきた渡来人(百済系)の人々が、それに目をつけここで砂鉄から剣などの武具を作っていたと言うものです。また砂鉄川である裾花川、犀川を通って出口は現長野市に着くのです。

と言う事は長野市にある『善光寺』にも繋がっているのではないか?善光寺では「遠くとも一度は詣れ善光寺」と慣用句もありまたここは日本百観音の巡礼で最後に来る地としても有名です。また、この寺は日本最古の仏像と伝承される『一光三尊阿弥陀如来像』が安置されており、この本尊は654年に絶対秘仏とされており、これは欽明天皇の時代に天竺の月蓋長者が造仏したものとされ、百済の聖王を経て献呈されるが、廃仏派であった物部氏によって捨てられてしまったが、本田善光と言う人物により拾われここに持ち帰りこの地で建立したとされています。

そうです。やはり渡来人(百済系)の人々が関わっていたのです。先程も述べた砂鉄から鉄を生産し、剣などの武具を作り権力を拡大して行ったのではないかと。そしてもう一方の渡来人(新羅系)の人と手を組んでいたが追放され出雲国の地に移り住んでいった。そう考えるとスサノオがアマテラスに献上した『草薙剣』の神話も繋がってきますよね?

と、考えた私ですが、次回はちょっとヤマタノオロチの話をし、スサノオ国津神)の話をしていきたいと思います。